「実在しない都市の地図」をリアルに描く|空想地図作家・今和泉隆行(地理人)さん【偏愛マニア#02】
「好き」で続けてきたことがどのように仕事につながってきたのか、「偏愛」を軸に活動をする方々のお話を伺いながら紐解いていく「村田あやこの偏愛マニア探訪記」。
今回ご登場いただくのは、「地理人」こと今和泉隆行さん。地理人さんは実在しない都市の地図を描き続ける「空想地図作家」です。空想地図を題材にした著作出版の他、テレビドラマの地図制作、高校の探究学習の講師など、地図・地理を軸に幅広いお仕事を広げています。昨年放送されたドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」では、ドラマ内に登場する架空の都市の地図を手掛け、話題になりました。
これまでのキャリアヒストリーや、フリーランスを続けるうえで大切にしていることなど、地理人さんに根掘り葉掘り伺いました。
7歳から、実在しない都市の地図を描き始めた
ーー何歳ごろから地図マニアに?
小さい頃は路線バスが好きで「バスの運転士になりたい」と言っていた記憶があります。自らを遠くに連れて行ってくれる乗り物は、とても頼りにしていましたね。今は運転免許すら持っていないという、当時のビジョンに逆行した人生を送っていますが(笑)。
地図好きになるきっかけは5歳の頃、横浜市から東京都日野市に引っ越したこと。両親ともに全く土地勘のない場所だったので、スーパーがどこにあるかさえ分からない。当時はインターネットもなかったので、まずは地図を買って「幼稚園はどこにあるんだ?」「駅までどうやって行くんだ?」ということを探りました。
それで一気に、地図を見る習慣ができたんです。
その後7、8歳の頃から、架空の都市の空想地図を描き始めました。
当初はバラバラと思いつくままに描いていたんですが、11歳の頃に架空都市である「中村市(なごむるし)」の空想地図に1本化。ペースに変動はありながらも暇さえあれば描き加えていって。大学に入ってすぐにAdobe Illustratorを使って地図をデジタル化しました。
ーー空想地図を描く楽しさは、どんなところにありますか?
私のような地図好きは、「あのへんは賑やか」「このへんは古い町並みだろう」といった、住んでいると身につく土地勘のようなものを、地図を読み解くことで身につけています。
実在しない都市の地図でも、実際の知らない街に住んだような想像力を掻き立てられるから、ずっと描いていられるのでしょうね。
ーーたとえば小説を読んで、物語の中に自分がいるような気持ちになるのと、通ずるものがあるのでしょうか。
そうですね。非常に近いと思います。
「なにかしらのプロ」になろうと就職活動
ーー現在の地理人さんのお仕事内容を教えてください。
総じて言うと「地理・地図系の自営業」です。
著述、講演、講師・ワークショップ、地図制作、書籍や記事のライティングなどを合わせると1人分の収入になる、ぐらいの感じです。
地図制作には、ドラマやゲームの舞台など実在しない都市もあれば、実在する都市の地図や路線図もあります。年によって空想地図の制作が売上の3割を占めることもありますが、大体は小さな仕事の組み合わせでどうにか生きています。
ーー独立されるまでは、どんなキャリアを歩んでこられたのですか?
ずっと地図を書き続けてきて都市の地理に興味があったので、大学は当初、地理学科に進みました。ただ地理学科の卒業生の主な進路は、地理歴史の教員や研究者。もともと学校がそんなに好きではなかったのに「学校から抜けられないじゃん!」と、まちづくりを学べるゼミがある大学を探して、大学3年生で編入しました。
卒業して最初に勤めたのは、IT業界。まちづくりと全然関係ないですよね。
実は学生時代、まちづくり系の会社でアルバイトをしていたんですが、当時は平成の大合併で自治体が減っていたんです。100ページもあるような提案書を提出して受注できれば仕事になるけれど、受注できなければタダ働きになってしまう。自治体の数が減れば、仕事も減り、当然打率は下がりますよね。志望業界を見失ってしまいました。
ただ当時は、都市計画業界が縮小する一方で、ブランディングやデザインなど、都市計画とは別ジャンルのプロフェッショナルが、各分野で培ったスキルとともにまちづくりで活躍するという動きが始まった頃でもあります。
そこで、まちづくりに行くかどうかは分からないにしても、まずはなにかのプロになろうと、様々な業界・業種と関わりのあるIT・広告・人材・印刷という4つの業界に絞って就職活動。最初に内定が出たIT業界に就職しました。B to Bでドキュメントプラットフォームを作る会社で、1年目は営業、2年目はお客さまサービス部として2年間働いた後、2011年に退職しました。
出版を機に自営業として食べていけるように
ーー会社員時代は、今とはまったく違うお仕事をされていたんですね。退職したのは、独立するためだったんですか?
