普通の人の暮らしの中に「びっくり表現」を届けたい | アーティスト・昭和レトロYouTuber 菅沼朋香さん【偏愛マニア #07】
「好き」で続けてきたことがどのように仕事につながってきたのか、「偏愛」を軸に活動をする方々のお話を伺いながら紐解いていく「村田あやこの偏愛マニア探訪記」。
今回ご登場いただくのは、アーティスト・昭和レトロYouTuberの菅沼朋香さんです。純喫茶をきっかけに高度経済成長期に魅了され、現代美術のインスタレーションやご自身が出演するYouTube、音楽といった幅広い方法で、昭和レトロな世界の魅力を発信されています。
現在は埼玉県比企郡鳩山町の「鳩山ニュータウン」に住む菅沼さん。ご自身のルーツであるニュータウンでの生活という原点に立ち戻りながら、住まいの一角を使った昭和レトロ感満載なコミュニティカフェ「ニュー喫茶 幻」や、ニュータウンの空き家等に実った果物を使用した「空家スイーツ」など、唯一無二のプロジェクトを次々と立ち上げています。
昭和レトロに魅了されたきっかけや、今の活動につながる紆余曲折のヒストリーについて、お話を伺いました。
心身が疲弊していた広告代理店時代、純喫茶で癒やされた
ーー菅沼さんは、「高度経済成長期と自身の関係」をテーマに、アートプロジェクトやYouTube、音楽といった幅広い方法で、昭和レトロな世界観を表現されているのが魅力的です。菅沼さんが「昭和レトロ」に魅了されたきっかけを伺えますか?
名古屋の美術大学を卒業した後、広告代理店に就職したんですが、仕事に忙殺されて、へとへとになってしまって。
そんな時、とあるミュージシャンの方のブログがきっかけで純喫茶に興味を持ちました。名古屋には純喫茶がたくさんあったので、実際に足を運んでみたんです。
最初に訪れたのは、ロアールというお店です。細い階段を上がって店内に入ったら、薄暗い店内の天井にはゴージャスなシャンデリアがかかっていて、建物の外から見る印象と全く違って、異世界のような雰囲気で。窓の外にはよく知っている横丁が広がっていたんですが、いつも見るのと違う角度から見たら、タイムスリップしてしまったように全く違って見えました。
哀愁が漂う雰囲気に癒やされて、すっかり純喫茶に目覚めてしまいました。
昔からもともと、古着や横丁、路地裏とか、レトロな雰囲気をまとうものが好きだったんです。純喫茶をきっかけに、高度経済成長期という時代全般が好きになって。
もっと昭和レトロを味わいたくなって、新築のオートロックマンションから純喫茶の上にあるアパートに引っ越して、転職して美大の助手になり、昭和からあるスナックでアルバイトもはじめました。
ーー昭和レトロに浸るために、お住まいやお仕事まで変えてしまったとは!何が、そこまで背中を押したんでしょうか?
それまで、サードプレイス的なものがまったくない人生だったんです。美術大学出身で友人も趣味嗜好の近い子が多かったし、会社は20〜30代が中心で同世代ばかり。純喫茶でお店の方や常連さんなど、いろんな世代の方々と喋ったりすることで、凝り固まった価値観が緩んでいく感じがしました。
仕事では数字に追われていた一方、純喫茶のコーヒーは、せいぜい一杯300円や400円。効率化とは程遠い経営システムにも癒やされました。
ーー若者たちが切磋琢磨し、大きなお金が動くであろう広告のお仕事と純喫茶とでは、お金や流れる時間の感覚も全然違いそうですね。
「好きなこと」が辛くなった
ーー高校卒業後は美術大学に進学されたとのことですが、表現やものづくりを生業にしていきたいという思いは、当時からあったんですか?
