人脈ゼロで、新規リモート案件を開拓。やりたいことは、移住でだいたい叶いました!【編集チーム/豊田里美】
フリーランス協会で働く人を紹介する「突撃!フリーランス協会の中の人」。
今回は、この記事が掲載されているフリーランス協会の公式メディア「フリパラ」の編集チームに所属している編集・ライターの豊田里美をご紹介します。
フリパラでは、人気の連載マンガ「フリーランスの歩き方」や映画レビューシリーズを担当しているほか、「スキルアップ・学び系の企画なら里美さん」という編集部内のざっくりポジショニングも。
3児の子育てをしながら、2つのメディアの編集部でしっかり自分の居場所を築き、ご縁や興味に応じた単発の仕事も充実させている豊田に、外部ライターが突撃インタビュー!
日課の4kmジョギングは貴重なインプット時間
──こんにちは。 里美さんは現在、福岡の糸島にお住まいで、ジョギングが朝の日課だと聞きました。今朝も走られたのでしょうか?
豊田:毎日4kmほど走るのが日課のようになっていて、今朝もそのくらい走りました。この週末に「福岡マラソン」という大会があるので、それに向けて調整しているところです。
──ジョギングを始めたのはいつごろですか?
豊田:東京に住んでいたころにダイエット目的で走ったことはありますが、いまほど走るようになったのは、福岡移住後のコロナ禍ですね。子どもたちがずっと家にいるので一人の時間がほしくなり、近所を走り始めたのがきっかけです。健康管理の意味も込めて、日課になりました。
──習慣にできたのは、走ること自体の楽しさもあったから?
豊田:ジョギング中はオーディブルやPodcastを聞くので、楽しいインプットの時間になっているのが理由の1つですね。小説からビジネス書まで雑多に聞きます。フリーランス協会のPodcast番組、「WHY ARE YOU~プロが惚れ込むクリエイターのXXX〜」も聞いていますよ。
それに、早朝に走ると「今日はもうこれで100点だ!」と爽快な気分になるんです。薄暗いなかから、少しずつ朝日が上るのが見えたりして。
フリーランスかつ在宅で働いていると、インプットに最適な通勤時間がなかったり、外の光を浴びずに気分が沈んだりするので、朝日を浴びてジョギングする習慣は体だけでなく、心の健康にもつながっていますね。
暮らしと仕事は還元しあう。仕事選びの軸
──お仕事の時間は決まっていますか?
豊田:朝7時ごろにジョギングから帰ってきて、朝食を準備して子どもたちを送り出し、夕食の準備も済ませてから、9時ごろに仕事を開始するようにしています。そこから、学童に通う末っ子を迎えに行く夕方5時までが仕事の時間ですね。
──改めて、里美さんのお仕事内容を教えてください。
豊田:フリーランスのエディター、ライターとして、編集と執筆を生業にしています。2つの編集部と業務委託契約をしていて、1つがこの記事が掲載されるフリーランス協会の公式メディア「フリパラ」、もう1つが教育・子育てメディアです。
その2つを土台に、あとは単発の案件が入ります。いま住んでいる福岡・糸島では子育て期の女性がゆるくつながって働くコミュニティがあり、そのご縁で仕事が舞い込むこともあります。
──仕事を選ぶ軸として、意識していることはありますか?
豊田:昔読んだ記事から参考にしているのは、一緒に仕事をする「人」と、対価としての「お金」、仕事の「内容」の3つのうち、2つ以上がいいな、と思ったら受けるというもの。
私、自分の半径数メートルほどの近さにあるテーマでないと、自分ごとにしづらくて。だからいまは、子育てや教育、移住や暮らしなどで自分が抱えるモヤモヤを企画にして、取材を通してそこに何らかの道筋が見えるような仕事ばかりになっています。
──たとえばどんな記事でしょう?
豊田:たとえば教育・子育てメディアでは、中学生の長男に対して、本当は広い心で「何があっても大丈夫だよ」と言えるおおらかな親でありたいと思いつつ、現実では成績を心配して小言を言ってしまう……という自分のモヤモヤが企画になりました。コーチングの専門家に話を聞いたことで、親の心のあり方を学べましたね。
はたまた、末っ子が保育園児だったときは、「節分の鬼が来るから保育園に行きたくない」と言われて、これは休ませていいのか、でも休ませたら逃げ癖がつくのでは?と悩んだのを記事にしたことも。子どもが3人いて年齢がばらけているのも、企画を立てるうえでプラスになっています。
一方「フリパラ」では、介護×フリーランスというテーマで記事を編集しました。
私は実家が遠方なので、「親の介護が必要になったらどうするか?」「きょうだいの中では自分がフリーランスで時間の融通がきくから、私が行ったり、呼び寄せたりするべき?」という問題意識があり、考え方のヒントを介護の専門家に聞きました。
──ちなみに、2つの編集部では里美さん以外のメンバーは東京近郊在住とのこと。働くうえでの支障はないですか?
