自省録
一瞬たりとも怯んだような感じに陥りたくない。寝起きでもそうだ。朦朧とした意識が敵だ。鮮明でありたい。常にそれを求める。あるいは、眠っている時ですら、明晰でありたい。きっとそう思っている。
ここ2ヶ月ほど、しかし、意識で身の回りのことをすべて片付けようとしてしまった。たとえば、善か悪か。頭の中にそれしか無くなった。頭の中が身の回りで起こっていることそれ自体となった。思い違いがあるはずだろうに、一切認めなかった。自信にみなぎっていた。気持ちのいい状態でもあるが、人は人を責める気持ちが強くなると、責められる気持ちがやってきて、ひどく不安になる。仕舞いには、極度の人間不信と成り果て、廃人のように街を彷徨い歩くこととなる。
魂の健康。魂の健康。心から湧き上がる、生きている喜び。この奇跡。一瞬たりとも逃したくない。怯みたくない。明晰であることは、何かと理解が及ぶということではない。生きていることが嬉しいということだ。明晰であることで、日々はその温もりとある。愛だ。愛こそが明晰さの源泉だ。