もともと、「概念を超えたビックリ表現を面白く届けること」が好きだったんです。例えば幼稚園で絵を描く時間に、画用紙から絵がはみ出しそうになったことがあって。先生に何枚も紙をもらって、紙をつなげて長い絵を描いたことが、すごく面白くて、何かにワクワクする原体験になりました。
ただ小学校や中学校に上がるにつれて、「ワクワク」よりも「上手に描こう」という意識が強くなってしまって。高校は美術科に進んだんですが、当時はすごく辛くて。クラスの子たちはみんな美術が好きで得意な状態で進学しているので、どんどん伸びていく一方、私は絵を描くことにあまり情熱を燃やせませんでした。
ーー好きでやっていたはずのことが、「好きなこと」と「できること」との間で、どこを目指したいのか分からなくなってしまった。
モヤモヤした思いを抱えたまま美大の油絵科に進学したんですが、もっと表現の枠を広げたいと思って、3年生でデザイン科に転科しました。
愛知芸術文化センターで開催された卒業制作展では、油絵や写真などを立体的に組み合わせて、横丁のような空間を展示しました。自分の価値観を作品として表現できたな、と当時の自分にとって自信にもなりました。
ただ、私はTOYOTAのお膝元でもある愛知県の豊田市のニュータウン出身で、小学校の頃は、仕事ってTOYOTAしかないと思っていたくらい、TOYOTA一色の環境で育ったんです。私の家もガチガチのサラリーマン家庭。学校を卒業したら絶対に就職しなければならないという価値観に縛られて、卒業後は当たり前のように、広告代理店に就職しました。
ーー美術で触れてきたのとは違う世界に足を踏み入れて。でも純喫茶に出会ったことで、自分の心にフィットする方向に軌道修正していかれたんですね。
普通の人の生活に、作品を届けたい
ーー広告代理店退職後のキャリアヒストリーを、あらためて伺えますか?
最初は美大の助手を務めながら、スナックでアルバイトをしました。60代のママが営む古いお店で、お客さんと昭和歌謡をデュエットしたりして。並行して、芸術活動も再開しました。
アーツチャレンジ2013ではスナックが屋台になった「まぼろし屋台」、あいちトリエンナーレ2013では空きテナントに純喫茶を再現した「まぼろし喫茶」といったインスタレーションを展示しました。
ーー昭和レトロの世界をご自身で作品として創り上げていかれたんですね。
そうした経験を通してプロのアーティストの方々と接する中で、もっと現代美術を学びたいと思うようになっていきました。
特に、作品展示をする中で、「あなたの作品は、昭和レトロ博物館と何が違うんですか?」「この作品を美術として語れますか?」といったつっこみをいただく機会が多々あって。
自分の作品はなぜ美術なのかをロジカルに言語化できるようになることが課題だと感じ、東京藝術大学大学院への進学を決意しました。藝大にはそうした専門教育もあったんです。
ーー菅沼さんのnoteでは、藝大時代のプロジェクト「ニューロマン」のことも紹介されています。インスタレーションに、映像に、音楽に。当時から既に、今につながる幅広い表現方法が花開いている印象を受けます。
実は大学院に行ったことで、「私は美術が好きではない」と気づいたんです……。
ーーえ、どういうことでしょうか!?
大学院にいたのは、根っからの美術好き。制作への情熱が高いのはもちろん鑑賞も好きで、朝から晩までギャラリーを巡っていたいというような人たちだったんです。一方の私は、昭和レトロや、現代美術作品を作ること自体は好きですが、ギャラリーや美術館を巡ること自体には、そこまで興味は持てなくて。
私が関心があるのは、美術館の中だけで見ていただく作品というよりは、もっと普通の人の生活に届けたい、ということなんです。
ーー菅沼さんは「生活芸術家」という肩書も名乗られていますよね。確かに菅沼さんが作ろうとされているのは、ギャラリーや美術館という箱の中を飛び越えて、人間の生き様やリアルな場所と共鳴するようなものなのかな、という印象を受けました。
特に現代美術は、「見てもよく分からない」というのが、普通の人の感覚かなと思うんです。それよりも、もっと気軽に楽しめて、びっくりできる作品を作りたいなと思っているんです。
現代美術の作家として生計を立てていくには、超お金持ちの人たちに作品を売る、というのが王道なのですが、私自身はちょっと違うやり方をしたいなと思って、模索しています。普通の人たちの生活に届けたいと思って、音楽やYouTubeにも取り組んでいます。
ニュータウンで自分のルーツに向き合いながら、次なるステップを構想
ーー現在は、埼玉県中部の鳩山町にある「鳩山ニュータウン」に住みながら、ご自宅の一角で、昭和レトロな雰囲気満載のコミュニティカフェ「ニュー喫茶 幻」を運営されています。鳩山町に移住したきっかけは?