最初から独立しようと思っていたわけではないんです。それまで学校も会社も自分に合っていないところばかりでしたが、それでもなんとか通い続けられたのは、「最低限これだけこなしていれば、ひとまずやり過ごせる」という、その場に期待をせず、最大のパフォーマンスも出さない生き方が割と得意だったからでした。ところが、会社に新人が入ってくると、それが難しくなってくるだろう、と思いまして。
ちょうど2年働いて貯金が貯まったこともあり、派遣やバイトという正社員よりは負担のない働き方をしつつ、フリーランスとしての活動もスタート。どちらの働き方が向いているか試してみようと思ったんです。
ーーフリーランスとしては、どのようなお仕事を?
一度だけテレビ番組で地図の制作をしましたが、それ以外はほぼ名刺やフライヤーのデザインです。
ただデザイン系の学歴、職歴があるわけではなく、デザインのプロには確実に負けると思ったので、20代のうちに足を洗って地図・地理系にシフトしていかねば、とは思っていました。
会社員を退職した年、友人に誘われて、東京カルチャーカルチャーで開催された「マッピングナイト」という地図のイベントを見に行ったんです。友人が、登壇者の一人である渡邉英徳先生と知り合いだったこともあって、私の空想地図の話になって。同じく登壇者の大山顕さん、石川初さんも「なんだこれは!?」と面白がってくれて、その様子がSNSで話題になりました。
それを見た出版社の方から連絡があり、2013年に空想地図をテーマに初めての書籍『みんなの空想地図』(白水社)を出版することになりました。
また同時期に、「タモリ倶楽部」にも出演。
退職直後の2011〜2013年ごろは派遣とバイトの収入が8割、自営業が2割程度でしたが、出版後の2014年には自営業の収入が8割になりました。
タイプが違う人の集まりに時々しれっと参加する
ーー本の出版が大きな転機になったのですね。ちなみに出版後はどんな仕事が増えましたか?
実は地図の仕事ではなく、身の回りの友人・知人からのデザインの依頼が増えたんです。空想地図なんて、頼みようがないですからね。
おそらく本が出たことで「ああ、この人は自分の名前で食べている自営業なんだ」ということが周囲の友人知人、及びその友人知人に認知され、それまでやっていたデザインの仕事が増えたんだと思います。
2015年には100%自営業で食べていけるようになり、同じ年に法人化しました。
ーー今は、お仕事の依頼はどういうルートで来ているんですか?
今でもやはり知人や、知人の知人経由が多いです。自分で営業はしていません。
取材された記事を見てホームページ経由でお問い合わせいただく場合もありますが、実は間に共通の知り合いがいたというケースも結構多かったですね。とはいえ、最近は共通の知り合いがいない人からの依頼も増えてきました。
ーー営業しなくても継続的に仕事があるというのはすごいですね。
私のように営業できない人間は、私に頼んでくる人を増やす必要があります。私の場合、友人関係や人間関係、仕事関係を一つのコミュニティに絞らない、というところが鍵になっています。
特定のコミュニティに属していると言うよりは、浅く広く、あらゆるコミュニティの人たちと「そういえば見たことある」ぐらいの距離の関係を作っておくと、意外なところから仕事が来ることが多いんです。
同じタイプの人がいない界隈に行ったほうが希少価値が上がるので、なるべく自分とは思考が違う人間のいるコミュニティに、しれっと時々いるということが大事なんだと思います。
ーーどういった方法でコミュニティを開拓しているんですか?
