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大切な家族の絵〜父の日と母の日の在り方〜

今日、スーパーに買い物に行ったら子供たちの素敵な絵が飾られていました。先日は、母の日だったのでその絵なのかな?なんて思って眺めてたわけです。

でもそこには、母だけではなく、いろいろな家族の絵が描かれていました。
絵の募集テーマは、

「大切な家族の絵」


そのテーマを見たとき自分の保育園での出来事を思い出しました。


保育園に入り、いろいろな行事がありました。どれも楽しい思い出です。ただ一つだけ毎年楽しめなかった行事が…

それは

父の日のプレゼント作り

です。

わたしの通っていた園では、母の日と父の日に大きいクッキーを1枚焼いてラッピングし、それを顔に見立てて袋にマジックで顔を描くというイベントがありました。


両親は、わたしが3歳のときに離婚をしていて、保育園のときには母子家庭でした。幼いながらに父親が家にいないということは、分かっていましたが母との生活は何の不自由なく楽しく暮らしていたために父がいないことが辛いとは感じたことがありませんでした。

両親揃っている家庭にとってはなんのことはない保育園の父の日イベントですが、まだ生まれて数年のわたしには辛いイベントとなります。


今でもよく覚えていますが、周りの子たちが嬉しそうにお父さんの顔をさらさら描いている中で手が止まってしまうわたし。顔はのっぺらぼうのままです。もちろん保育園の先生方は離婚していることを知っているので、


先生「お母さんのお顔を描こうか!」と。

わたし「お母さんのは母の日に描いたよ…」
先生「…でも、また貰ったら喜ぶよ!きっ  
       と!」
わたし「じゃあそうする…」

と母の顔を描き始めました。

すると友達からの純粋な質問。
「なんでおとうさんのおかおじゃないの?」

わたしはこの時初めてお父さんがいないことが普通ではないんだと認識することになったのです。
友達との会話は続きます。

わたし「お父さんいないから。」
友達「えー!なんで?」
わたし「…。」
友達「おしごとでいないだけ?」
わたし「ちがうよ。」
友達「てんごくにいるの?」
わたし「生きてるよ。」
友達「なんでだろうねー。」
わたし「わかんない。」


純粋な質問の連続は当時のわたしにとって、もやっとすると同時に自分は普通じゃないと感じる辛い思い出になりました。


先生にも友達にも恨みがあるとかそういうことは一切ありません。当時はまだ母子家庭の子は少なく、単純に不思議だったのでしょう。現に保育園でもわたしだけでした。先生もわたしに精一杯寄り添ってくれました。

それからわたしは毎年父の日に数々の質問を交わしながら、母の顔を描き続けました。


だからスーパーで「大切な家族の絵」というテーマを見たとき、とても心が温まりました。この風潮が広がればわたしみたいに辛い思いをする子供たちが減るなーと。わたしの子供時代にこのテーマがあれば、わたしはのびのびと大好きで大切な母の絵を描けたことでしょう。


小さい頃のわたしは、父がいないことが普通ではないと思わずにはいられませんでした。時代なのかなぁ。
今では家族に決まった形はないし、幸せならそれでいいと思うことができます。


母の日も父の日も素敵なイベントです。でも、辛い人もいる。だからって無くせって言っている訳じゃなくて、スーパーのちょっとした配慮の言葉で救われる人もいるなぁと個人的に心が動きましたというお話。

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