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闘病記(70) サービス精神

 今回のテキストは、とにかく短く書き上げようと思う。
 その分と言ってはなんだが、このテキストを読んでくださった(あるいは目にしてくださった)方は、ぜひ前回のテキストを読んでみてください。
日常生活で自分が直面する、乾いた血の色というか、緋色をした悔しさをできるだけ丁寧に書いてみたので。

 さて、今回ですけども。

 「むちゃぶり」。 
 国語辞典に掲載されていてもおかしくはないポピュラーな言葉だし、短い中に状況がわかりやすく凝縮された名語?だと思う。
入院中、それが突然我が身に降りかかった。
体中に繋がれていた多くの管が3本位に減った頃、救命救急病院での朝だった。

「おはよう。よく眠れたかな?」
女性看護師さんの挨拶は、とても柔らかくて、いつも素敵な香りがした。言葉をかけながら検温や血圧測定をする一連の動作は気持ちの良いそよ風のようだった。30%ほど目覚めかけた意識で、うとうとしながらその風を感じることは、心も体も締め付けられる闘病生活における、ささやかな楽しみの1つだった。
 ところがその日の朝は、いつものそよ風のようなルーティーンに、頼んでもいないオプションが付いてきた。

「ごめんね。しっかり起きてね。何でもいいから、右手でここに(A4より少し大きい位の紙)書いてみて欲しいの。」
そう言いながら、自分の手を包み込むように優しくペンを握らせてくれた。
マイルドなむちゃぶり。

 ペンとは言えど、グリップが太いものをさらに薄いゴムのシートでぐるぐる巻きにして、握る部分を直径4センチメートルほどにしてあったから、見た目は新発売の文房具か何かのよう だった。
「『何でも』って、何でもいいの?」
30%しか覚醒していない自分の脳から絞り出された質問は、いささか間が抜けていた。しかし看護師さんは自分の右手とペンを確かめながら
「そうよ。何でもいいから。書き終わったら、また休んでいいからね。」と優しく答えてくれた。

「理不尽な日々を淡々と生きる。」

 紙にそう書いた。震え、暴れる自分の右手を、左手でつかんで何とか制御しながら。どうにか読んでもらえる程度の文字になった。

 ほとんど眠っていた脳みそは考えることを拒んでいたから、その言葉は自分の体の隅々、動かなくなった指先にまで染み渡っていたのかもしれない。約3週間の急性期病棟での闘病生活を通じて。
 言葉を書き終えた自分は、再び気持ちの良いまどろみの中へと戻っていった。浅い眠りの中、ベッドの足元あたりで看護師さん達が何やら小声で話し合っている気配を感じた。

 自分が右手で書いた言葉について話している様子だった。ぼんやりと、なんとなく耳をすますと言う微妙な状態で(笑)話を聞いていた。
「こんなこと書く人初めてね。」
「賢い人なんじゃないかなぁ。」
「きっと、病気になる前は何でもできて、頭のいい人だったんだと思うな。」
 この辺で、背中のあたりがムズムズとしてきて(何でもできる頭の良い人だと思っていただくのは、自分と言う人間の実像とかけ離れすぎていてあまりに申し訳なかったし…。)
 「いやいや。そんな事は無いですよ。残念ながら。愚か者です。どちらかと言えば。」
と、天井を見つめたまま話に割って入った。看護師さんたちは鈴の音のような綺麗な笑い声を立てた。
「起きてたの。ごめんね、勝手に盛り上がって。」
「でも、リハビリをして回復したら、きっと色いろな場面で活躍する人だと思うな。」
「そうね。そんな感じ。」
 朝の光と忙しさの中、シーツを広げたりしながら交わされるそれらの言葉は、キラキラとした光を放つ水晶体のようだった。自分はとても照れ臭かったけれど、それらの言葉が輝きを維持したまま心に吸着していくのが嬉しかった。

