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「悲しみに浸る」習性【電子書籍「反対側へのダイアリー」制作日誌】

ふれるま たみ子初めてのエッセイ「反対側へのダイアリー:わたしが見つけた、もうひとつの世界」についての制作背景や想いなどを書き綴っています。

第2章 心に抱えていたもの(2017年10月 前半)
■14 “オス化”という現象 10月15日(日)

 母は、何を願っただろう。
私だったら、息子に一緒に嘆いて欲しいだろうか? 子供の幸せのために戻ってきたのなら、「私は幸せ」、それでよかったんじゃないか。
「嬉しい! お母さんと一緒に暮らせて嬉しい」
と喜んでよかったんじゃないか。それなのに、私は我慢したんだね。「幸せ」、それでよかったのに。

「あなたに起こっているのは、“オス化”という現象です」
と、猫さまは言った。
「発端は、悲しい寂しい母親に娘が責任を感じるところから。自分がいなければ、お母さんはこんなに苦しまなくて済んだかもしれないと、“存在への罪悪感”が強めにインプットされていきます。大人になる頃には、罪悪感の思考回路が脳に定着します。そうしてオス化した娘は、男らしくいろんなものを自ら背負って様々なものに責任を感じ生きていきます」

 猫さまがよく言っていた “オス化タイプ”とは、このことだったのか。自分がまさかという思いだ。私の感じる罪悪感は、責任をひとりで背負ってしまう行動は、全てオス化現象に紐づいているという。それまで罪悪感の渦中にいた私の意識がふっと離れ浮かび上がる。過去の感情に囚われたままのもうひとりの私が、子供の私と一緒にしくしく泣いていた。

 そして猫さまは続ける。
「世界と社会と夫と、あるいは自分自身と、あるいは今は年老いた若かりし頃の父親の亡霊と、あるいは世の中の不甲斐ない男たちと戦う、全ての女性たちの代わりに、私のメソッドを受けながら、日記を書くのです」

 こうして私の、私を介した猫さまのオス化した女性たちへ送るラブレター制作が始まったのである。
(本文より)

制作背景:「悲しみに浸る」習性

人が苦しんでいる側では、なんとなく自分だけが幸せであってはならないと感じてしまう。ましてやそれが自分の「所為」で不幸になっているのだとしたら尚更のこと。母に本当の幸せが訪れる前に、私は幸せになってはならない人間なのだという概念を持ち続けて生きてきました。嬉しいこと、楽しいことがあっても、帰宅すると父から虐げられた母のため息とすすり泣きが聞こえてくる。悲しい母の気持ちに寄り添い、一緒に悲しみを分かち合うことが、母の為であり親孝行なのだと考えていました。

悲観的という言葉がありますが、そのような生活の中でいつの間にか、「悲しみに浸る」という習性が身に付いたように思います。どんなに幸せなことでも悪く受け取り、暗く罪悪感の世界に1人浸るというスイッチが入るのです。パチンと鳴ればすぐに役に入れるまるで女優のように、私は母の存在を感じたらすぐに悲しみに浸れる女性になっていました。

自分の感情の癖が育ちの中で形成されたのだと知り、これまで生きてきた自分の概念を覆されるような。猫さまの言葉はそんな言葉でした。


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