実は鳩山ニュータウンは、高度経済成長期が終わってから作られたニュータウンで、私が生まれ育った豊田市のニュータウンにそっくりなんです。最初は全く行く気はなく、むしろ嫌だったんですが、藝大の先生でもあり建築家の藤村龍至さんから、「自分のルーツを作品にしてみることがいいと思いますよ」と背中を押されて。
自分が生まれたニュータウンには窮屈さを感じていましたが、それも、私が好きな高度経済成長期が生み出したもの。当時の人が「これがいい」と思って作り上げたのが、ニュータウンをはじめとする高度経済成長期のさまざまな産物なのだとしたら、ニュータウンに住むことは、それを解明する手がかりになるかもしれない。そう思い直し、移住を決断しました。
ーーご自身のルーツに向き合うということだったんですね。今の年齢になってあらためてニュータウンに住んだことで、子どもの頃と違った発見はありましたか?
私が小さい頃過ごしたニュータウンは、TOYOTAで働く親御さんたちが多かっただけに、高学歴で教育熱心で、子どもたちも塾で忙しく過ごしていました。一方、鳩山ニュータウンにお住まいなのは、現役をリタイアした70代くらいの方々。家もニュータウンに住んでいる人も年をとって、のんびりした空気が流れています。家賃数万円で庭付き一戸建てに住めて、自然が多くとても静か。四季折々の鳥や虫の声と共に過ごしています。
また鳩山ニュータウンは、都心から離れた陸の孤島のような場所にあるせいか、良くも悪くも自分のやったことの反響が見えやすく、スモールビジネスが始めやすいんです。
ーー菅沼さんは、鳩山ニュータウンの空き家等で実った果物を使った「空家スイーツ」も作られていますよね。
鳩山町コミュニティ・マルシェで一時期一緒に働いていた、焼き菓子作家の山本蓮理さんと一緒にはじめたプロジェクトです。マルシェは町興しの施設なので、委託販売できる商品を作るには、ご当地の素材を使わなければならない、という街の規定があって。山本さんと一緒に農産物直売所に行って、お菓子の材料になりそうなものを探していた時、ふとニュータウンの道路に柿が落ちているのを見つけたんです。
「これも鳩山産の食材だ!」と、空家スイーツを思いつきました。
ーー私も以前にマルシェで購入しましたが、びわや梅、キウイなど、果物の種類が想像以上にたくさんあって驚きました。お庭に実のなる木を植えているおうち、多いんですね。「スモールビジネスが始めやすい」とおっしゃっていましたが、空家スイーツを作ってみて、地元の方の反応はいかがでしたか?
応援してくださる方がたくさんいらっしゃいます。もともと空家に実っている果物を素材に作っていましたが、「うちの果物もあげるよ」というお声をたくさんいただいて。今は空き家だけでなく、住人がいらっしゃる家の果物も使わせていただいて、商品ラインナップが20種類くらいになりました。
空家スイーツの応援を生きがいにしてくださるおじいちゃんや、「孫への贈り物の中に入れたい」とマルシェに買いに来てくださるおばあちゃんもいて。嬉しいことが色々ありました。
ーー「うちの地元のお土産はこれだよ」と渡せるものがあるのって、いいですね。最後に、これからやってみたいこととして、思い描いている未来があれば伺えますか?
現在は、私の「ニュータウン編」の締めとして、SNSをメインにした作品を構想中です。
ニュータウン編の次なるステップとして考えているのは、「国際編」。特に、昭和レトロ好きで高度成長期真っ只中のタイに興味があります。
最終的には「旅立ち編」として、自分のお葬式を自分で作りたいですね。
まだおぼろげですが、自分のいいところ、やりたいことはなんだろうって、自分の価値観を整理しているところです。
「人々の生活の中に面白く届くびっくり表現」が、私のやり続けたいこと。自分のありたい姿を目指して大きく飛躍するために、野望に燃えています!
偏愛マニア探訪後記
小さい頃、紙をつなげて長い絵を描いた経験が、「概念を超えたビックリ表現を面白く届けること」の原体験になっているという、菅沼さん。
「好きなこと」と「できること」との間で揺れ動きながら、自分が素直にワクワクした原点を体現するために転科し、さらにはご自身が魅了された昭和レトロの魅力を届けるために大学院に進学されたり。
もともと画一的な価値観の中で生まれ育ったとおっしゃっていた中で、違和感を見逃さず、ご自身の心によりフィットする方向へ一歩踏み出す行動力に、惚れ惚れしました。
現在の「ニュータウン編」、次なる「国際編」、そして最後の「旅立ち編」。
人生をかけた冒険の中で、菅沼さんがこれからどんな表現を生み出していかれるのか、楽しみです!