「バタートースト」と「声」。点と点がつながるキャリアヒストリー | バタートースト評論家・声戦略トレーナー 梶田香織さん【偏愛マニア #09】
「好き」で続けてきたことがどのように仕事につながってきたのか、「偏愛」を軸に活動をする方々のお話を伺いながら紐解いていく「村田あやこの偏愛マニア探訪記」。
今回ご登場いただくのは、バタートースト評論家&声戦略トレーナー・梶田香織さんです。
小学生時代、伯母様の営む喫茶店でバタートーストの美味しさに目覚め、専門学校時代からいろいろなお店のバタートーストを食べ歩いていたという梶田さん。バタートーストをきっかけにパンそのものにも魅了され、製パン会社へと就職しますが、そのキャリアは一本道ではありませんでした。
「バタートースト評論家」という一風変わった肩書きを名乗るようになるまで、また現在の本業である「声の専門家」としての仕事について、まるで点と点がつながるようにつむがれてきたキャリアヒストリーを伺います。
原点は、伯母の喫茶店で食べたトースト
ーー梶田さんが今手掛けているお仕事を教えていただけますか。
メインの仕事は、声や滑舌の専門家としての活動です。ビジネスパーソン向けのプレゼンや伝え方講座、企業研修、声優・俳優タレント養成学校での講師のほか、司会やナレーターも行っています。
並行して、バタートーストが好きなあまりバタートースト評論家としても活動しています。
ーー声とバタートースト! 一見ジャンルの違うお仕事にどうやってたどり着いたのか、興味津々です。これまでの梶田さんのキャリアヒストリーを伺えますでしょうか。
実家が自営業だったこともあり、親の姿を見ながら自然と「手に職をつける」ということを意識して育ちました。父は、30歳のころにデパートの外商部勤務を辞し、ベビー用品のレンタルや販売を行う会社を起業。あまり同様の商売がなかった時代に始めた先駆者です。新しいもの好きのアイデアマンで、パンフレットなどはもちろん、看板や内装や電気工事までも手掛けて、自力でお店を作ってしまうような人。父の気質は私にも受け継がれています。
家族内でも発明の会話をするのが大好きで、父も私も実用新案を出してみたり商標登録をするような家庭だったんです。
学生時代は食品開発の仕事に興味があったので、高校卒業後は栄養の専門学校に進学。栄養士の資格を取って敷島製パン株式会社(Pasco)に就職しました。
ーー食にまつわる仕事をしたいと思ったのは、何かきっかけがあったんですか?
当時は明確なきっかけがあったわけではなかったんですが、新しいことが好きだったので、何かを開発する仕事をやりたいな、と思っていました。
中でも食品に興味を持ったのは、今思うと、家族全員で発明の話やその日あったことなど、いろいろな話をしながらご飯を食べる時間や外食がとっても楽しい思い出だったということが、根底にあるかもしれません。
ーー梶田さんにとって、「食べる時間」は特別だったんですね。
また小学校の頃、伯母が喫茶店を開いたんですが、そこで食べたトーストがすごく美味しかったんです。私の出身は名古屋で、喫茶店文化が盛んな街。伯母の喫茶店がきっかけでトーストが大好きになって、専門学校時代にアルバイトを始めてからはあちこちの喫茶店でトーストを食べ歩くようになりました。
そこからパンに興味が出て、「専門学校卒業後はPascoでパンを開発したい」というのははっきり決まっていましたね。
ーーバタートースト愛の原点は、伯母様のお店のトーストだったのですね!どんなトーストだったんでしょうか?
「厚焼ジャンボトースト」と名付けられたトーストでした。当時まだ6枚スライスの食パンが主流だった中で、4〜5センチくらいはありそうな分厚い山型の食パンに、端っこまでバターがたっぷり塗られていたんです。
ふわふわのパンにバターが染みて、黄金色でキラキラしていて。目の前に運ばれてきた瞬間、「ああきれい、美味しそう」っていう言葉が自然と出てしまうようなトーストでした。
お店によってはバターがパンの真ん中にしか塗られていなかったり、パンがパサパサしていたりもする中で、伯母の作ったトーストは、いつ行ってもパンが大きくキラキラと黄金色に輝いて、しっとりしたパンからバターがじゅわっと溶け出していました。
ーー聞くだけでお腹が空いてきてしまいます。Pascoではどのようなお仕事をしていたんでしょうか?
