闘病日記 (5)「ワンチャン」

「やったな!もうワンチャンあるぞ!」
「どこかじゃボケ!」

久しぶりに会った兄と病室で交わした会話。低周波の治療器を全身に貼りつけられ、強い電流を流し続けられているような得体の知れない筋肉の振動と痛みに耐えていた時、主治医がやってきた。症状を話すと次のような説明があった。今回、自分の脳内で出血をしたのは「橋(きょう)」と呼ばれる部位で、生命活動に関わるあらゆる種類の神経が集中しているところらしい。「橋(きょう)」は脳の奥深くに位置するデリケートな場所であるため、手術は不可能。禁じられてすらいるのだそうだ。今はとにかく出血を完全に止めてしまうのが最優先とのことだった。今後、出血箇所が固まってきて、浮腫(グミのような形をしている)になったりする過程で、体に様々な症状が現れたり消えたりするであろうとのこと。今日から3日間はとにかく集中して体を休め、週が明けたら簡単なリハビリテーションを開始すると言うことが伝えられた
「身体のあちこちに低周波治療器をつけられて、強く揺さぶられているような感覚があります。これは消えていくものですか? それとも、このまま後遺症となるんでしょうか?」
いてもたってもいられず、尋ねた。
「残念ながら今の時点では、わからない、としか言いようがありません。「橋(きょう)」から出血している他の患者さんでも、一人一人の症状は千差万別なんです。それが脳出血の特徴でもあります。とにかくまずはしっかりと体を休めましょう。」
隣で説明を聞いていた兄が質問した。
「今のところ症状が出ているのは右だけで、左半身は大丈夫みたいなんですが。このまま安定しますか?」
「これも、何とも言えませんが、、、ただ、今の状態から見るとおそらくは大丈夫なんじゃないかと思います。
 まあ症状が落ち着いてみないとわかりませんが。出血はほとんど止まってきていますからね。」

最後に「頑張ってください。」の言葉を残すと、ドクターは部屋を出ていった。
見送りながら深々とお辞儀した兄が頭を上げてこっちをみた。
ここで1行目に戻る。
「やったな!もうワンチャンあるぞ!」
「どこかじゃボケ!」

もちろん自分が怒鳴ったのは2行目の方。兄が続ける。
「左手はもと通り使える。しかもお前、声出てるぞ。
歌えるやん。曲かけるやんか!」
人の胸元をバンバン叩きながらそういうのがなんだかおかしくて、でも一生懸命な兄の姿に心打たれ、感覚を無くした右手をそっと差し出し彼の手を強く握った。と、言うような事はもちろんなく、本気で殴ってやろうと思った。右手はうまく動かなかった。
この日以来、兄の暴走ぶりはさらに続いた。「右手でも、熱いか冷たいかはなんとか分かるみたいや。」と疲れきった中で伝えると、「おお!よかったやん。気がつかんうちに火傷したりせんですむな!」
短い電話をかけると、「おお!この前まで死にかけてた奴が電話してきてる! お前それ自分で番号入力したん?自分か!?すごいな! すごい回復力!マジで!」
という具合にまくし立てた。

わけのわからない体の振動と、痛みがつらいこと。ごちゃまぜの恐怖でほとんど眠れないこと。これから先、自分の体に起こることが怖くて怖くて仕方がないこと。聞いてほしい事はたくさんあったがいつも話さずじまいだった。そのうちに(半ば強制的にではあるが)兄の前では後ろ向きの言葉を口にすることがほとんどなくなった。自分の脳と体を回復させてやるという戦闘意欲みたいなものを意識するようになった気がしないでもない。単純に兄を殴りたいだけかもしれない。

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