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KINO-禊の湯浴み(仮)_01
*文中の神社、祭祀、温泉地は実際の名前を使用していますが
内容は全てフィクションとなります。
実験的にアップしている作品のため、内容についてはご容赦願います。
【登場人物】
・水鏡 汐里:出版社の編集者兼ライター
・西園寺 美咲:城崎温泉の伝統工芸「麦わら細工」の若手女性職人
汐里の大学時代の同級生
・松永 孝太郎:麦わら細工職人
・黒岩:地元の有力者、建設会社社長
・神崎 翔太:10年前に諏訪の取材中に失踪した汐里の大学時代の先輩
第一章:湯煙に揺れる影、微かな水神の気配
「助けて…」
受話器越しの美咲の声は震えていた。
絞り出すような悲鳴は水鏡汐里の鼓膜を突き刺し、普段の彼女からは想像もできないほど弱々しく、恐怖に満ちていた。
微かに混じる背徳を纏う甘い吐息が、汐里の奥底に眠る熱く爛れた何かを
微かに震わせた。
「どうしたの、美咲? 何があったの?」
汐里は平静を装いながら問いかける。しかし、その声は普段の彼女にはないほど、硬く、強張っていた。自分自身の心の内のざわめきを隠すように。
「師匠が… 松永さんが… 消えた…」
美咲の言葉に、汐里は息を呑んだ。松永孝太郎… 城崎温泉で長年、麦わら細工の制作に携わってきた、熟練の職人。そして、美咲にとっては父親のような存在でもある。
「落ち着いて、美咲。詳しく話して」
汐里は、美咲をなだめながら、状況を聞き出そうとする。
「…昨日、工房に行ったんだけど… 誰もいなくて… 作りかけの細工と…
それから… 変なメッセージが残されてたの…」
「メッセージ…?」
「…『四所神社の神が呼んでいる、例の場所で待つ』って…」
四所神社… その名前を聞いた瞬間、汐里の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。四所神社は、城崎温泉の守護神として、古くから信仰を集めている神社だ。そして、そこには、ある秘められた伝説が伝えられている…。
その伝説が、彼女をこの地へと引き寄せた。
「…美咲、すぐにそっちに行く。詳しい話は着いてから聞かせて。」
汐里はそう告げると、急いで電話を切った。
時を同じくして、汐里が編集とライターを務める出版社では、彼女が担当する連載コラム「全国の温泉地を巡る」の新企画が動き出しており、
編集会議で汐里は、第一弾の取材地として城崎温泉を提案していた。
「城崎温泉は、1300年以上の歴史を持つ関西を代表する名湯です。
志賀直哉をはじめとする文豪たちにも愛され、近年では七つの外湯めぐりが若い女性にも人気を集めています。」
汐里は企画書を手に、そう熱弁を振るう。
「でも、城崎温泉なんて、ありきたりじゃない?
もっと、秘境の温泉とかの方が、読者の興味を引くんじゃないかしら?」
同僚の女性編集者が懐疑的な声を上げる。
「確かに、城崎温泉は有名です。しかし、その知名度の裏には、まだ知られていない魅力がたくさんあります。例えば、城崎温泉には、『麦わら細工』という伝統工芸品があります。色鮮やかに染められた麦わらを幾何学模様に貼り合わせていく、非常に繊細な細工物です。近年では、若手の女性職人も活躍しており、新たなファンを獲得しつつあります。」
汐里はそう言って、美咲が作った麦わら細工の写真を会議の参加者に見せた。
「…これは、確かに興味深いわね。」
編集長が写真を見つめながら、呟くように言った。
「それに、城崎温泉には、古くから伝わる、不思議な伝説もたくさんあります。私は、そういった、城崎温泉の歴史や文化、そして人々の暮らしを、
丁寧に取材し、読者に伝えたいと思っています」
汐里の熱意が伝わったのか、編集長は、小さく頷いた。
「…わかった。水鏡さん、あなたの企画を採用しましょう。ただし、読者の興味を引く、面白い記事を書いてちょうだいね。」
「はい、ありがとうございます!」
汐里は、満面の笑みを浮かべた。しかし、その心の奥底には別の感情が渦巻いていた。美咲のこと、松永のこと、そして、四所神社の伝説… それらが、複雑に絡み合い、汐里の心を重くしていた。そして、微かに疼く、自身の奥底に眠る、抗い難い欲望…。