例えば、遠そうな業界にいる友だちとご飯を食べるのもひとつです。相手が最近やっていることや興味があることについて話を聞き、おもしろそうな会食に誘われたらとりあえず誘いに乗っています。
知らない世界を把握するのがおもしろいという好奇心がベースにあり、いろんなところに顔を出していますね。仕事にはつながっていませんが、占い師さんの忘年会は楽しかったです。
「好きなこと」は仕事にすべき?
ーー最近は、「平井オープンボックス」というコミュニティスペースで、ゲストを呼んでその方のお仕事について話を聞くイベントを定期開催されていますよね。
自分なりの合理性に沿ってちょうどいい生活を組み立ててきた中で、他の人の合理性も気になってきて。そもそも人間に興味があるので、好きなことで食べているように見える人たちに、仕事と私生活やそれまでの人生の経緯を聞くイベントを始めました。
ーー「好きなこと」と仕事が融合している人や、仕事と私生活は切り分けている人。様々な人のお話を聞く中で、新たな発見はありましたか?
「本業と分けていたほうが、片方がうまくいかなかったとしても、もう片方は平常通り回る」と話していた方がいたのは印象的でした。
「好きなこと」を仕事にするのがゴールだと思う人がいる一方で、分けたほうが両方うまくいく場合もあるんですよね。
例えばライターを例に出すと、自由に何を書いてもいいというコラムと、体裁が決まっているライティングと、どちらがいいというわけではなく、両方あったほうがいい場合もあるわけです。
――確かに私自身、自分の趣味趣向を思う存分発揮できる仕事と、ある意味機械的にできる仕事、両方あったほうが、収入面だけでなく精神面でも安定につながっています。
私の場合は、機械的にできる仕事はほとんどなく、市場のない新奇性のある仕事がほとんどです。収入面は不安定にはなるものの、新しい仕事の形を作るのが楽しいんだと思います。
空想地図の制作やアート関係などの仕事は、「好きなことを仕事にする」成功の形として、シンプルに描きやすい姿かもしれません。ただ、好きなこと1本に絞ることだけが成功の形ではないと思っていて。
やり方が決まっている仕事と自分の表現を出せる仕事をどういう割合にするか、それぞれ自分にとってのベストバランスに近づければいいのではないでしょうか。
ーーもともと好きなことであっても、仕事になってしまうと自分のアウトプットに飽きてしまうこともあります。自分の中での新鮮さを保つための秘訣はありますか?
私自身は、なるべく今までの掛け合わせとは違う領域に行こうと心がけています。
たとえば2017年以降、空想地図を「現代美術作品」として各地の美術館に展示してきましたが、日本の空想地図作家で現代アート方面に行ったのは私が初めてのケースです。
また、2022年から、武蔵野大学高等学校で探究学習の講師も務めています。地図関係者で探究学習という教育の分野に乗り出したのも、おそらく初めてだと思います。そうやって、初めての組み合わせが生まれ続けることが、飽きない秘訣だと思っています。
先程の話と重なりますが、あまり知らないコミュニティほど、今まで予想していなかった仕事が来るので楽しいですね。
ーーこれから広げていきたいお仕事の分野はありますか?
あまりそこは自分で想像や設定してはいなくて。自分で狙うよりも、来る仕事のほうがだいたい、私の想像を超えていておもしろいので。
あとは、空想地図に関しても、先述したイベントも含めて、私自身だけでなく他の人が「作る人」になる仕組みづくりに取り組んでいけたらいいですね。
偏愛マニア探訪後記
「『好き』を仕事にするぞ」という気負いがなく、ご自身の状況を客観視しながら、自分なりの合理性で仕事や暮らしを積み上げてこられた地理人さん。インタビュー中「人に興味がある」とおっしゃっていましたが、地理人さんの描く超リアルな空想地図はまさに、「人が生きて、それぞれの合理性の中で空間を作り上げていくこと」への興味・関心が具現化されたものだと感じます。
様々なコミュニティと関係を作っておくことで、仕事を頼んでもらえる人の母数を増やしておく、ということのベースにも「人への興味、知らない世界への興味」があるからこそ、相手を利用しようという感じが一切なく、「ああ、この人に何かお願いしてみたいな」と思える信頼感につながっているように思います。
想像を超えた新しいかけ合わせで、これから地理人さんがどのような世界を生み出していくのか。これからもいちファンとして、楽しみにしています。