エクスの画家、セザンヌがすごかった点

天才ピカソが尊敬した近代絵画の巨匠ポール・セザンヌは、南フランス、エクスアンプロヴァンスの出身。人生の大部分を故郷エクスで画業に没頭して過ごし、アトリエで描いた静物画やサン=ヴィクトワール山の風景など、いずれも現代に向かって絵画を革新する作品を創出し続けました。これは今や教科書に書いてある絵画史上の偉業を成し遂げた凄さですが、今日は人間セザンヌのすごさについて考えたいと思います。

セザンヌは天才か?

ではセザンヌは天才か?というと実はそうでもなかったのではないかと思います。初期の絵を見ると、デッサンはぐちゃっ、筆致はぼてっ、技術的には下手と言われても仕方ない感じで、正統派の美術の先生には絶対に褒めてもらえなそうです。実家のバスティッド(プロヴァンス風の邸宅)で制作した「アングル風」の壁画は、なんとも可愛らしい作品で、全然アングルっぽくないです。成功なのか失敗なのか、判断がしにくいところですが、これは後に譲ります。ともかく当時のパリの画壇では、殆ど認められず、作品もまったく売れませんでした。

売れない画家セザンヌ

南フランスの自然を愛したセザンヌは、パリで出会った内縁の妻と一人息子を残して早々にパリを離れ、故郷エクスで創作に打ち込みます。幸い実家は銀行家だったので、父の援助により作品が売れずとも暮らしていくことは出来ました。現代的な基準からこれだけ見ると、ダメダメな社会人です。

セザンヌのすごかったところ

セザンヌのすごかったところは、世間の評価を気にしなかったところです。誰も自分の絵を欲しがらない、というのは画家としては絶望的な状況だと思います。そんな時にセザンヌは「りんご」で世間をあっと言わせてやる!と豪語しつつ、アトリエでりんごにポーズさせるかのごとく画面を構成した静物画を制作し続けています。後世には本当にりんご1つに1億とか、りんごが3つ描かれていたら3億、くらいの値段がつけられるようになったのです。

人物画は苦手だったので、ポーズを取るのは家族などのごく身近な人に限られました。村人にカード遊びをするポーズを取らせて制作に当たった際にも、あまりにもポーズの時間が長くモデルが文句を言い始めると、いずれ君たちの姿を世界が羨望の眼差しで眺めるようになるんだから我慢しろ、となだめるエピソードあります。確かに、そのシリーズの作品は現在、美の殿堂パリのオルセー美術館やニューヨークのメトロポリタン美術館に展示され、世界が彼らに見惚れるようになりました。

自分を信じる力

しかし、自分の信じる絵画を追求し続けたセザンヌに、確実な1世紀後のヴィジョンがあったのでしょうか?そうではなかったはず。どういう脳内構造だったのかはわからないのですが、自分のやっていることの価値を信じる、自分の使命を明確に決めて信じる力、続ける力が並はずれて備わっていたのだと思います。

セザンヌが教えてくれた「自分のやっていることの価値をとことん信じて進む」は、誰にとっても大切なことだと思います。あなたを今、必要としている他の誰かのために、あなた自身のために。また時間と場所を超えて、もっと遠くの人々のために。


エクスの邸宅美術館、コーモン館

セザンヌの故郷エクスの街にある18世紀の邸宅を改修したコーモンアートセンターには、作品はありませんが、彼の画家人生を辿る映画仕立ての映像が見られます。面白いのは役者演じるセザンヌがエクス訛りだったりする人間的な臨場感。巨匠をイキイキと身近に感じられます。


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