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「生まれつきの私」を受け入れるまで 第1話:無邪気な幼少期編

こんにちは。「ほのかな灯」という名前で活動している私ですが、今日は私の幼い頃の話を少しお話ししたいと思います。

見た目に悩んだり、何かしら人と違うことに不安を感じたりしている方が、少しでも心が軽くなるきっかけになればと思います。


泣き虫赤ちゃんは、実は幸せの前触れ?

私の幼少期、特に赤ちゃんの頃の記憶は正直ほとんど残っていません。
母から聞いた話では、とにかくよく泣く子だったようで、母以外の誰が抱っこしても泣きやまず、みんなを困らせていたそうです・・。

あまりの泣き様に、ひいばあちゃんに相談する事態にまで発展したとか。

ただ、「よく泣く子は将来めっちゃいい子になる」とひいばあちゃんが断言してくれたそうで、母は今でもその話を自慢げにします(笑)。
私自身がいい子かどうかはさておき、少なくとも母にとってはいい子に育ったみたいで、それだけでなんだかホッとします。


ウルトラマンだった私

記憶が少し蘇ってくるのは、幼稚園の頃。
とにかく遊ぶのが大好きで、特にウルトラマンに夢中でした。

人形をいつも持ち歩いて、ヒーローになりきって遊んでいました。

今思えば、顔にあざがあることなんて、全く気にしていなかった。
ただただ、純粋に「楽しい!」という気持ちで毎日を過ごしていて、その頃は「自分が他の人と違う」と意識したことは全くなかったと思います。

両親は、きっと大変だったと思います。
私のあざについて、周りの人から色々聞かれたり、心無い言葉を投げかけられたりすることもあったんじゃないかと想像します。
もしかしたら、虐待を疑われたことだってあったかもしれません。
でも、両親はそんな苦労を一切私に感じさせませんでした。
本当に感謝しています。


小さな戦士として

幼稚園児の頃に一度、レーザー治療を受けたこともあったようです。
でも、あまりにも泣き叫んでしまったので、一旦治療はお休みしようということで、小学生になってから再開することになりました。
少し大きくなるまで治療はお預け、という感じです。

また、重い肺炎にかかって救急車で運ばれたこともあります。
救急車の中と、病院での治療の断片的な記憶が、今でもかすかに残っています。
後から聞いた話では、かなり危険な状態だったらしく…。
今、こうして生きていられることが、本当に奇跡のように感じます。


まとめ

幼少期の私には、あざに関する嫌な思い出は特にありません。
それは、きっと周りの大人たちが私を守ってくれていたからであり、色々と考えすぎず毎日に夢中になっていたからだと思います。

こうやって幼少期を振り返ると、
「どんな見た目でも、どんな状況でも、 "今" を精一杯生きることの素晴らしさ」
というものを幼少期の自分に教えてもらった気がします。

noteで記事を書き始めてよかったです。

次は小学生時代のお話を数回に分けて書きたいと思います。
少しづつ、あざと向き合い始める、葛藤の時期が始まります・・。

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