生物学のイノベーションも,自分の得意とする分野で〜研究者市場で勝つには.

 大学院生の就職支援誌から,取材申し込みがあった.インタビューで尋ねられた「今の若者はどこが違いますか?」

 えー.また,そんなステレオタイプな質問.と思ったが.言いたいことをいってみた.僕らが大学院生の時には「とにかくどうやって相手をマウンティングするか」,「どういう武勇伝を作るか」,そういう事を考えている同僚が多かった.「今の学生はマジメだし,おだやかですよね.」

 インタビュアーの女性に逆に,「上司って,得意げに,武勇伝を話してきたりしません?,でも御自身の世代って,そんな武勇伝とは関係ない世界に生きていませんか?」と聞いてみた.答えを聞くと「まあそんな感じ」らしい.

1)ドラッガーの言葉を研究者はどのように受け止めなければならないか.

ドラッガーは「現代経営学」あるいは「マネジメント」 の発明者として知られている.ドラッガーの言葉に「イノベーションは,自分の得意とする分野で」がある.

 イノベーションつまり,経営での技術革新は,明らかに.我々,生物学者(科学者)の仕事でもある.

 大学院生の時代には地道に積み上げていくのが一番だ.しかし,長く研究を続けていくうちに,内的に少し多動(ハンター的性質)な性質をもっている人だと,この「イノベーションを起こしたく」なる気持ちになる.

大学院時代は何をするか?「自分の得意とする分野」を着実につみあげることが大切なのだ.短い期間で,かつ,将来「使える」自分の得意とする分野(土俵と言い換えることも出来るが)を,揺るがない確実性で構築する必要がある.これは経営のことだと考えると,大学院生にも研究者にもわかりやすい.自分があまりよく知らない分野や,不得意な分野に,大量の資金をつぎ込んで事業を興しても,成功するとは思えない.最短の時間で最高の効率を上げるためには,やはり自分の得意とする分野での技術革新が必要なのは,よく理解できるだろう.

 ところが,自分の科学の分野になると,なぜかあまり知らない分野に挑戦したり,不得意な分野に取りかかろうとする院生や研究者がいる.それは,間違っているのである.

 だから,大学院生の時代に,将来この土俵でイノベーションを何とも起こさなければならない.とおもって,その土俵を固めることが必要なのだ.場合によっては,他人を自分の土俵で勝負させる必要もある.議論に持ち込まれたら,自分の土俵で勝負する.もっと将来,ポスドクを雇えるようになったら.この土俵でポスドクを雇用することになる.土俵以外でポスドクを雇用すると苦労する*.

 さて,30才までは,どんな新しい分野にも進出できる余裕と柔軟さがある.大学院の時代に虎視眈々と,自分の得意分野を形成し,そこからじわじわと新しい分野を開拓する(学部時代から始めるのが好ましいが).それこそが,科学にイノベーションを起こす近道なのではないか?

 もちろん,全く気づかないこと,思ってもみない発想で,あたらしい研究の道を切り開くという話はある.しかし,それだけを目指すのは,競馬で万馬券を当てるために,多額の資金と投入するのと同じだ(僕はギャンブルはしないが).自分の人生やキャリアは,お金に換算すると何億にもなる.ギャンブルの話だと客観的に見えても,自分のPCの前の研究テーマだと,つい道を誤る人が多い様に感じる.

 大きな事も小さな事も.まずは自分の得意分野を見極めて,そこで勝負するようにする.確実な勝ちをとりにいくこと,そしてそれを積み上げることが必要なのだ.

2) レッドオーシャンとブルーオーシャン

 全く逆のことを言うかもしれない.「血で血を洗うような競争の激しい,かつ既に開拓された市場」で経営競争をおこなう.これを「レッド・オーシャン(血の海)」とする.しかし,ブルー・オーシャン戦略は,そこから可能な限り逃れて競争のない未開拓市場(青い海)で経営を行うというものである.

 この話の最初に書いたが,我々が大学院生の時代は,まさに.血の海をいかに攻略するのか,それが,生物学者の醍醐味であった.PCR技術が普及し,分子生物学的手法が広く生物分野に定着する時代,他の化学や物理学などの科学に負けないように生物学は,それまでのかび臭い古くさい博物学から脱却しようとしていた.生態学という分野の概念が整理され,確立した科学分野として社会から脚光を浴びた時代でもあった.進化学もそれまでは,進化は「学」ではなく思想であるといわれてきたが,多くの科学者の努力が報われて,それが科学の一分野として認められた.土臭い田舎臭い農学も(失礼!),バイオテクノロジーという技術で,物理や化学と同じ,先端科学の仲間入りをしようとした.そんな時代だったかもしれない.

 だから,武勇伝を語り,相手をマウンティングすることが,至上の手法だったのだ.ところが,バブルが崩壊し,リーマンショックが来て,国立大学が法人化した社会の波は,生物学も同様に襲い,むしろ,我々のような基礎生物学はこの大きな余波に翻弄されることになった.

