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【寄稿】無くなった電柱
TEXT BY YUKI KIKUTAKE
※フリーペーパーSTAR*18号sideB掲載記事より
人の暮らしを支える電気。
電気なくして、人は生きていく事が難しくなってきた。
電気を誰かのもとに届ける人ために電柱は存在している。
電柱があるおかげで、当たり前のように電気がある暮らしができるのだ。一度建てられると、何年、何十年とその場所で、与えられた仕事をこなす真面目な存在。
今日も、誰かの生活を支えるために、電柱は建ちつづけている。
私は、何も役割を果たしていなかった美観地区入口の古い電柱が好きだった。その電柱は、古い建物の直ぐ隣に立っていた。何気なく通りすぎると気づかないただの古い電柱。まっすぐ前を向きながら歩いているとその電柱の良さには気づかない。空を見上げて初めて気づくものなのだ。空を見上げることで視界に広がる、古い建物と古い電柱、青空の組み合わせ。この組み合わせが何ともいえない、絶妙な美しさなのである。
私のお気に入りの場所となった時、その電柱はすでに、役目を終えていた。電線を支えることはなくただ存在しているだけだったのだ。誰にも認識されず、景観に溶け込んでいる。古い街並みの一部として存在していた。
何も役割を果たしていないからこそ、私は価値を感じたのかもしれない。
だが、ある日突然古い電柱は工事によって撤去された。役割を果たさず、景観にふさわしくないから。
もうその道を歩いても、私の心は満たされない。
今までのように空を見上げても、古い建物と古い電柱、青空の組み合わせは無くなったのだ。何人の通行人が、その電柱の不在に気づくだろうか。多分、そんなにいない。気づいたとしても、あそこに何かあったような気がするという感覚ぐらいなのだろう。そこに電柱は存在していたが、誰の心にも残らず、だけれども私の心には鮮明に残っている。電柱は無くなったが確かに存在していたのだ。
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PROFILE / YUKI KIKUTAKE
菊竹有希
くらがく 代表
1996年生まれ。倉敷市出身。高校卒業後、地元の企業へ就職。 就職後、仕事と共にボランティア活動(グリーンバードおかやまチーム)にも挑戦し、2019年にグリーンバードおかやまチームの代表となる。社会全体に多様性を伝える学びの場「くらがく」を立ち上げ、岡山県内で展開している。