豊田:頻繁に顔を合わせられないことで取りこぼしているものもあるかもしれませんが、自分が2つの編集部にいる価値としては、「東京に住んでいた経験があり、かついまは地方在住」で、他のメンバーと違う視点が持てていることなのではないかと感じています。
教育系の記事も、東京都内と地方では周囲の考え方、環境も大きく異なります。これからも、地方在住者として、角度を変えた企画を出すことで、編集部に貢献したいと思っています。
夫婦で在宅ワーク。ご機嫌で過ごすには?
──ご夫婦で在宅ワークだと聞きました。家事の分担など何か決めていることはありますか?
豊田:在宅ワーク夫婦ならではの分業としては、昼ご飯は夫が担当になっていることでしょうか。自炊に限らず、「今日はうどん屋に行こう」でも、「今日は冷凍食品に頼ろう」でもOK。時には「今日はちょっと余力あるからパスタを作るよ」という日もあります。毎日のことなので、担当がはっきり決まっているだけでも気持ちが違いますよ。
──仕事部屋は、それぞれありますか?
豊田:仕事部屋は1つあり、そこにお互いの机も置いてあります。ただ夫はコンサルタントという仕事柄、オンライン会議の機会がとても多くて。だから私はリビングや寝室の机で作業したり、カフェやコワーキングスペースに行ってみたり。
私は家の中でも場所を変えて仕事がしたいタイプで、逆に夫は自分の理想の仕事場をつくりあげてそこを動かないタイプなので、バランスはとれているかなと思います。
やっぱり文章が好き。SEから未経験で編集者へ転身
──そもそも編集や執筆の仕事に就いた背景は?
豊田:父が設計に関する技術職だったこともあり、小さいころから「好きなことを仕事にするのがいいよ」と言われて育ちました。
私は好きなことと言ったら読書くらい。文章を書くとたまに褒めてくれる人がいたり、大学では授業で書いたエッセイに「共感した」と話しかけてくれた子と仲良くなったこともあり、文章にはポジティブな印象がずっとありました。
また、なぜ執筆より編集かというと、大学時代の友人たちは個性的で自分の意見がしっかりある人たちが多く、「こういう人たちこそ、書く人だ!」と感じたから。自分はおもしろい人たちを発掘して伝える裏方として仕事ができたらいいな、と考え、編集という職業に興味をもちました。
──大学卒業後は、IT企業でシステムエンジニアとして就職されたとか。
豊田:編集者に憧れたものの、行きたい会社はどこも受からず、就職留年することになりまして……。次の年は、とにかく正社員になって東京で自立しようと、理念や人に惹かれたITベンチャーに入りました。
総合職でいろんな仕事をこなす自分は想像がつかなかったので、父の影響もあり専門性を積み上げられればと、システムエンジニアを志望しました。でもやってみたら私、全然プログラミングに向いていなくて!! 仕事ができない、どうしよう……と悩む日々でしたね。
──その後、どのように編集者になったのでしょう?
豊田:IT企業で3年間働いて、その間に結婚もしました。ひと段落したころ、やっぱり執筆や編集に関わりたいと思ったんです。そのときリクルートが未経験可の編集職を募集していたのを見て、応募しました。
リクルートでは契約社員として住宅情報誌の編集部に配属され、リフォームの雑誌をつくる仕事をしました。その後、子会社にて正社員へ。Webコンテンツの編集に携わりながら、2度の育休を取得しました。
エンジニア時代に自分のできなさを痛感していたからこそ、編集の仕事では認めてもらえたことがとても嬉しく、この仕事でしっかりがんばっていこう!と決意しましたね。
「やりたいこと、移住でだいたい叶うんじゃない?」
──フリーランスになったきっかけは?
