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闘病記(21)すべてが奇跡だった。

2021年ももうすぐ終わる。実生活では脳出血から3年が経過しようとしている。本当に様々な体験をしながらあっという間に時が経ってしまった。一方で、このテキスト「闘病記」では、まだリハビリテーション病院に転院してから、2ヶ月ほどのことを書いている。病気の後遺症で利き腕を使うことができず、ほとんどを音声入力に頼っているという事情もあるが、自分自身の気づき、忘れられない人との出会いなどを丁寧に書いていきたいという気持ちもあって。 今日は、リハビリ病院に転院して2ヶ月が経過した頃の自分はどのようなスペックだったのかを思い返しつつ記しておきたい。 ●食事…柔らかいご飯を直径3センチ位の大きさの小さなおにぎりにしたものを主食とし、おかずはすべて細かいサイズに刻んだもの (刻み食と言う)を食べていた。うどんが全て刻まれていたときにはびっくりした。汁物には「とろみ」という粘度を高める溶剤を加えて飲んでいた。 ●排泄…便意、尿意ともにわかりにくいため、オムツを着用。尿は、膀胱、性器から管を通してバルーンと呼ばれる袋の中に溜められ、ベッドサイドか車椅子にぶら下げると言う方法をとっていた。便についてはおむつで対応。 ●運動…二本の足でようやく立てるようになってはいたが、バランスをとって長時間立つ事は不可能。歩くことも不可能。尿バルーンの袋がついて回るためマットの上などで運動を行へう事も不可能。 ●その他…眼については、「複視」(ものが重なって見えてしまう)と「眼振」 (目の前の情景が上下に激しく揺れる。) の症状があるため、何かに焦点を合わせたり文字を読む、書くなどの行為が難しい。聴力は、右の耳が著しく聞こえにくい。また、自分の話した音声を聞き取ることが難しく、そのため正しい発音で話すことが困難。出血をしたときの影響で、口の周りの筋肉が緩んでしまい、母音についてはかろうじて発音ができるものの指についてはうまく発音ができない。 右半身の感覚が薄いため、何かに触れたり触れられたりしてもそのことに気づくことができにくい。あるいは、わからない。 このようなことから、「奇跡でも起こらない限り自分にはもう無理」と、ぼう然とただ諦めてしまったことも少なくない。 ステージで自由に動いて兄と一緒に歌うこと。大好きな車のドライブ。自転車に乗ること。走ること。英語の授業。何年も練習した筆記体で流れるように英語の文を書いてみること。両手でピアノやギターを弾くこと。両手で食事をとること。寒い日に仲間たちとともにカップラーメンを食べる喜び。雨の日に傘をさすこと。道路に飛び出そうな子供に手を差し伸べること。息子の頭を右手で抱きかかえ柔らかい髪の毛を感じ取ること。それらの何気ないすべてが奇跡だった。方法は変わってくるだろうし、多くの人の助けを必要とするかもしれない。 でも、また手を伸ばしたい。奇跡に満ちた新しい日々に。

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