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小さな声でも、あげてみる
今年は自主教育やデモクラティック教育についての勉強をすると決めて、そのイントロダクションのような記事を、一番最初にポストしました。
実は書き始めるまでにいろいろな葛藤があって、「今日もできなかった」「明日はできるだろうか」と悶々とする毎日を過ごしていたんです。
私がやりたいこと、情熱を注ぎたいことは、素人がどうにかできるような分野ではなくて、専門家でもないあなたがどうして?と、言われたり
茶化されたり笑われたりするんじゃないかと、本当に怖かった。
そしてそれをはね返せるだけの情熱が自分にあるかと自問自答ばかりしていました。自分の興味の種やひらめきに自信が持てなかったんです。
そんなふうにモヤモヤしていたとき、娘が通っていた学校からニュースレターが届きました。
娘と同い年の生徒数人が、クライメート・ジャスティス運動(地球温暖化問題を考え、解決に務めるための取り組み)を立ち上げた、という記事でした。手作りのプラカードを持って、学校のまわりのゴミを拾い歩く子どもたちの写真を見たとき、とあるシーンを思い出したのです。
伝わる瞬間
夕飯の材料が足りなくて、スーパーまで歩いたときのこと。
おしゃれなレストランが並ぶ通り沿いに古い映画館があったのですが、
映画館の前で、2,3人の女性が手作りのプラカードを持って自分たちの主張をコールしていました。
コールといっても、声高らかなシュプレヒコールではなく、どちらかというと立ち話のように気軽な感じ。
「私たち、こんなふうに考えてるの」
「よかったら、これ見てくれる?(ビラを渡す)」
なごやかに笑いながら、しばらく立ち話をした人は、なんとその小さなデモに加わったのです。
横断歩道の向こう側でそれを見ていた私は驚きました。
そしてもっと驚いたのは、買い物の帰りに同じ道を通ったときに、デモの人数が少し増えていたことです。
彼女たちが何を主張していたかは忘れてしまったのですが、どんなに小さな主張や意見でも、誰か聞いている人がいる、伝わる瞬間があるということを目の当たりにしたのでした。
まわりまわって、誰かに届く(かもしれない)
こんなことがきっかけで、最初の記事をアップすることができたのですが
記事にいいねがついたり、フォローしてくださる人がいると、やっぱりこのシーンを思い出します。
そして、アクションにレスポンスがあれば、それはもう学びじゃないかな、と感じるのです。
学ぶことは、師から教え乞うことだと思っていたのですが、
コミュニケーションを通じて、お互いの持っているひきだしが開いていく。
こういう学びもあるのだと知りました。
あの日の夕方、映画館の前で見た小さなグループのおかげで。