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闘病記(37) 「ダイブします。」

 
 「可愛い子には旅をさせろ」という諺がある。「子供が可愛ければ、甘やかさないで、辛さや厳しさを経験させたほうが良い。」という意味。現代の旅の辛さや厳しさの意味合いはだいぶ変わってしまってはいるものの、それでも幼少や若い頃に一人旅を終えた後の体には小さな「自信」が宿る。それは昔も今も変わらない。そしてそれはリハビリテーションを受ける患者にもあてはまる。自分たちは入院して施術を受けている期間内にある程度の「自信」をつけなければならない。「療法士さんがいなくてもいつも通りの動きができた。」「1人で心細い中、目的とする行為をなし遂げることができた。」そういった成功体験が日常にならなければいけないのだ。
 その点、多方面への気配りを忘れない「Mr..気配り」こと、作業療法士Nさんはリハビリの初期の段階から「この患者が、家に帰ったらどのように過ごすか」「どんな場面が想定できて、どう自信をつけていくか。」と言う事について一生懸命考え、リハビリの中に取り入れてくれる人であった。
 ある日のこと。いつものように車椅子を押してリハビリ病棟へと向かった後、畳4畳ほどが敷き詰められたスペースに横付けするかたちで車椅子を停めた。手すりも、何かつかまるものもなかったためキョロキョロとしている自分に彼は笑顔でこう言った。
「それじゃあダイブで。」
「ダイブ??」
「そうです。安全に降りてみて下さい。危ないと思ったら私がすぐにサポートしますから、大丈夫です。」
 自分は考えた。「まさか、車いすに座った状態から畳に文字通りダイブして、額や鼻をズルズルにすりむいてしまうことを期待されているわけではあるまい。この車椅子に座った状態から、どうやって着地し、胡坐や正座のような姿勢で畳に座ることができるだろうか。そうだ。自由にコントロールが効く左手と左足の脛を畳につくことが先決だ。その後に右足をついてみよう。おそらく右足は体を後ろに跳ね返すような動きをするだろう。体重を前にかけつつ、左手と左足の力を使ってバランスをとってみよう。」
 そう判断し早速動こうとしたが、左足も左手も畳に届かない。「そうか。体の位置が後すぎる。お尻を少しずらして車椅子の前のほうに座ってみよう。お尻の右側は感覚が薄い。左側の感覚を頼りにしよう。」
 体をずらすと、左手と左足がうまく畳についた。右足を伸ばす。予想通り伸ばしている最中に体を後に跳ね返すような強い反発があった。想定内だ。右手を伸ばし体重を前にかけて体の位置をキープ。そして、自分は静かに畳の上にあぐらをかいて着地することができた。
「うまくダイブできましたね。次からもこの降り方で行きましょう。」
Nさんは笑顔でそう言った。その後も、時々こういうチャレンジは続いた。例えば「畳の間で真ん中に1人取り残されて立ち上がらなければならない状況になった時、体だけを頼りにどう立ち上がるか。」といったチャレンジ。
 Nさんの問いかけに対して体の動きをイメージし、その通りに体を動かして成功体験を得ると言う事は、そのまま自分の中に自信として蓄積されていった。実生活においてもとても役立っている。(たとえばPC用の椅子から床に降りる時は、例の車椅子から畳へのダイブの動きをそのまま用いている。)
 Nさんが休みの時など、代わりの作業療法士の方がリハビリをしてくれるのだが、車椅子を押してリハビリ病棟へ行くときに
「この前、赤松さんとNさんが畳の真ん中で立つ練習してるのを見ました。お二人ともチャレンジャーですね。私なら怖くてできないなぁ…。」
Nさんの後輩とおぼしき療法士の方から、褒められているのか心配されているのかちょっとわからないコメントをもらうこともあった。そしてリハビリ病棟に到着し 
「今日は私も畳のところでリハビリしますね。いつもどうやって降りられてますか?手すりのところまでいきましょうか? 」
と言う問いかけに、自分はちょっと誇らしげにこう答える。
「ここで畳ギリギリにつけてください。ダイブします。」

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