 もちろん,分子生物学も生態学も,また進化学も,生物資源と名を変えたバイオテクノロジーも.当時はブルーオーシャンではあった.しかしながら,みんながこぞって,あたらしいブルーオシャンの,リゾート開発地に進出したため,ブルーオーシャンは一気にレッドオーシャン化したのである.

 長らく自由気ままな,ブルーオーシャンを追い求めて,地球上の極点やツンドラから熱帯雨林まで,真核生物から節足動物まで,様々な研究分野をみてきた.僕にひとつ言えることは,レッドオーシャンであっても,ブルーオーシャンであっても,「イノベーションは,自分の得意とする分野で」行う事である.

 そして.その「自分の得意とする分野」を丁寧に構築できるのが,学部時代,また,大学院時代ということになる.揺るぎのない得意分野作りを丁寧に,コツコツと積み上げることこそ.結局は,研究者市場で勝てる最大の戦略なのではないかと思っている.自分の「自分の得意とする分野」を構築することで,そこへまったく違う材料を引き込んでも,常に勝つことができるのではないか.これが,就職支援誌のインタビューを通して考えたことである.

3) 私自身は動物分類学者である.「動物分類学などと言う分野が,まだあったのか」と,同僚に冷やかされることもある.「他の化学や物理学に負けないように,生物学はそれまでのかび臭い古くさい博物学から脱却しようとしていた」と書いた.困ったことに,動物分類学はまさに,このかび臭い博物学なのだ.

 2019年にブータンを訪れた時に,ブータン王立大学の生物多様性学部の教員が,全員ずらっとならび,我々日本チームに紹介されたことがある.先方の教員は,異口同音に,「私はDNA解析を行っている」と自分の研究を紹介した.あ,同じ光景を日本の30年前に見たとおもった.DNAの解析手法を,様々な分野に持ち込んだ.そのときだ.近年,超並列シークエンサーが持ち込まれた.さすがに後者の時は,声高には話さなかったが,ついて行けないとどうなるかという危機感はあったかもしれない.

 しかし,である.「イノベーションは,自分の得意とする分野で」とするならば,動物分類学者にとって,自分の得意とする事が何なのかを.考える必要がある.決して,DNAを使った解析ではないはずだ.自分の得意とする動物種がいて,この動物をどの様に,我々は認識し識別するのか.このことを最も得意とするならば.それで勝負することを考えるべきなのだ.

 そうでなければ,口々に「私はDNA解析を行っている」という間違いを.我々も犯すことになる.私達が何で勝負すべきなのか.なにでイノベーションを起こさなければならないのか.それを考えるべきなのだろう.

 私達には,私達の年齢ですべきことがある.しかし,大学院生も大学院生としてすべきことがある.ともに,誤ることなく,正しい方向をむいて,努力しよう.やるべき事をしよう.お互いに協力して前に進むことが日本の動物分類学という分野を正しい方向に導くはずだ.そのことが研究者市場を自分たちにとって,少しでも良いものにするはずだ.動物分類学だけではない.生態学も,発生学も,生物学全体でも.研究者市場で勝つために,なにが.より良い方向なのかを考えて,それぞれの立場ですべきことをする.基礎生物学の危機であることは,ここで敢えて話さなくても誰もが理解していることだろう.しかしながら,各々が自分の得意な分野で.イノベーションをおこすとき,日本の生物学はより前進し発展できることを信じている.


*話はそれるが,世の中のポスドクや研究者の雇用には,2通りがある.1つは明確に,雇用したポスドクが何をするか,研究の中身ではなく,どの様に組織に貢献するのか,組織としての戦略が明瞭にきまっている公募である.もう1つは,若い人に来てもらって何でも良いから期待している公募だ.おおくの公募を見る機会があるが,ほぼ,どちらかに分ける事が出来る.さて,後者は大概失敗する.雇用者側も採用者側も多くの場合,不幸になる.採用したポスドクや研究者の研究方向の舵を最終的には,雇用者が責任をもってとることが出来なければならい.研究の土俵の外でポスドクを雇用したとしても,組織としての土俵(得意分野)の上で最終的にけじめはつけるのである.ところが,後者はたいていの場合,雇用者が責任を回避する.あるいは,自分の不得意分野だからと逃げることがある.責任をとる覚悟がないまま,若手の能力に賭けるというような,いってみれば,ギャンブルの雇用が成功するはずがない.これでは,雇用者も雇用された側も,お金と貴重な若い時の時間を無駄にするだけである.自分は自分として生き残るという強い意志を持つ人が雇用されると,雇用者とぶつかることになり,逆にいい人は,雇用者に良いように使われるか,道をまよってしまう.結局.後者のような雇用募集はおすすめできない.

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