こんな学校に通っていました①:自主教育と民主主義
先に学校閉鎖の話を書いてしまったので、ちょっと巻き戻し。
娘が通っていたデモクラティックスクールはこんな学校でした。
self-directed education(自主教育)を大事にする学校だった
学びは与えられるものではなく、自らつかみ取るもの、という考え方がベースにありました。
学びたいという気持ちは、常に自分の内側から湧き出るもので、強制されるものでもジャッジされるものでもない。
学びへの扉はいつでも開かれていなければならない。
このような理念があり、娘の学校には、時間割も、授業もあったんです。
オファリング
その授業内容や時間割は、オファリングで決めます。
オファリングは、スタッフや生徒自身が「○○教えます」「△△クラブを作って一緒に活動しよう」というようなオファリングシートを作って、いっせいに壁に貼り出し、そのプログラムを受講したい生徒がシートに名前を書いてエントリーするというシステムです。
9月、1月、4月にオファリングが行われますが、いつも人気なのは「I ♡ math」(算数)、ドラマクラブ(演劇)。
Scratchクラブやコミッククラブ、グローバルキュイジューヌ(世界の料理)、コンピューターサイエンス、園芸、ポッドキャストクラブ、バニークラブなんていうのもありました。
エントリーした人数が多いクラス/クラブが採用されます。
オファーした人が運営するため、途中でなくなるクラス/クラブもありましたが(笑)、低学年向け、高学年向けの授業がバランスよく組み合わされていました。
チェックインはご自由に
自分がエントリーしたクラス/クラブだからといって、いつもそのクラスに出なくちゃいけないということはないんです。
チェックインしない自由がある。
「今日はイマイチ乗り気じゃない」とか「ほかにやりたいことがある」というときは、チェックインしないで寝てるとか、本を読んでるとか、絵を描いてる、工作してる、おやつ食べてる…いろいろと自由です。
ただ、絶対ほかの人のじゃまをしないこと。
はじめのころ、娘は「誰も私と遊んでくれない」としょんぼりしていたんですけど、人のことより、まずは自分がやるべきことをやるという考え方なんだ、と、あとになって知りました。
する?しない? と聞かれることはあっても、「しなきゃだめだよ」「したほうがいいんじゃない?」という、他人の価値観のおしつけはなかった。そして、自分からヘルプを出だせばすぐにサポートしてくれる環境がありました。
オファリング、娘の場合
自分でオファーした「馬クラブ」がグダグダになって途中でなくなってから、クラスはひとつも取っていませんでした。
年の後半になると、バニークラブのクラスを取って(結局取ったのはこのクラスだけ)、それが本当に楽しかったみたいで、未だに「あのクラスは最高だった」と言っています。
バニークラブでは、うさぎを媒介にして、飼育法、アート、算数、読み書きなど、低学年クラスのメニューになっていましたが、ある日、スタッフのひとりが娘に「バニークラブで何がしたい?」と聞いてきたんです。
娘は、「日本では月でうさぎが餅つきするんだけど、それをみんなに教えたい」って言ったんですよね。
そうしたら、アジアの、うさぎにまつわる寓話についての話をしながら、さらにみんなであんこ団子を作って食べる、っていう授業が出来上がりました。
娘が自分のアイデンティティを意識したのは、たぶんこれがきっかけなんじゃないかと思います。
みんなと違うことは、価値があること。ユニークなこと。誇れること。
このときはもうすでに、暗い顔をして緊張していた以前の娘ではありませんでした。
一皮むけた瞬間だったかな。