友人との会話と心の動き

私は定期的に高校時代の友人とDiscordで通話する。今日もいつものように友人Aと友人Bと私で他愛もない話をしていた。3人の中で、彼女持ちはBのみである。友人Aと私はとても彼女ができるタイプではない。

友人Aは面白いヤツで、「女ほしい」という時期と「女いらないわ」という時期が交互に来る。しかし、彼は「女ほしい」の時期でも、何も行動を起こそうとしない。彼は、恋人を作るための努力を恥ずかしいと思っている節があり、自分を磨いたり、出会いのための努力をしたりすることはない。そんな彼に恋人を作るための努力をするように何度も説得してきたが、彼は面倒臭がり、なかなか行動を起こそうとはしなかった。

先日、やっと彼にマッチングアプリを始めさせることに成功した。彼は「女ほしい」の時期においても、マッチングアプリに拒絶反応を示しており、「出会い系をやるような女はこちらから願い下げだ」というようなことを常々言っていた。それに対して私は、(1)近年マッチングアプリは世の中で広く受け入れられていること、(2)魅力的な女性も出会いが少ない環境を理由にマッチングアプリを利用すること、(3)現実的な出会いの場はマッチングアプリぐらいしかないこと、を主張し、見事彼を納得させたのだ。

ところが、彼は、マッチングアプリの厳しさ(男女の非対称性、ルッキズムなど)を認識しておらず、ナメたプロフィールを作成したり、分不相応な相手を求めたりしていた。当然、彼が期待しているような成果は得られず、今日、アプリをアンインストールしてしまった。そして彼が放った一言は「女いらないわ」だった。私はひどく腹を立て、落胆した。

しかし、よく考えてみると、彼の考え方や生き方は彼自身のものであり、他人である私が制限したり、口を出したりする筋合いはない。私には、自分と他人を切り離して考えることができない、という短所がある。それだけではなく、価値観には正しさがあり、自分の価値観が彼の価値観よりも正しいと考えてしまうことがある。非常に傲慢でグロテスクな考え方を持っている自分に嫌気がさす。

また、「自分の子どもをどのように育てたいか」という話題についても議論した。Aと私は子どもはおろか、結婚もできなそうな人間なので、この議論は非常に滑稽である。しかし、私は滑稽を承知で、自分の理想の教育をベラベラとしゃべった。私は、半ば冗談、半ば本気で、自分の子どもは知能面で遺伝的なポテンシャルを有しているはずなので、子どもの知能を最大限引き出せるような環境を作ってみたい、中学受験もさせてみたい、と話した。私は「一億円があったら何に使うか」と同様のノリで面白おかしく話していたつもりだったが、AとBは私にドン引きしていた。この程度の下衆な話は普段からさんざんしているはずなのに、なぜこの話題に対してはドン引かれなけらばならないのだろう、と私は非常に不思議だった。

これもよく考えてみると、家庭環境は人によって異なるデリケートなトピックであり、自分の子どもをまるでポケモンの如く、「所有」して、「育成」して、「勝負」させるという発想は傲慢で邪悪だ。また、忌むべき優性思想を彷彿とさせる物言いだった。

私は会話後、自分という人間のゴミさに絶望した。最近、他者との雑談によってメンタルが回復することを発見したが、メンタルが落ち込むこともあるようだ。この生きづらさとどのように向き合っていくべきか、考え続けることが重要であろう。答えはまだ見えない。

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