闘病記 (3) ミトン

「さようなら、HCU(高度治療室のこと) だね。」と、看護師さんに声をかけてもらって1階下の病室に移動してからも、意識が混濁した状態は続いた。自分がいる病室は海の近くにあると思っていた。視界に差し込む光のようなものがキラキラと輝いていたし、耳元では波が強く押し寄せるような音がしていたからだ。ある日、看護師さんに「もしかしていま船の上とかじゃないですよね? 海が見える気がするんです。」と質問したことがある。その時に看護婦さんから説明を受けて初めて自分の視力が明るいか暗いかを見分けられる程度にまで落ちており、耳元では常に大きな耳鳴りがしてほとんど外部の音が聞こえていないと言うことを知った。不思議なことに、慌てることも落ち込むこともなかった。「脳の中心部から出血したんだ。仕方ない。」「そもそも、これで助かったとしても、僕の残りの人生は自分が全く望まなかったものになるし、もういいんだ。」半ばやけになっていたというのが本当のところだ。しかし、視力と聴力はこの後目覚ましい勢いで回復をする。信じられない位だった。2日位のうちに、どうにか近くまで来てくれれば人の顔を判別できるようになったし、左耳だけは何とか音を聞き取れるようになってきた。 脳や身体が回復しようとする力は想像をはるかに超えていた。今、もしあの時の自暴自棄になっていた自分に話かけられるなら、「大丈夫だ。今こうしている間にも体と脳は回復を続けている。」と確信を持って話せるのにと思う。
 そんな中、日々小さな事件は起きた。いや、起こした、という方が正しい。特に体に何本も繋がっている管を無意識にぶちぶちと抜こうとしては看護師さんを慌てさせてしまった。実際に何本かは抜いてしまったこともある。見かねた看護師さんが、僕の手に「ミトン」と呼ばれる大きな手袋のようなものをつけた。もちろんそれは菅を決して抜かないようにと言う配慮だった。ぼんやりした意識の中でも「なんだか、ドラえもんみたいになったな。」と思ったことを覚えている。しかしドラえもんにしては凶暴だった。せっかくつけてくれたミトンをことごとく外し、管を抜こうとバタバタと動いてしまうのだ。そのたびに、慌てて飛んできてくれる看護師さんたちは「赤松さん、嫌なのはわかるけどお願いやからじっとしとって。」と、懇願するように僕の手にミトンをつけ直す。こちらも悪気があってしていることではない。とは言え申し訳ない気持ちでいっぱいだった。けれどそれだけでは終わらなかった。ミトンをなきものにしてしまいたかったらしく、左手にかぶせられたそれを口でビリビリと引き裂こうとしてしまった。「赤松さん!動いたら駄目。自分に何本菅がついてるかわかっとる?」「ろっぽん。」「すごいやん、正解や。」「お願いや。菅には絶対触れんから、とにかくミトンだけ外してよ。じっとしとってって言うセリフも聞き飽きたな。ー」ろれつが回っていなくて、ほとんど聞き取れない怒鳴り声を響かせ続けた。それでも看護士さんたちは、 「そうしてあげたいけどね。今は無理だよごめんね。」「赤松さん、まあまあ暴れん坊やな。」
と、粘り強く優しく対応してくれた。
徐々に自分の意識がまともになって会話が成立するようになってから、看護師さんに謝ったことがある。すると、「そんなこと、気にせんでいいよ。ここの「あるある」よ。意識がハッキリしない人もたくさん来るからね。その人たちの命を救うところまでが私たちの仕事。厳しいこと言ってごめんね。元気になったらあの時の赤松ですって訪ねてきてよ。しかし、ミトンかじるっていうのはなかなかレアやね。レア。よだれでびちょびちょになってたらしいやん。」と言って笑ってくれた。

救命救急病棟には、1日にいくつもの「命」が瀬戸際の状況で運ばれてくる。ドクターや看護師たちはそれを正面から受け止めて、何とか次の生きるステップへとつなげてくれようとする。がんばって自分らしさを取り戻したら、ご挨拶に伺いたい。

「あの時、ミトンをかじってべちゃべちゃにした赤松です。」

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