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衝撃体験! ダイアログインザダーク
※一部ネタバレになってしまう可能性があります。ご注意ください。
衝撃的な体験をしました。
きっと何年経っても、あの90分間を忘れることはありません。
ドイツの哲学博士による発案で生まれたダイアログ・イン・ザ・ダークは、これまで世界47カ国以上で開催され、900万人を超える人々が体験してきたそうです。
完全な暗闇の中で、私が感じたことや学んだことをここに残しておきたいと思います。
この体験を少しも忘れたくはないし、
少しでも多くの方にあの90分を体験していただきたい、なんて思うのです。
【真っ暗なんてレベルではない、無に包まれる】
視覚障害者の方のガイドのもと、純度100%の暗闇へと入ります。
ほんの少しの光も明るさもない暗闇になった瞬間、私が一番最初に感じたのは強い不安でした。
目を閉じた時の暗闇とは訳が違います。
あれは光や明るさを感じられる暗闇です。
今回私が体験した暗闇は、暗いとか暗闇とか漆黒なんて言葉では足りないと感じました。
「無」だと思いました。何にもないのです。
視界が消え去り、自分自身も消えてしまったように感じました。
まっすぐ立てているかもわからない。
暗闇に私という存在丸ごとを飲み込まれたような気がしました。
どうしたらよいかわからない、何もできない不安と怖さで心臓の鼓動が速くなり、我を失ってしまいそうな気さえしました。
(多分これまで生きてきた中で一番、パニックという状況に近付いていた笑)
どうやら私は暗闇を人より怖がるタイプだったみたいです。一緒に行った友達は、怖いとは思わなかったと言っていました。
これを読んでくださる皆さんを怖がらせたくはないのですが、感じたこと全てを記しておきたいくらいの意味深い体験でしたので、お許しください。
90分耐えられる自信がなく、ガイドさんに素直に不安を伝えたら、とても優しく声かけをしてくださって、なんとか大丈夫そうだと思えました。
ガイドさんにとってはこの暗闇が日常なのです。そのガイドさんが「大丈夫」と声をかけてくださり、勇気を出してこの知らない世界を体験してみようとなんとか心を決めることができました。
【視覚を捨て、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を本気で研ぎ澄ます】
真っ暗闇の状態で、次の部屋へと進みます。
視覚が無い中で知らない場所へ進むとは、こんなにも勇気がいるものなのかと驚きました。
手や足で、壁がどこにあるのか、いま足で踏みしめているものは何なのか、この部屋はどんな広さでどんな構造をしているのか、想像します。
もう、必死です。
使える感覚を必死にフル活用して、状況を把握しようとします。
聴覚
前方から聞こえる水の音や自分の発する声の広がりを頼りに、部屋の広さを想像します。
物体に触れて音を出して、それが何なのかヒントを得ようとします。
普段特に気にすることもない、音の広がりや反響というものを全身で実感しました。
触覚
感触、重さ、圧、刺激、温度を感じ取り、触れているものが何なのか知ろうとします。
「水」というもの一つをとったって、
溜まった水に手を入れた時にはやわらかな水圧の変化が心地よく、
上から滴る水を手で受け止めれば、ほどよい衝撃が皮膚を叩き心地よい。
普段、ひとつの物体に対してこんなにも真剣に向き合ったことはありませんでした。
視覚があれば、辺りを見回すだけですぐに状況を把握することができます。
それを失った時、視覚以外の全感覚が突然ピンと糸を張り詰めたように、急速に研ぎ澄まされていきました。
なんというか、「生きている」と感じました。
味覚・嗅覚
途中、お米をいただくシーンがありました。
ふわっと優しいお米の香りが鼻を包みます。
お米一粒一粒の存在感が普段よりも大きく感じられ、とても甘く美味しく感じました。
普段テレビを見ながら食べるお米と同じものとは思えないくらい、豊かな味がしました。
味覚や嗅覚と、本気で向き合った瞬間でした。
【不思議体験 脳が勝手に映像を見せる】
特に心に残った不思議な体験があります。
仰向けに寝そべった瞬間、何も見えないはずの真っ暗闇の中に、広い青空と雲が現れたのです。
視覚は完全に消えているのにも関わらず。
脳は本当に不思議ですね。
上を見上げればそこには青い空があって白い雲があると、脳が勝手にイメージして私にそれを見せたのです。
真っ暗闇が怖かったけれど、その瞬間は「見えた!」と安心感がありました。
存在しないイメージで勘違いしてホッと安心してしまう、そんな私の脳なのでした笑
【人目を気にしない自由な空間で、他人と触れ合うあたたかさ】