豊田:直接のきっかけは、東京から福岡への移住です。ただそれ以前から、「いつかはフリーランスとして働きたい」と思っていました。編集者時代に、フリーランスの方と接する機会がたくさんあったからです。
企業では管理職になって現場を離れる人が多いなか、ある40代のフリーランスの方はお子さんを育てながら、現場で取材して書いていた。「自分の名前で仕事をしている」姿が、すごくかっこよくて。そのイメージがあったから、移住のときにフリーランスを選択できたのだと思います。
──そもそも、移住を決めた背景は……?
豊田:移住前は夫婦2人とも東京に暮らし、会社員として働いていました。ある日、読んでいた本をきっかけに、夫と2人でそれぞれの「やりたいこと」を書き出すワークショップをやったんです。壁にホワイトボードのシートを貼って。
「職住近接」「車がほしい」「自然に近いところに住みたい」「家族で語学留学」などいろいろな願望が出てきたのですが、眺めているうち、「これって、移住したらいろいろ叶うんじゃない?」という話に。
当時は3人目の子を妊娠中で、家族5人で暮らすには家が手狭であることが悩みでした。東京でも郊外に行けば3人を育てる物件はあるだろうけれど、長い通勤時間で子どもたちとの時間が減るのも嫌……。
このまま東京で暮らしていたら、後で「もっと子どもと遊んでおけばよかった」と、自分の子育てに後悔してしまう気がしました。夫の実家の仙台や私の実家の札幌に帰るたび、地方都市での子育てのしやすさを感じていたので、子育てもしやすく、自分たちのやりたいことも叶うなら、移住しようと決めたんです。
──そのタイミングでお2人とも会社員を辞めて独立されたのですね。
豊田:当時はコロナ禍前の2018年だったので、会社に聞いてみたものの、リモート勤務は不可との返答でした。かといって、移住先での転職活動も、3人目の子が生まれて保育園の状況もわからないなかでは難しいのではないかと思い、ならば移住を機に、いつかなりたいと考えていたフリーランスをやってみようと思いました。
夫も転職しようと思えばできたと思うのですが、もともと独立起業してやってみたい気持ちがあり、2人とも独立してやっていこうと決めました。夫は中小企業診断士の資格もあり、2人とも前職の会社と良好な関係だったので、「なんとかなるんじゃないか。もしうまくいかなければ移住後に就職すればいい、まずやってみよう」と話しました。
縁もゆかりもない土地で、ゼロから仕事の基盤をつくる
──ゆかりのない土地で、どうやって仕事を獲得していったのでしょう?
豊田:まずはつながりをつくろうと、市の広報誌に載っていたママライター講座に参加しました。講座の模擬演習でカフェ取材に行ったら、カフェのオーナーが糸島の観光誌をつくる編集長と知り合いで、紹介してくれたんです。初仕事はその観光誌の取材でした。
夫は夫で、いろんな集まりに顔を出して人脈をつくるなかで、仕事を増やしていました。私がフリーランス協会のことを知ったのも、夫が顔を出した何かの会で協会の人と知り合い、「こういう協会があるよ」と私に教えてくれたから。それでFacebookをフォローしたら「フリパラ」ライター募集のお知らせが投稿されていたので、即応募しました。
一方で、子育て・教育メディアは、完全に営業です。「東京から福岡に移住して、こういう仕事をしているので、『子連れ移住』をテーマに記事を書かせてもらえませんか」と問い合わせフォームに送ったのがきっかけで書き始めました。
──行動力……!
豊田:完全にゼロからのスタートだったので、失うものもないし、動かなければ何も始まらないという気持ちはありましたね。
私が尊敬するライターさんもセミナーで、「営業メールは真摯なものなら先方にとって迷惑でもなんでもないし、どちらかといえば嬉しいこともあるから、とりあえずやってみたらいい」とおっしゃっていて。「そうなんだ、じゃあやってみよう」と。自分で言うのもなんですが、わりと素直というか、単純なんです(笑)。
“正解”はないけれど、子どもたちはとにかく楽しそう
──移住後、生活はどう変わりましたか? いい面も気になる面も、リアルなところを聞きたいです!