5年間、本社開発部でデザートやパンの製品開発や研究開発に携わりました。私が入社した1990年は、男女雇用機会均等法の施行から4年が経ち、企業も女性の社会進出に本格的に取り組み始めた時期です。それもあってか、社内製パン学校に、女性第一号の聴講生として入学させてもらえました。
食パンやフランスパン、クロワッサン、惣菜パン、菓子パン、バターロールといったあらゆる種類のパンの製造方法のほか、粉の味の違いや配合による変化、工場での大量生産の方法。いずれ工場長や店長として現場を引っ張っていくであろう人たちと一緒に、パン作りのための理論や技術を一から学びました。
ーーパンを作り、届ける立場となって、何か視点の変化はありましたか?
私は作る側に回るのはやめようと思いました(笑)。パンの製造はものすごく緻密な世界。その日の湿度や温度によって、必要な水の量や温度、発酵時間を変えなくてはいけないのです。
大雑把な性格の私が携わるべきではないなと痛感しました。
素敵な人やものの魅力を引き立てたい!
ーーその後、声のお仕事にはどうやってたどり着いたんでしょうか?
Pascoに勤めていた頃、偶然、愛知県の国体でアナウンサーのボランティア募集のチラシを見つけたんです。ふと興味を持って、懸賞応募くらいの感覚で応募したらオーディションに受かって、初めて「話す」仕事を体験しました。
その後、家庭の事情で実家の商売を手伝うことになり、Pascoを退職。実家の仕事は時間に比較的余裕があったので、国体を思い出し、「もう少し話す勉強でもしようかな」というくらいの気持ちで、喋り手を養成する学校に1年間通いました。
卒業後はそのまま学校が提携するプロダクションに所属して、テレビ番組やCM、動画のナレーション、ラジオパーソナリティーや司会など、喋る仕事全般に携わるようになりました。
ーー製パン業とはガラリと違うジャンルのお仕事へ。養成学校に通うきっかけは、初めての話す仕事となった国体でのボランティアが楽しかったからでしょうか?
実は当初は「手に職をつけよう」という不純な動機だったので、この仕事が合っているかもしれないと思うようになったのは、だいぶ後になってからのことなんです。
もともと自分自身が前に出て目立ちたい、というタイプでもありませんでした。ただ、何か人やものを取り上げて「こんなに素敵なんですよ!」と紹介したり、ゲストやお客様のために喋ることは好きだったので、そういう点では声の仕事は合っているなと思います。
ーーその後、声や滑舌に特化した研修を行う「プレゼンジャパン」を設立されます。声のお仕事はどのように広がり、会社設立に至ったのでしょうか?
プロダクションに所属した当初から、芸能方面の仕事を突き詰めるというよりは、起業家の方々がいるコミュニティに入ったり、セミナーへ行って最新ITツールの使い方やビジネストレンド情報を仕入れていました。
起業家の方たちと「こういうものがあったら面白いよね」と、常に新しいものについて情報交換するのが面白かったんです。
ある時、起業家の方々に「声優養成専門学校の講師をやっている」とお話したところ、「それって、僕たちみたいな社会人にも教えられるの?」と聞かれて。詳しく聞いたところ、話し方について悩んでいるビジネスマンは意外と多いと知りました。そのうちに起業家の先輩が、講師をする機会を作ってくださったのです。
それをきっかけに、ビジネスマン向けの講座を自ら開催するように。知り合いづてに仕事が広がっていったので、屋号を作っている起業家仲間にならって、私自身も「プレゼンジャパン」という屋号を作りました。
バタートースト愛が、声のスキルで広がった
ーー自分以外の何かの魅力を引き立てたり、引き出したりするスキルは、まさにバタートースト評論家としての活動にダイレクトに活かされていそうですね。「バタートースト評論家」としては、どのように活動が広がっていかれたんでしょうか。
新しいもの好きの家庭だったので、小さい頃から家にパソコンがあったんです。1990年代半ばにWindows95が出始めた頃、ホームページを立ち上げ、今で言うブログのように、バタートーストの感想をネット上に書き始めました。
ーーネット上での情報発信も、時代を先取りしていたんですね。
ある時、「ラーメン評論家」という肩書きの人がメディアに出ているのを見かけて。そうか、「評論家」だったら、第三者的立場でバタートーストについて語れるのではと思って、「バタートースト評論家」を名乗り始めました。
2013年、セブンイレブンが「金の食パン」を発売し、以降家電メーカーが軒並み高級トースターを販売し、高級食パンブームが訪れたんです。
