拝啓

散々禁断の多数決が好き好き大好きとアピールしておきながらこれまでほげちゃんの引退にあえて積極的に言及しないことで、ほげちゃんの引退という事実からわたしは目を背けようとしてきました。

と同時に、ほげちゃんのことを長いこと応援してきたわけでもないわたしみたいな人間が、引退に託けていきなりなんやかんや知ったように書くのってどうなんだろう……?
っていう違和感が、実を言うとかなりあったの。

あるいはその違和感を口実に、
「わたし、ほげちゃんが引退しちゃっても寂しくなんかないです!ほげちゃんが新たなステージへと進まれるのを、ただただ楽しみにしてますっ!!」
とかって、かっこつけて強がってるだけなのかも。


失礼を承知であえて言うならば、わたしは禁断の多数決以外のほげちゃんのことをほとんど何も存じ上げません。

禁断未満のほげちゃんや、ほげちゃん未満のほげちゃんのことは、わたしは知らないのです。

わたしがほげちゃんの存在を知ったのなんて本当にごくごく最近(禁断の多数決以外のほげちゃんを知らないとか書いたけど、そもそも禁断を知ったのだってたかだか2年ちょっと前)で、直接お話ししたことはないし主催イベントに参加したことすらないくせにこんなふうに長々と書いてしまうのは、やっぱりすごく変な感じ。

わたし自身そんなつもりは一切まったくないから言うんだけど、なんか、引退に寄せてわざわざこうして文章を書くことによってあわよくばほげちゃんからの承認や認知をもらえるかも、みたいな、引退を利用してただ自分の承認欲求を満たしたいがために書かれた浅はかでいやらしい文章っていうふうに、特に長年ほげちゃんを応援してきた方々から思われたって仕方ない気がする。

でも、

だからってまったく言及しないままというのは、表面的に見ればただほげちゃんの引退をスルーしているだけであって、それはわたしにとってはたいへん不誠実……

ごめんなさい、ほげちゃんは「誠実」という言葉が嫌いなのでしたね。
言い換えますと、

「まこと」にあらざる行為な気がしたのです。

もともとただの自己満足のために始めたnoteですから、まあ多少は好き勝手に書いたって怒鳴られはしないはず。


拝啓

わたしは禁断の多数決が大好きなだけの一般人です。

禁断の多数決という音楽集団において、その中心にいるのはほうのきさんやはましたさんたちなのだろうけど、みんなを繋ぎとめる引力を生み出していたのは間違いなくほげちゃんだったと、わたしは勝手に思っております。

「渋谷の禁断の多数決」でも、あれほど個性も衣装も歌声もバックグラウンドもバラバラな19人のステージが奇跡的に成り立っていたのは、そこにほげちゃんがいたからでした。

ほうのきさんやはましたさんたちの創り出す禁断的エネルギーを、パフォーマーとしてボーカリストとして、天使のシャドーダンサーとして、あの場で誰よりも体現して解き放っていたのがほげちゃんでした。

ただの妄想だけど、もしあのときあの19人が急にまったく知らない新曲を披露したとしても、わたしは「ああ、禁断の多数決だなあ」って、安心して見れたと思う。
なぜならほげちゃんがいるから。

「ほら!私もあなたも禁断の多数決だよ!」

って、みんなの手を引いて連れてってくれるほげちゃんの姿を、あの日わたしはステージの上に、勝手に見ていました。

禁断の多数決はこれからも続いていくと信じてるし、ほげちゃんのミュージックは唄い繋がれていくと信じてるけど、ほげちゃんのいる禁断とほげちゃんのいない禁断との間には小さくはない変化が生じるはずで、禁断の歴史の1ページに「ほげちゃんのいた時代」っていうのが確実に刻まれることになるはず。

しつこいようだけどわたしは禁断の外側にいるほげちゃん像をそもそも知らないから、禁断のステージを見ても「ほげちゃんって子がもともといて、その子が禁断の多数決というグループに参加してる」という見方はどうしてもできなくて、だから、こんなふうにすごく狭い視野でしか見れないし、それゆえにこんなにも独善的な感想を抱いてしまうのかも。
ごめんなさい。
何卒ご容赦賜りたく存じ上げる所存にございます。


んー、

何を伝えようかすごく迷っていて。

「お疲れさまでした!」なんて偉そうなことを言える立場じゃないし、

「ありがとう!」って言葉はすごく便利だけど、わたしの中に感謝の気持ちを伝える語彙がこれ以外にないせいで、満を持して言いました!みたいな感じになると一気に薄っぺらくなっちゃうし、
てか感謝の気持ちなんかあたりまえにありすぎてるし。

と、いろいろ考えたあげく、ひとつだけお伝えしたい言葉が見つかりました。


ほげちゃん、

またお会いしましょう!


明日からほげちゃんがほげちゃんじゃなくなってしまったとしても、

そのうちわたしがわたしじゃなくなったとしても、

いつか禁断の多数決が禁断の多数決じゃなくなってしまったとしても、

宇宙の仕組みが変わったとしても、

それでも必ず、

宇宙のどこかでまた会えると、わたしは信じています。


バイバイはバイバイでも、
𝑮𝒐𝒐𝒅𝒃𝒚𝒆じゃなく𝑺𝒆𝒆 𝒚𝒐𝒖 𝒂𝒈𝒂𝒊𝒏だったらいいな。

それもまた身勝手な妄想なんだけど。

どうかお元気で!

おやすみなさい😌💭


敬具(←使い方あってる???🤔)

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