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主張性なき文化はただのギャル文化と同じではないか?

最近、なんとなくロリータ的というかゴス仕様というかなんとも形容しがたい服装をした人が増えたような気がしません?
イメージで言えばなんかモンスターとストロングを二本のストローで飲んでイキってるFラン女子大生とかああいう感じのやつのやつ。例えば黒基調の服で靴は厚底で髪がパープルだったり目元赤かったりして、だけどなんていうかバリバリ2006年ごろのネオV系時代とはなんとなく随分と様相が違うように感じる。

2006年、あの頃でいうとピアス何個開けたとか耳穴の大きさだったり、派手なカラコンだったり、靴はロッキホースバレリーナだったりとそのゴスなファッションのキーワードは"痛み"だったんだろうなと思う。
ピアスを拡張するにしても痛いし、厚底の靴も歩くと痛いし、謎のコルセットも締め付けが痛い。
まさに身を削る構造なのだ。そう、あの頃のゴスでロリータなファッションとは中世である。それもロココ。機能性でいえば全くのゼロだ。ただただ痛いだけ。そんな服装をしていて世間の目も痛い。
ほら、マリーアントワネットの肖像画とかブーシェの絵画に出てくる貴婦人の服装なんてめっちゃ動きにくそうじゃないですか。だけどコルセットにしても頭に身につける背の高い飾りにしてもただただそれが”可愛い”という主張性のみで身につけるファッション。それがロココの精神であって、これが”痛み”という表現方式に依存症とかメンタルヘルスとかが加わってボンテージ仕様になったのがネオヴィジュアル系時代のゴスファッションだったんだろうなって思う。

しかしここではあえて現在の謎のロリータ的またはゴス風的ファッションを"ネオロリ・ゴスファッション"とは言ってみるけど、これが以前のネオヴィジュアル系時代とは違う。どこかが違うのだ。ゴリゴリ感がないと言ってしまえばそうなんだけどなんと形容すべきかゴスが"安物化"しているのだ。
もう少ししっかりとした話をすれば、安物化というのはファストファッション化している。
もともとロリやゴスなファッションって高い上に一部のそういう人たちをメインにしたお店にしか売ってなかったわけじゃないですか。それはSexy dynamite londonだったり、SEX POTだったり。だけどそういったファションの要素的な部分だけ抜き取って安物化していった結果、割としまむらみたいなところでも誰でも買えるようになった。だからそのロリやゴス的な格好を簡単にできるようになったわけですよ。
誰でもそのファッションを真似できるようになるということはそのファッションに主張性がなくなるというになったということに繋がる。だってみんなが"痛み"なんかを表現するわけがないでしょ。
だから自分の思う「かわいい」「好き」「痛み」などというマイノリティ的自分世界の表現とかよりも「みんながやっているから可愛い」というオーソリティ的自分世界な解釈のファッションになるわけです。
以上のことをさらに要約をすれば"主張性”がなくなったムーブメントのことをある意味では"ギャル化"とも呼べるかと。
例えばギャル言葉ってあるじゃないですか?「あげぽよ」とか「チョベリバ」とかああいった言葉には特に意味はないわけじゃないですか。あとパラパラなんかもそうだったと思う。あの手の動きにも全くなんの意味もない。
とにかく「みんながやっている」「言っている」記号に対して意味もわからず主張性もなく消費していくことが"ギャル化"なんだろうなと。

旧来のロリ・ゴスファッション。
あれってネオV系バンドの信者としてのある種の宗教着的な役割もあったんじゃないかと僕個人は思っている。
こういったネオ・ヴィジュアル系ならびにその系譜にあるロリやゴスファッションってどちらかといえば教室のすみでクラスで盛り上がることに対して冷笑的でインターネットで「ウェルカムトゥアンダーグランド」みたいなのを書き込んでいるような人だったわけじゃないですか。多分、いまでは善良な主婦しているけどかつて首を振りすぎたことを黒歴史化してしまっている人も大勢いるだろうと思う。そう考えると旧来のロリやゴスはヤンキー文化に近いのではないかと。要はヤンキーにおける特攻服と同じなわけですよ。あの派手で縦文字だらけの特攻服も自分の強さの主張性なわけで、どこのヤンキーなのかという宗教着なわけでもあるわけで。
だからあの頃のロリやゴスなファッションの人たちって自分が生まれ落ちたこの世界において闇属性であるというメンタルヘルスにマイノリティ的自我を保つためにああいった世間から少し浮いたロリやゴスな服を着ていたんだろうなって。
それはある種、法衣なんじゃないかって思う。
そういった共通の苦痛のつながりこそがネオ・ヴィジュアル系バンドのファン同士が結束し合うのである。
だからこそあの頃のライブハウスの会場内では「あいつは敵だ」とか「こいつは仲間」みたいな同族的思考があったんじゃないだろうか。それならファン同士が敵対し合う意味が何と無く合致する。だってある痛みに対して分かち合えないならそれは宗派が違うということになるからだ。だからV系のファンというのは分かち合えないものに対して極端に攻撃的になるのだろうと思う。
このように世間から見て「日陰者である」、「闇属性」というアンダードッグ的自認こそがV系界隈に於けるゴスファッションの主張性だったんだろうなって。思い返してみると楽しそうなギャルはDir en greyとかPierrotとかは聞いていなかったと思う。普通、ギャルは湘南乃風か加藤ミリアだろうに。