メディアの方が、パンではなくトーストに詳しい人を探していたところ、トーストについて熱心に発信している私を見つけてくださって、そこから「バタートースト評論家」としての活動が広がっていきました。
最初はテレビで、「美味しいトーストの焼き方」「トーストが美味しいお店の紹介」などを紹介するといったお仕事でした。
ナレーションをはじめとする「声」の仕事が、ここで活かされましたね。点と点がつながりました。
ーー「バタートースト」というコンテンツと「声」というスキルの相乗効果によって、活動が広がっていったのですね。その人独自のコンテンツを持っていたとしても、きっと発信する際のちょっとの工夫や気遣いで、どれだけの人に届くのかは違ってくるんでしょうね。
声の高さや笑顔、滑舌を意識して、声を飛ばすように話すだけで、印象が良く、聞きやすい声になります。
また職業によっては、「楽しそうに感じるか」もすごく重要。ナレーターとしてメディア側の仕事にも携わっていましたが、例えばテレビのディレクターさんが出演者を選ぶ際は、同じ程度のスキルがあれば、より楽しそうに喋れる人を選ぶんです。
「あの人にもう一回出てもらおう」と思えるかどうかは大きいなと痛感しています。
私自身、初めて出演する番組でも緊張せずスムーズに話せるのも、声の仕事が活かされているなと思いますね。
ただ、声のスキル以上に、栄養の専門学校を出てPascoに勤めていたという経験は非常に大きいですね。「ただのパン好きではなく、知識もありそうだ」という信頼にもつながっているんだと思います。
ーー「好き」で続けている活動をこれから仕事としても広げたいと思っている人にとって、ヒントになるメッセージをいただけました。
長い間、「点」だけで生きているなと思い続けてきました。自分ではそんなつもりはないのに、「何がやりたいのかわからない」と言われたり。
ただ、バタートーストを食べ歩いていたり、Pascoにいたり、声の仕事をしていたり、そうした「点」と「点」はつながるんだなと思って、今はほっとしているところです。
ーーこれまでやってきたことは無駄ではない、と。
そうなんです。学生さんたち向けの講座でも、「地味なことでも10年続ければプロになる。周りからなんと言われようと、地味でもいいからひたすら続けなさい」と、よく伝えています。
今の時代、多様な価値観が認められているので、どんな小さなジャンルのこだわりであっても、それに詳しい人が求められる時は必ずやってきます。それに出会うタイミングがいつか、というだけ。やめずに続けるのは大切だな、と思いますね。
ーー私自身フリーランスとして仕事をしていると、昔の経験が思いがけず仕事に結びついたりと、伏線回収のように「点」と「点」がつながるのを感じることが多々あります。急がず気長に続けることは大事ですね。
今後やってみたいこととして、思い描いていることはありますか?
声の仕事の方では、料理家やアスリートなど、トップレベルの技術をお持ちの方がプレゼン力や話す力を身につけるための講座をさらに充実させていきたいです。そういった方が喋れるようになれば、さらにファンが増えて、稼げるようになります。そうすることで、世の中への寄付も増えるといいなと思っています。
またビジネスマンの皆様の声や滑舌を改善し、プレゼン力を高めるための講座もさらに増やしていきたいです。
バタートースト評論家としては、「日本トースト協会」の活動をさらに大きくして、喫茶店やパン業界を応援していきたいです。
喫茶店にバタートーストを食べに行く人を増やして、バタートーストで街興しができればいいですね。
偏愛マニア探訪後記
好奇心を全開に、ふとしたきっかけから新たな世界に飛び込み、唯一無二のキャリアを広げている梶田さん。
「点」と「点」を軽やかにつなげるお姿に、元気をいただける取材でした。
「何がやりたいのかわからない」と言われることもあったとおっしゃっていましたが、私自身全く同じことを言われ続けてきました。
ただ、歳を重ねるにつれて、学生時代の経験や昔の仕事で培った職能が思いがけず生かされることがあり、ああ無駄なことなんてないのかもなと、うっすら感じるようになりました。
ある時点では「点」に思えることでも、続けていればひょんなことから、その「点」と「点」が交わることがあるんですね。
しかし、いくら自分なりに温めてきたものがあったとしても、それをどうやって伝えるかで、人の記憶にどれだけ留まるかは全く変わってくるのだろうと思います。
取材が終わっても時々、伯母様の喫茶店の、じゅわーっとバターが溶け出す分厚いトーストを何度も想像してしまいます。
「好き」を波及させる梶田さんの「声」の力を、しかと感じました。
※記事内の写真・イラストはすべて梶田香織さん提供