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なぜ生まれてきたのか?
私は誰なのか?

誰もが一度は考えたことがあると思うんです。

私は、中学生の頃から、
『何のために生まれてきたんだろう』と、よく考えていました。
今思うと、中学生の頃が何故か一番達観してましたね。
結局、答えを見つけることはできませんでしたが・・
今もだけどね(笑)


私たちは、「使命」を持って生まれてくる。
生まれる前に「人生のシナリオ(青写真)」を決めてきた。

この世に生まれてきた瞬間は覚えているみたいなんだけど、
話ができるようになる頃には、すっかり忘れるみたい。


何のために生まれてきたのか。
自分は何者なのか。
何をするために生まれてきたのか。

知りたいって思ったこともあったけど、
もし、人生のシナリオ、使命をしっかり覚えていたら、
それだけに集中してしまって、経験や感動を味わえない気がした。
人付き合いもせず、仕事もせず、
それだけ全うするために生きてしまいそうな気がする。

結末がわかっている映画が面白くないように、
結末を知っている方が安心して観れるという人もいるけど、
知ってたら、感動も半減すると思わない?
だって、ここでこうなるって知ってたら、構えるよ。きっと。

例えば、人生で、「数年後、父親が蒸発する」とか知ってたら、
蒸発するまでの期間でさえ、
「どうせ、蒸発する癖に・・」って、冷めた目で見ない?


経験と感動をするために生まれてきた

何かの本で読んだことがあって、妙に納得してしまった。

そのうえで、人生は
自分が誰かを知る(思い出していく)ことなんだなって。


それを探求する心に従っているか、抵抗しているか?

それを見つける”私”なのか。
それを見ないで(見ないようにして)過ごす”私”なのか。


自分が誰かを思い出していくステップが内観。
イメージワーク。
みたくないものを見るかもしれないし、
触れたくないものに触れることがあるかもしれない。

そこに向き合うのか、向き合わないかも大切だよね。

人生は、
自分が何者かを思い出して、
生まれる前に決めてきたコトをやり遂げていくことなんだろうな。

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