通常は8人グループで実施されるのだそうですが、今回はたまたま私と友達の2人だけの貸切体験でした。
ガイドさんと3人で輪になって手を繋ぎました。
人の手はものすごくあたたかいですね。
物理的な体温の温もりはもちろんですが、心がほわっと包まれるようなあたたかさも感じました。
視覚があれば、人はまず相手の外見を認識するでしょう。
それで、ある程度 好きか普通か嫌いかを判断すると思います。
同時に、私自身もある程度の判断をされるという、ほんの少しの緊張感。
そういう「目」が一切ない中で、自分以外の人間の手に触れると、温もりをダイレクトに感じられました。
緊張感や警戒感を一切持たずに見知らぬ人のぬくもりを感じられる瞬間は、普段の生活においてはほとんど無い体験でした。
そしてその瞬間、その相手を赤の他人とは思えなくなります。
全然知らない人なのに、不思議です。
視覚がないだけでこんなにも、人間として相手と真っ向に向かい合えるのですね。
【弱さをさらけ出し、助け合うこと】
ガイドさんが仰っていて なるほどと納得したことがあります。
目が見えない状況という、言わば弱みを共有している中では、人は素直に助け合うことができる、と。
たしかに、自分には欠点が無いと思っている人ほど、他人からのアドバイスを素直に受け取れなったり、他人を頼れなかったりしますよね。
自分の弱みは積極的にさらけ出し素直に周囲と助け合ってください、というガイドさんの言葉を大切に受け取りました。
【当たり前のことなんて、ひとつもない】
視界を失って、私はあっという間に知らない世界へ突入しました。
怖くて不安で、どうしたらいいかわからなかった。でも、他の人の助けや、聴覚、触覚、嗅覚、味覚を使いこなし、最後には暗闇に少しだけ慣れていました。
90分間が終わり、明かりが灯され、視界が戻ってきた瞬間。
元の世界に戻ってこれた、というとてつもない安堵感がありました。
そして、もうその瞬間から これまで当たり前に生きてきた日常が、当たり前ではなくなったのです。
周囲の景色が見える。
どこに何があるのかわかる。
自分の体を目で認識できる。
人の姿形がわかる。
不安を感じず歩くことができる。
でもこれらは「当たり前」ではありません。
まさに文字通り「有難い」ことだったのだと知りました。
念の為に書いておくと、視覚の無い世界を悪く言っているわけではありません。
目が見えないからこそ、学び、得られたものがたくさんあったことは上述のとおりなのです。
暗闇が、あんなにも豊かな感覚に満ちた世界だとは知りませんでした。
視界のない真っ暗闇を体験したからこそ、
この世界がよりいっそう美しく見えるようになりました。
日常を当たり前だと思わず、感謝の気持ちを持って接していきたいと思うようになりました。
「当たり前のものなんて、何ひとつないんです。当たり前だと思ったら、感謝の気持ちを持てなくなってしまいます。」
これも心に残ったガイドさんの言葉です。
【知らない世界の存在を知ること、想像することが世界を変える?】
ここからはダイアログインザダークでの体験談とは少しだけ話が逸れます。
視覚のない世界に限らず、私たちには知らない世界がたくさんあります。
知らない世界があると知ること、
知らなくてもせめて想像すること、
この二つは、広く多様なこの世界を、手を取り合って生きるために大切なことだと改めて感じました。
戦争や飢餓など世界には多くの問題があります。
私たちは平和な先進国に生まれて恵まれた生活をしているので、どこか遠い国で起きている他人事と捉えがちです。
視覚の無い世界を体験して衝撃を受けたように、自分には関係ないと思っていた世界があっという間に他人事ではなくなったように、
いつ何が起きて私たちの当たり前が当たり前でなくなるかは分からないなとつくづく思います。
だからこそ、
知らない世界があると知ること、知らなくてもせめて想像することが大切だと感じました。
自分には関係ないと思っていた世界を自ら知りに行き、そこに生きる人たちの気持ちをちょっと想像してみて、当事者意識を持つこと。
それだけでもきっと世界は今より思いやりのある場所になるんじゃないでしょうか。
イギリスで環境活動家がゴッホのひまわりにスープを投げつけたあの事件。
「なぜそんなことを!そんなことをしても環境は良くならないのに。話し合いを選ばずにこんなことをするなんて低脳。」とすぐさま感じた私は、まさに当事者の気持ちや考えを1ミリも考えようとも想像しようとしていませんでした。
そんな気づきさえ与えてくれた、ダイアログインザダークでの体験でした。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
目が疲れたらあったかいお茶飲んでゆっくりお休みくださいね〜!