こうして、汐里は親友の救出、そして自身の連載コラムの取材という、二つの目的を胸に、城崎温泉へと旅立った。
東京から城崎温泉までは、新幹線と特急列車を乗り継いで、約5時間。
車窓から流れる景色を眺めながら、汐里は美咲から送られてきたメッセージを何度も読み返していた。
『四所神社の神が呼んでいる、例の場所で待つ』
このメッセージは、何を意味するの? そして「例の場所」とはどこなのか? 様々な思考が頭の中を駆け巡る。その中で、ふと学生時代の記憶が蘇る。
写真サークルに所属していた頃、全国の秘湯やそこに纏わる伝承を求めて旅をした。いつか二人で、全国を巡ろう。そう約束を交わした日々。あの頃は未来への希望に満ち溢れ、写真を通じて世の中の真実を捉えようと必死だった。そしていつしか、美咲の天真爛漫さとは裏腹に秘めた色気に心惹かれるようになっていた。
窓の外にはのどかな田園風景が広がっている。しかし、汐里の心は晴れなかった。城崎温泉に到着するまでに、何としてもこのメッセージの謎を解かなければならない。そう、自分に言い聞かせるように、汐里は固く拳を握りしめた。そして、自身の奥底で疼く欲望を、必死に押さえつけていた。
夕刻、汐里は城崎温泉駅に降り立った。駅舎を出ると、温泉街特有の硫黄の香りが鼻をくすぐる。大谿川沿いには柳並木が続き、その奥には、木造の旅館が軒を連ねている。浴衣姿の観光客が、下駄を鳴らしながらそぞろ歩く姿も見られる。
「…ようやく着いたわ、城崎温泉…」
汐里は小さく呟き、深呼吸をした。初めて訪れる土地なのに、どこか懐かしい。そんな不思議な感覚を覚えながら、そぞろ歩く人々を観察する。
ふと、その中に妙に色気を漂わせる女性がいることに気づく。
その女性は、まるで何かを探すかのように、周囲に視線を走らせている。
汐里は言いようのない不安を感じながら、その女性から視線を外すことができなかった。そして、自身の奥底で疼く欲望がその女性の存在によって、
より一層強く掻き立てられるのを感じていた。
そこからタクシーで美咲が働いている「西園寺工房」へと向かった。
工房は、温泉街の中心から少し離れた静かな場所に佇んでいた。
「美咲!」
工房に足を踏み入れると、奥から美咲が顔を出した。
「汐里…! 来てくれたんだ…」
美咲は汐里の顔を見るなり、泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「当たり前でしょ、親友のピンチに駆けつけないわけないじゃない!」
汐里は美咲を抱きしめ、力強く言った。その瞬間、美咲の体から微かに香る、獣めいた甘い匂いに気づき思わずドキリとする。
「…ありがとう、汐里…」
美咲は汐里の肩に顔を埋め、嗚咽を漏らした。
汐里は、美咲を慰めながら工房の中を見回した。壁には色とりどりの麦わら細工が飾られている。どれも、精緻な技術で作られた、見事な作品ばかりだった。しかし、作業台の上には作りかけの細工が、放置されたままになっている。そして、その横には、松永が残したあの謎のメッセージが…。
「…『四所神社の神が呼んでいる、例の場所で待つ』…」
汐里はメッセージを指差し、美咲に尋ねた。
「これ、どういう意味か分かる?」
美咲は、首を横に振った。
「分からない… でも、師匠、最近よく四所神社に行ってたみたい…」
「四所神社…」
汐里は顎に手を当て、考え込んだ。四所神社は、城崎温泉の守護神として、古くから信仰を集めている神社だ。しかし、その一方で、あの禁断の伝説が伝えられている場所でもある。
「…美咲、四所神社に行ってみましょう」
汐里は美咲の手を取り、言った。
「きっと、そこに、松永さんの行方の手がかりがあるはず…」
二人は、工房を後にし、四所神社へと向かった。春の夜風が、二人を優しく包み込む。しかし、その暖かさとは裏腹に、汐里の心は、不安と緊張で張り詰めていた。そして、自身の奥底で疼く欲望が、その不安を煽るように、
熱を帯びていくのを感じていた。
汐里は、もう後戻りすることはできない。彼女自身の奥底から湧き上がる、抑えきれない欲望が、真実を求める心が、彼女を突き動かしていた。
その欲望の炎は、これから始まるであろう、長く、そして熱い夜の中で、さらに激しく燃え上がっていくことになる…。
(続く)
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