 しかし一方で、何とも言えない気持ちが心に広がった。
「任せといて。」
と言いながら、お好み焼きをひっくり返し損ねてぐしゃぐしゃにしてしまったような気持ちというか。
おいしいと評判のお店に連れて行くと約束しておきながら、道に迷ってしまった感じというか。
まぁとにかく、気まずかった。
 気まずさの一因は、入院して以来「何もかもしてもらうのが当たり前になっている。」ということだったと思う。誰もが同じことを感じるとは思わないが、自分は気まずさを感じてた。だから、自分なりにできることを探して行動に移した。
 例えば、主治医の先生、看護師さん、介護福祉の皆さんなど自分に関わってくれるスタッフの方のお名前をできる限り覚えた。
 名札とか袖口に刺繍されている名前を、見えないなりに(当時は視力がとても低かったので)読み取っては記憶した。 
 食事(といってもゼリー1つの時もあった)の際にも
「どう?食べられそう?」
と問われたりすると
「こういうの久しぶりだからすごいおいしい!地元のみかん使ってんのかな?これ好きかも!」
と、食べさせてくれて、そばにいてくれる方が、少しでも喜んでくれるような会話になるよう努めた。

 だから、どんどん不自由になっていく右手を、痛みを堪えてわざわざ使って書いた文字が、自分のことを良いように勘違いした、的外れの評価とともに(とてもありがたいんだけれど)感心されるようでは、どうしても納得できなかった。
病院スタッフの皆さんに、ただただ爆笑されるようでなければ。

 というわけで、自分は爆笑を産むべく考え始めた。用具は、家族が
「何か欲しいものや、して欲しいことがあったらこれに大きな字で書いてね。」
と、枕元に置いたクロッキー帳と鉛筆があったからそれを使った。
使ったと言っても、何にも思い浮かばなかったのでしばらく真っ白だったのだが。

 ある朝、朝食の配膳が終わった頃いつものように双子の兄が訪ねてきた。(この、いつものようにが謎なのだ。なぜ兄は面会時間でもない朝食の時にそばにいてくれたのだろう?)
自分は、1人で味気なく朝食を食べたと言う記憶がない。いつも兄が
「おお!ついにお味噌汁が出たね!よかったなぁ。」
のように、ちょっとしたことを一緒に喜んでくれた。兄なので?困ったこともあるにはあった。例えば、
「ヒデ、お味噌汁にとろみ必要な人?
いらないよね。もったいないから戻しに行こう。」
みたいなことをしてしまい、ちょっとした騒ぎになってしまったりとか。(とろみは好みでつけるものではなく、液体を飲み下しやすくし、誤って肺に入ってしまわないようにする重要な役目を果たしている。が、そんな事は兄はもちろん、自分だって知らなかった。)そんな感じですっかり朝の「顔」になっていた兄がパラパラとクロッキー帳を眺めて手を止め、しばらくページに見入った。

「こ、これお前が書いたの?」
兄は目をまん丸にして(ごく控えめに言って)尋ねた。
「そう。」
自分が短く答えると
「この状況でなんでこの文なの?」
文字が書かれたページと自分の顔を交互に見ながら兄が質問を続けた。

「ウケるかと思って。見た人が。」
自分は正直に答えた。
ページに書いていた文字(文)はこうだ。

鹿せんべいシカ売ってない公園

「鹿とシカを掛け合わせてみたんだけど、今1つパンチが足りないんだよね…。何かいいアイディアない?」
と、朝食を食べながらかなり真剣にアドバイスを求める脳出血の双子の弟を見て、胸に迫るものがあったのかもしれない。

「いやシカし、自分が脳の血管切れて命が危なかったと言うのに、シャレを考えようと言うのが何ともこれシカし…。お前サービス精神ありすぎやろシカし。」

と兄はとりあえず自分が韻を踏んだ。

これといったアイディアのアドバイスにはならなかった。
そして、これが自分が右手で書いた(書けた)最後の文字・文になった。
シカし、
兄が口にした、「サービス精神」と言う言葉が引っかかった。人と向き合うときの自分の有り様を端的に表現しているような気がしたのだ。

あぁ、字数を見たら3260文字になっている。
全然短くまとまりませんでした。
いやシカし、
短い文章と言うのは難しいですね

そうそう、まだご覧になっていない方はこの後の動画、ぜひ見てみてくださいね。
夏の曲です。



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