豊田:夫と2人でワークショップをしたときに出てきた「やりたいこと」はだいたい叶いました。自然に近いところに住み、在宅で仕事をして、車も持って。
「やりたい」と思っていた生活は本当に「実現」しましたね。ただ環境を変えれば変えたで、また別の悩みも出てくるもの。たとえば教育面では私の場合、仕事で都心の中学受験事情の話をよく聞くので、地方との意識の差を感じて焦ってしまうこともあります。
でもひとつ確かなことは、気を揉む私をよそに、子どもたちはすっかりこの土地に溶け込み、想像していた以上にいきいきしていること。毎日のように友達と遊んだり、合唱コンクールで指揮者するんだ!とはりきったり、運動会での応援団に立候補したり。とにかく楽しそうです。
もし移住していなければ、ここまで全力で遊びや活動を楽しむ様子は見られていなくて、いまとは逆に「勉強ばかりでいいのだろうか?」と悩んでいたかもしれません。だから夫とも、「いますごく楽しそうにしているから、よかったんじゃない?」と話しています。
積み上げ思考をひと休み。価値観を広げた一年
──これからの展望や、チャレンジしてみたい仕事はありますか?
豊田:昔の目標だった「編集や執筆でフリーランスとして働く」が達成できたので、資格取得や大学院にも興味はありつつ、今後については迷い中です。ただ今年はその逡巡をいったんストップし、価値観を広げるべく、いろいろな人に会って、インプットする年にしよう!と決めて動きました。
子どもの教育に頭が行きがちで悩んでいたとき、仕事で会った複数の専門家の方が、「まず親が価値観を変えたほうがいいし、変えるには人と会ったり本を読んだりするインプットが大事」とおっしゃっていたんです。
そこで今年は親子での海外短期留学に始まり、いろいろな読書会に参加してみたり、コワーキングスペースの運営スタッフとしてボランティアで関わってみたり。何が起きるかわからない場所にたくさん参加してきました。価値観を広げた先で、来年改めて自分と向き合ってみるつもりです。
編集長を置かない編集チームだから、できること
──協会との出会いは、「フリパラ」ライター募集の応募でしたよね。
豊田:そうです。だから最初はライターとして参加していたんですが、しばらくして「編集チームに入ってみませんか?」と声をかけてもらい、いまは事務局メンバーの一員として関わっています。
──複数の編集部に関わってきたなか、協会の編集チームの「色」はどんなものでしょう?
豊田:協会の編集チームは、雑誌出身の人もいれば書籍出身の人もいて、出版社で働いていた人も、制作の現場でやってきた人もいます。フリーランスという共通項はありつつ、視点や興味が少しずつ違うので、持ち寄る企画にもそれぞれの色が出ていておもしろいです。
あとはやっぱりフリーランス当事者の集まりなので、一人ひとりが自律的に動けるカルチャーがあるのをすごく感じますね。
──具体的にはどんなところで、自律的なチームだと感じますか?
豊田:編集部にもいろいろあり、例えば企画を通すかどうかは編集長の一存で決まるようなカルチャーの組織もあると思います。それはそれで、媒体の軸がぶれないというメリットがあります。
一方、フリパラは、メディアの方針を「フリーランス当事者としてフリーランスに役立つ記事をつくる」と置いています。完全に「読者目線」なんです。一人ひとりが「こういう情報を載せたらフリーランスに役立つよね」という企画を持ち寄り、編集会議で全員が議論する。編集長不在でも軸がぶれないのは、当事者による当事者のための媒体だからだと思います。
──里美さんが、協会の編集チームに関わり続けるモチベーションは?
豊田:いまお話したカルチャーもそうですし、あとは単純に、編集メンバーそれぞれのやっていることが魅力的なんです。ダンスをやっているメンバーはそのつながりで、ダンスをしながらメンタルコーチをやっている方のインタビューを企画したり、管理栄養士でもあるメンバーは「自分まかない」という食のコラムを企画したり……。
自分がマレーシアに親子短期留学できたのも、親子ワーケーションを広げる仕事をしているメンバーが、あちこち飛び回っている姿を見ていたから。どれも、自分だけでは出てこない発想です。私は放っておくと内にこもるタイプなので、メンバーからいつも刺激をもらっています。
編集部のクールビューティーとの噂を耳にする通り、知的で落ち着いた語り口が印象的な里美さん。ただお話を伺ってみたら、3人子育てしながら見知らぬ土地でゼロから仕事の基盤づくりに、フルマラソン完走にマレーシア親子留学に……行動力と決断力の方でした! 内側の熱量たるや。
「動けば、変わる」を感じるエピソードの数々に、動こう!と背中を押された方も多いはず。里美さんが価値観を広げた先で、またシームレスにどんな“変化”を続けてゆくのかも、楽しみにしています!