ブランドPRと映画監督、異色のパラレルキャリアを続ける理由は? 映画監督・穐山茉由さんインタビュー
SDN48のメンバーとして活躍した元アイドルからライターへと異色のキャリアチェンジを遂げた大木亜希子さんの実録私小説『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』。インパクトあるタイトルがSNS等でも話題を呼んだこの小説の映画化作品が、11月3日から全国公開されます。
主人公の安希子(深川麻衣さん) は、元アイドル。現在はライターとして働きながら、「充実した仕事と私生活を謳歌する自分」を演出することに必死のアラサー女性です。ある日、精神的不調から会社を辞めることになり、「残高10万円、仕事なし、恋人なし」という“人生詰んだ”状態に。ひょんなことから赤の他人の“おっさん”、ササポン(井浦新さん)と同居することになった安希子は、他者との関わりの中で改めて自分を見つめ直し、成長していきます。
監督を務めたのは、穐山茉由さん。自身もブランドPRとして働きながら30歳で映画の専門学校に入学し、現在は“PRと映画監督”という2つの肩書きを持つという、劇的なキャリアチェンジを経験しています。そんな穐山監督に、異色のWキャリアを選んだ経緯や働き方について、お話をうかがいました。
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「できない部分」を克服すべく選んだPRの仕事
――映画『人生に詰んだ元アイドルは、 赤の他人のおっさんと住む選択をした』を監督することになった経緯を教えてください。
穐山茉由監督(以下、穐山):最初はプロデューサーから、この原作を読んでみてほしいというお話があったんです。結構インパクトのあるタイトルなので、発売当時、私もTwitter(当時)などで見て印象に残っていました。実際読んでみると、30代手前で訪れる悩みは私自身も思い当たるところがありましたし、元アイドルがセカンドキャリアでもがく様子を、かなりリアリティを持って、痛々しいところまで見せてくれていることに心を動かされ、映像化するならぜひ自分が監督をしたいと素直に思いました。
――ご自身の経験を反映させた部分はありますか?
穐山: 30歳手前ぐらいで感じる特有の悩み――仕事はある程度身に付いたけど「このまま続けていくのかな?」という疑問を自分も感じていたことを思い出しながら撮りました。30歳手前頃って、がむしゃらに働いていた段階から、少し全体が見えてきて、余裕が出てくる。一方で周りを見ると、同じスタートラインから始まったのに、いろいろと結果を残している人がいて、その人を羨ましく思ったり、自分に足りない部分を比べてしまったりする時期でもあると思うんです。また、結婚など人生の大きなイベントを経験することが増えるポイントでもあると思いますし、いろんなものがのしかかってくる年齢ですよね。その頃の自分を思い出してみると、俯瞰して自分を見られない、もがいている最中だったなと思います。
――新卒の頃からブランドPRの仕事をしているのですか? そこから映画監督を目指すことになるきっかけは?
穐山:新卒の時は、洋服のデザインなど、制作からいろいろと請け負う作り手側の仕事をしていました。でも、思い描いていたいものと、そこの会社とのギャップを感じて、半年で辞めてしまったんです。その後、入社したのが今PRをしている会社の前身です。
30歳手前になり、自分なりの強みみたいなものは、少しずつ理解できるようになってきてはいたのですが、それでもやっぱり、自分ができないことのほうが気になってしまい、悩んでいました。
――“できないこと”というのは?
穐山:もともと、言葉で何かを説明することやコミュニケーションを取ることに苦手意識がありました。
――PRの仕事は、まさにそういうことが得意な人が集まっているイメージがありますが…。
穐山:克服したいという気持ちもあって、できるだけそういうスキルが必要な仕事をしていたところがあります。私はどちらかというと、職人気質な人と話が合うタイプで、ファッションのPRの現場だと、たとえばスタイリストさんなどとのコミュニケーションは円滑にできるという自覚はありました。その人の持っているクリエイティビティなどを汲み取りながらコミュニケーションを取ることが好きだなと感じていたので、そんな自分の得意なものと、他に求められるコミュニケーション能力とのギャップみたいなものには、すごく悩んでいました。
様々な物作りにトライした結果、映画作りが一番面白かった
――30歳で映画学校の夜間コースに入学し、会社員をしながら映画を学び始めたそうですが、ご自身の強みを生かした他の道があるのではと模索した結果ということでしょうか?
穐山:単純に物作りがしたいという気持ちも、どこかにずっとあったと思います。デザイナーがデザインしたものを広めていくPRもすごく楽しい仕事ではあるのですが、やっぱりどこかで「ゼロから作りたい」という気持ちもあって、何か別のもので実現できないかと思ったことが、きっかけでしょうか。映画作りの経験はまったくなかったのですが、観るのは以前から好きでしたね。純粋に「物作りがしたい」という気持ちでいろいろやってみた中で、映画作りが一番面白いと思えたので、続けてみることにしたんです。
――映画監督というと、いろんな人を引っ張っていく“指揮官”というイメージで、それこそ、先ほどお話しくださった苦手な分野の職業だという気がするのですが…。
穐山:たしかに、人がたくさん関わりますし、スタッフには男性が多いですし、コミュニケーション能力は必要ですね。“映画監督”というと、やっぱりみんなを引っ張っていける風格があって、ちょっと圧のあるタイプで…というイメージを持たれる方が多いと思いますが、実際やってみると、結局はチームで作るものなので、いろんなやり方があっていいと思いました。もちろん、監督は全てジャッジして決めていく役目ではありますが、他のスタッフの力を引き出していくというか、いい仕事をしてもらうのも監督の仕事なので、独裁者であればいいわけではないんだなと思ったんです。そこは会社員の仕事も同じなので、私なりのやり方で表現していくこともできそうだなと思いました。
――映画監督は、すぐにお金になるような仕事ではないですよね。映画作りを学ばれていた時から、明確に「もう一つのキャリア」として位置づけていたのですか?
