【感謝という気持ち】#4 お姉ちゃん

お姉ちゃんへ

いつもありがとう。


この感謝シリーズも早いもので4回め。
4というのは往々にして縁起の悪い数字とされることが多いわけで、ミスタも4を毛嫌いしていたわけで、富良野は寒いわけで、お前が好きなわけで、と野田洋次郎も歌っておりました。

ママ、お父さん、弟への感謝をひと通り終え、いったい次は誰にありがとうを伝えたらいいんですか、いんですか……と悩みただれていたわたしの脳裏にある種の天啓のように、


待って、まだお姉ちゃんにありがとうしてないじゃんっ!!


という考えが過ぎったのは、朝7時からループで聴き続けてる『いいんですか?』がいよいよ240周めを迎えた、夜11時のことでした。

思い返せば(思い返すほど回を重ねてないけれど)第1回から家族にひとりずつ順に感謝しているわけですから、お姉ちゃんをスルーしてしまうなど本来起こり得ないのです。

しかし何を隠そう、わたしのお姉ちゃんは既にケコーンしており(今どきの若い子たちってケコーン汁とか知らないんだろうね。かく言うぴのちゃんも2000年生まれなのでギリ今どきの若い子たちに含まれると信じています)実家を出てしまっているうえ、次女であるわたしとはどうも性格が合わず4年近くまともに会話をしていない(また4が出てきたよ!)ということもあり、感謝の対象からにゅるっと外してしまってたってわけ。


とはいえ、いくら性格が合わないからって、会話を断つなんてさすがに大人気なさすぎない?


というお叱りには、たいへん肝が冷え右乳うちちしぼみます。

早いものでわたしも今年で24歳。

干支を2周もする間に出会いと別れを繰り返し、ひとりで脱毛屋さんに行くことにも自分のお金でデパコスを手に入れることにもようやく抵抗感を抱かなくなってきた今日この頃。

すっかり大人であるわたしは長らく仲違いし続けているお姉ちゃんに自ら歩み寄ってあげようという姿勢を見せているものの、なんとお姉ちゃんのほうが意固地になって、あらゆる連絡・通信手段において妹をブロックしているというのです。

悲しいです。

辛いです。

もうじき28歳を迎えようというのに、なんてしょうもない意地。
わたしと見た目はかなりそっくりなのに中身は大違い。
お姉ちゃんなんてただのでっかい赤ちゃんです。

芥川龍之介は28歳の頃、『杜子春』を書いてたんですよ??
自分と龍之介とのマリアナ海溝チャレンジャー海淵とオリンポス山の山頂ほどの差を、茎わかめのようにしっかりと噛み締めて悶え苦しんでほしいものです。



危ない危ない。
わたしまで子どもみたいにムキになってしまうところでした。

わたしもわたしで最近ごはんを食べながら寝ちゃうことがあるので、あなたこそでっかい赤ちゃんでしょと言われれば否定のしようがありません。

とはいえわたしには赤ちゃんなりの理性というものがありますから、お姉ちゃんを罵倒したい気持ちはそっと心の古本市場へと売り飛ばし、本稿のテーマに沿ってちゃんと感謝の気持ちを伝えたい所存。

しかしながら先述の通り近年はお姉ちゃんとコミュニケーションすらとっておりませんので、感謝の対象となる事象は必然的に昔日の思い出に限定されます。


んー、お姉ちゃんにいちばん感謝してること、ね……なんだろ……


ま、あれかな。
わたしの「好き」を、絶対に否定しないでいてくれたことかな。


わたしと言えば筆名をわざわざ「ぴのこ」とするくらい無類のきのこ好き。

今やきのこグッズを定期的に集め胞子を定期的に吸入しないと全身の汗と鳥肌が止まらなくなるキノカスとして名を馳せているわけですが、幼き時分にはたいへん肩身の狭い思いをしたものです。

小学生の頃、わたしと同年代の女の子たちは全員ひとり残らず『プリパラ』が大好き、また男の子たちは全員ひとり残らず『超速変形ジャイロゼッター』が大好きであったことは論を俟ちません。

そんな中わたしはどちらのコンテンツにもさして興味を示すことなく、教室の片隅できのこ図鑑を紐解いてはニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ、「じゆうちょう」のページは捲れど捲れど自作のきのこのイラストばかり。

当時のわたしはいつもこんな調子だったもので(←『今夜はブギー・バック』じゃん!)、クラス替え後ほどなくして四面楚歌状態に陥り、浴びせかけられる罵声に、投げつけられる黒板消しに、押し付けられる残飯に怯えながら、ランドセルを抱えて泣き伏していたのでした。


そんなわたしにとって唯一の心の拠り所だったのは、おうちに帰ってお姉ちゃんに話を聞いてもらう時間だった。


帰宅するなりランドセルと黄色い帽子(の呼び方って、なんか地域によって違いそう!)を放り出し空の水筒をシンクに置き去りにして、わたしは足早にというか爆速で自分の部屋へと向かいます。

自分の部屋といっても、小学生のわたしは当時中学生のお姉ちゃんとひとつの部屋を共有していて、それぞれの勉強机に挟まれた大きな姿見を境に姉妹の占有スペースが分かれるというルールで運用されていたのですが、そんなルールなんて赤信号と同じように無視しちゃえばいいのです。
※信号無視は大変危険です。良い子も悪い子もくれぐれも真似をしないようにご注意ください。