上で述べたネオV系時代のロリ・ゴスファッションはその時代とともに一旦は死滅していったかと思う。僕の記憶が正しければ2012年あたりから2017年ぐらいまでは本当に黒服=ダサいみたいな風潮があるぐらいに衰退していたんじゃないかなと。
だけどここ最近、一気にこの謎のロリ・ゴスが量産されるようになったのはおそらく2020年ぐらいから一気に爆発的に湧き出した。
思い返せばロリ・ゴスが一旦は衰退していたとはいえ、今日の安物ロリ・ゴスに至るまでの伏線はしっかりとあった。
それは病み系地下アイドルたちである。まぁ彼女たちの存在はある種、女性版ヴィジュアル系バンドとも思ってもらってもいい。そんな病み系地下アイドルたちがサブカルという大衆化フィルターを通して世に登場して来たのである。
代表的なところでいうとゆるめるモ!のあのちゃん。あれなんかはそうですよね。なんとなく浅野いにおとか花沢健吾の漫画読んでそうな謎のサブカル枠。そしてミスIDとかいうメンヘラ百科事典大会の存在も忘れてはならないだろう。サブカルにメンヘラというキーワードが流れ込んだ結果、SNS界隈でそんな女性がまるで量産型ザクのように生産されるようなった。

ここで重要なキーワードは「病み」「メンヘラ」「依存症」である。 これらもともとヴィジュアル系にあったアングラ言語がサブカル言語にとって変わられてしまったのである。完全に文化泥棒だ。そしてSNSの中で自身のキャラ設定言語に置き換わり、今度はサブカル言語からギャル言語化したのである。

なぜサブカルの枠を超えていったのかを考えてみよう。

思うにマスクが必需になってからの時期が割と一致しているんじゃないかと思うんですよ。
街中歩いていて思いませんか?なんとなく、数年前に比べて美人が増えたように。
これって顔のパーツにおける口元という部分がなくなっているからだろうと思うんですよ。
口元。これって結構顔のバランスの鍵を握っている。そこには顎のラインがあって口の形があって、なんだったら鼻の形もある。
これがマスクによって隠せるようになった。
じゃあそがどうなったかって言えば、SNS界隈でサブカルメンヘラごっこをしていた人たちが外の現実の世界に飛び出して来たわけですよ。だって顔はある程度隠せるわけだから、そんなに恥ずかしいことではないし、みんなキャラ欲しいわけだし。
ツイキャス内で収まっていた姫カットや前髪パッツンにボブヘアたちがマスク社会と共にその格好のままでも歩けるようになった。しかもその数が増えると必然と大衆化していくわけで、それは雪だるま式に大きくなっていくわけだし、
それにメンヘラごっこする道具も安く手に入るようになった。だってそれまでは美容室やカラーコンタクト屋で高価だったものが今では大抵のものがドンキホーテで手に入る。髪を赤に染めたりするのも安くなったし、カラコンもいまは5000円もしない。
だからマスク社会とメンヘラごっこアイテムが安く手に入るようになった結果、ごっこ遊びのままで外に出られるようになった。安物ロリ・ゴスという現代のムーブメントというのはいつかか?ということがあまり明確ではないのはこういった文化性がないから。それが故に主張もないからだろうと思う。それはメンヘラという真似事に対しての真似であって、これは文化ではないからだろうなって。まぁそんな主張性のなさが真似しやすいからこういった"ごっこ”に大衆が拍車をかけることになったんだろうなって思う。

まぁ今回も長々と話散らしましたが、落とし所としましてはこのメンヘラごっこの真似事をしている人たちを"安物ロリ・ゴス"と呼びましょう。

どうもご静聴ありがとうございました。

それではまた。

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