穐山:最初はまず映画作りというものを体験して、「勉強したい」というところから始まりました。でも、作品を作って、観た人からいろんな反応をもらううちに、「もっといろんな人に届けたい」「この人は分かってくれなかったけど、きっと分かってくれる人もいるはず」という気持ちが湧いてきたんです。様々な人に観てもらえるような、自分の代表作を撮りたいと思うようになり、映画監督を仕事にしようという気持ちに繋がっていったのかなと思います。
「社会人としての基本」が映画作りの役に立つ
――商業映画デビュー作の『シノノメ色の週末』が第31回日本映画批評家大賞「新人監督賞」を受賞するなど、映画監督としてのキャリアも順調に積み上げている今も、PRのお仕事も続けてらっしゃいますが、業務委託やフリーではなく、契約社員だそうですね? 映画監督は不安定な仕事なので、もう1つ収入源を確保しておくというお考えも?
穐山:それも実際はありますね。やっぱり、映画監督だけで生計を成り立たせていくって、今の日本の映画業界だとなかなか難しいこと。変えていくべき部分ではありますが、実際、今の環境では難しい。他の映画監督の中には、完全に会社員を辞めて、映画以外の映像作品を撮りながら続けている人もいらっしゃるので、そういう方法も考えました。でも、私は結構社歴も長いですし、培ってきたキャリアもあるので、両立できるのであれば、そちらを生活のベースにしつつ、映像作品は自分のペースで作っていくという方法を選択しました。
――今は週2日でPRの仕事をされているそうですが、在宅ではなく出勤されているのですか? 残りの5日で映画監督の仕事を?
穐山:2日は出勤しています。残りの5日は、たとえば、今の時期は取材対応のような映画の宣伝活動用にスケジュールを空けていたり、次回作の開発に当てたりしています。「これをやる」と決まっている仕事ではないので、インプットを増やすとか、脚本のプロットを書くとか、そうした具体的な作業もあれば、そうでないものもあります。実際に映画の撮影が決まると、ロケハンや打ち合わせなどの予定がいろいろ入ってくるので、配分はその時々で変えますね。
――映画を撮っている間、PRの仕事は?
穐山:今回の映画の撮影中は、事前に会社に話をして、まるっと休みを取っていました。
――両方ともフィジカルでもメンタルでもハードな仕事だと思いますが、バランスを取るために気をつけていることは?
穐山:忙しい時期がバッティングしてしまう時は、優先順位をしっかり決めるようにしています。あとは、交渉ですね。ある程度、私のパーソナルな部分も含めて説明して、会社に理解してもらう必要があると思っています。
映画の撮影は予算との兼ね合いもあるので、「この内容をこの予算で、この日数で撮りきる」と決断するのも監督の仕事。長時間労働になると、結果的にいいものを目指せなくなることがあるので、皆がいい仕事をできる環境が絶対に必要だと思います。今回、撮影はベテランの猪本雅三さんにご担当いただいたのですが、少し前にご病気をされていたので、「できるだけ負担のない現場を作ろう」をモットーに撮影を進めたんです。そうした事情があってようやく具体的に動けたなと感じたので、本来であれば特別な事情がなくてもジャッジする立場にある人が意識的に改善していく必要があると思いました。
――映画監督とPR、“二足のわらじ”を履くことで、それぞれの仕事への影響はありますか?
穐山: PRの仕事というより、たとえば「部下を信頼して自分ひとりで仕事を抱え込まない」とか、「人に伝えるにはどうしたらいいか」といった社会人としての基本的な部分が映画監督としても役に立ったと思います。自分の感情との客観的な切り分けも、いい作品を撮るために必要な部分だったりするので、会社員経験は役に立っていると思います。
また、映画を撮ることで作り手の気持ちや物作りを理解し、その上でPRの仕事をすると、新しい発見があります。たとえば、この商品がどのようにして作られたのか、商品になるまでにどんなストーリーがあったのかなど、より深く感じられるようになったので、相互にプラスに作用していると思います。
――しばらくは映画監督とPRの両方を続けていく予定ですか?
穐山:そうですね。映画や映像をどのぐらいのペースで撮っていくのかは、その時々によって変わるものなので、どういう形でやっていくか未来は分からないと思いますが、今の作品作りのペースで、会社のほうにも私のポジションを求めてもらえているのであれば、できる限り続けていきたいと思っています。
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