わたしは勝手に境界を越えお姉ちゃんゾーンに足を踏み入れ、お姉ちゃんがバトントワラー部(トワラーって何!?)の練習や東進ハイスクール(ハイスクールって何!?)での授業を終えて帰宅するまでの数時間、本日のトークをさながら飴職人のように練りに練って練りまくるのでした。

そうして練られることで圧倒的なコシととろみと物心をつけたトークは基本的にわたしの抱く浮世への瑣末な疑問──例えば、どうして理科室の床だけ緑色なのか、ABCスープの正体、サービスエリアで働いている人はどこから通勤してきてるのか、などなど──に基づいていたわけですが、それらと同じくらい、きのこに関する話題が多く登場しました。

きのこの話のときだけ一時的に、わたしは上沼恵美子さんや伊集院光さんに勝るとも劣らない圧倒的なべしゃりを繰り出すことができます。
きのこの種類、きのこの産地、きのこのレシピ、毒きのこの知識──わたしの皺ひとつないパイパン脳味噌にギチギチに詰め込まれたきのこの記憶が、言葉となって解き放たれ、それは喉が絶頂き声帯が膿むまで止むことはないのでした。 


その狂瀾怒濤のきのこトークに、お姉ちゃんは黙って耳を傾けてくれていました。

ただ、じっと。


時折相槌を打ち、ごく稀に「へえ」「すごいじゃん」「わぁお」「よー知ってんね」と4パターンしかない生返事(また4が出てきてる!)(てか生返事って、どうして「生」って付くわけ?えっちな意味??)を放つ以外、何もせず、ただひたすらに黙ってわたしの話を聞いてくれてた。

や、たぶん聞いてもなかったんだろうな。

右耳から入ってくるわたしの話を左耳に受け流してただけだったんだろうな。ムーディ勝山さんはお姉ちゃんのことを歌ってたんだろうな。ムーディさんといえば今年は「サブマごり押し」で出場されてないのかな。


まあ、当時のお姉ちゃんがわたしの話を聞いてたか否かなんて、別にどうだっていいのです。
ムーディ勝山さんをリスペクトしているという触れ込みで2回か3回ほどエンタに出演されていたセクシィ松山さんの現在と同じくらいに。

いずれにしても、わたしの好きなものを肯定も否定もしないお姉ちゃんの存在は、わたしにとって、わたし自身が認識してる以上に、大きかったんだって今になって思います。


わたしの好きに一切関与も干渉もせず、お姉ちゃんは、ただそこにいる。

だから、わたしもこのままでいいんだ。

誰かに好きを合わせたり、自分の好きを隠したりしなくていいんだ。きのこが好き。それでいいんだ。


だってこんなにも近くに、わたしがきのこを好きなことに対して微塵も関心を持ってない人がいるんだもん。

お姉ちゃんでさえこれなんだから、たまたま同じ年に生まれてたまたま近所に住んでてたまたま同じ教室に集められてるだけのともがらたちに、わたしの好きなものが何か影響を及ぼしたり害を与えたりすることなんてあるわけないじゃん。

周りのみんなが何を言ってこようと、わたしの人生にはなーんも関係ないじゃん。


孤独を感じてしんどくなったときは、いつもそうやってお姉ちゃんを召喚して、自分を慰めることができました。
(自分を慰めるって、変な意味じゃないんで、嫌いにならないでね)













 最近思うんです。


お姉ちゃんと仲が悪くなって、ぜんぜん会話しなくなっちゃったのは、わたしに原因があるんじゃないかって。


原因っていうか、わたしがお姉ちゃんを必要としなくなったってことなのかなあ、って。


成長して、わたしはわたしの好きなものを、包み隠さずはっきりと好きと表明できるようになった。

きのこが好きで、マイメロディが好きで、えっちな話が好きで、筒井康隆が好きで『NARUTO』が好きで『寄生獣』が好きで禁断の多数決がマキシマム ザ ホルモンがORANGE RANGEがBEAT CRUSADERSが好き。

ぜんぶにちゃんと胸を張って、心から好きって言えるようになった。

鏡の中に架空のお姉ちゃんを作り出して沈黙による承認を受けたりなんかしなくても、わたしはわたし、たったひとりの力で、自分の「好き!」って気持ちにちゃんと素直になれるようになった。


ある日、気がつけばお姉ちゃんは、わたしの前から姿を消しました。


お姉ちゃんは好きな人とケコーンして家を出ていっちゃったんだ。

当時はそう思い込むことで自分を納得させようとしたけれど、今になって思えばあの時、わたしにはお姉ちゃんが必要じゃなくなったのです。

まあ、お姉ちゃんを呼び出すのに使っていた姿見を引越しのときに処分してしまったからという噂もまことしやかに囁かれてはいるけれど、それは言わないお約束。


お姉ちゃんへ

わたしを、自分の好きって気持ちにまっすぐに向き合わせてくれて、ありがと!

24歳になった今でも、朝テキトーにメイクしながら鏡を見つめてふいに「ああ、お姉ちゃんってもういないんだ」って思ってほんの少し……や、ぶっちゃけだいぶ寂しい気持ちになることがあります。

まあ、ギャラガー兄弟の不仲により解散したオアシスも再結成したことだし、わたしにもいつか、お姉ちゃんと〝仲直り〟できる日が来るといいな。


我が妄想力の限界を思い知った、勃夏ぼっか、26℃だと寒いけど27℃だと暑い自室にて。

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