闘病日記(11)「回復期」なのに…。

転院して1ヶ月半くらいの間は「散々な」日々だった。入院して初めて知ったが、病気には「急性期」「回復期」「維持期(生活期)」と呼ばれる時期があるらしい。発病して3週間ほど経過した「回復期」がリハビリテーションには最もふさわしい時期なのだそうだ。今、「回復期」にあたる自分は頑張らねばと気合を入れて転院をした。しかし1日目で出鼻をくじかれることになる。病室に到着するなり、院内でインフルエンザが流行の懸念があるとのことでリハビリ病棟への立ち入りを禁止された。リハビリはおろかインフルに感染しないようにすることで精一杯。さらに救命病棟に入院していた際についていたバルーン(排泄ができないため尿を貯めておく袋)を、突然外すと言われた。朝一番で転院をしインフルエンザにびくびくしつついきなりバルーンを外されて、あらよっと排尿ができるほど自分は豪胆な男ではない。結果、あっけなく尿路感染症を起こし再びバルーンをつけられ、39度9分の発熱が5日間続いた。さらに辛かったのは自分の右腕が日一日とその機能を落としていくことだった。昨日まで操作できていたベッドのリモコンがうまく使えなくなり、食事では右手で使っていたスプーンを何度も落とすようになった。療法士の皆さんそれぞれが不調な自分にあわせてリハビリのメニューを考えてくれた。介護士の皆さんも、痛みのケアをしてくれたりつかの間話し相手になってくれたりした。それでも右手の機能はどんどん落ちていく。リハビリを行っているのに自分の体の機能が落ちてゆく不安。朝、回診に来る主治医に訴えても「脳の病気はとかく時間がかかる。」と言うRPGのキャラクターが暇つぶしにつぶやくような答えだけが返ってきた。 苦しい時は夜中でも父に電話をした。それがどんなに真夜中だろうが父は応じてくれた。
様々なストレスが重なり合っていた頃、家族に無理を言ってコーラを買って来てもらったことがある。炭酸飲料を満足に嚥下することなんてできないのに。飲みたかったのか、ただやけくそに無茶苦茶なことをしなかったのか、自分でもよくわからない。当然飲むことなどできなかった。はちきれそうな自分を見て思うところがあったのだろう。家族が介護士の男性に「すみません。本人がどうしてもと…。」とバツが悪そうに差し出した。するとその男性は、
「僕も飲みたいものは飲みたい方なので…気持ちはわかりますよ。」としばしその場を離れた。戻ってきた彼の手には、「とろみ」。「おいしいもんじゃないですよ笑。」と言いながら「とろみ」の入ったコーラを紙コップいっぱい作ってくれた。コップから入道雲のように沸き立っていく泡が見えた。ほんのつかの間、笑うことができた。

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