27.サーフィン始めてみませんか
みなさま
おはようございます。
最近、サーフィンしておらず
全然焼けていないので、丘サーファーと呼ばれている千葉です
今日は、サーフィンについて書いていこうと思います。
今回取り上げた理由は、
最近サーフィンを始めた友人が多いことと
パリオリンピックでサーフィン競技が行われることもあり、
折角の機会にサーフィンの歴史を知りたいと思ったからです。
今回の投稿を通じて、前回の東京オリンピックから正式競技に
認定されたサーフィンをより楽しんで観戦できるような豆知識をお届けできればと思います。それでは見ていきましょう。
・サーフィンを知ろう!
・サーフィンの発祥
サーフィンを発明したのはハワイやタヒチに住んでいた古代ポリネシアの人々ですが、古代サーフィンつまりサーフィンの起源はあまりに古くて、
現時点では、いつ始まったのか、はっきり解っていませんが少なくとも西暦400年頃にはサーフィンの原形のようなものがすでに存在していたようです。
サーフィンの誕生は、古代ポリネシア民族のライフスタイルと密接な関係があります。海の民といわれる古代ポリネシアの人々は大航海時代といわれたコロンブスやマゼランの時代よりもはるか以前から大洋を航海する高度な技術を持っていました。そのような彼らの発明の一つにアウトリガーカヌー
があります。
カヌーの片側を支持する浮の着いたこのカヌーは転覆に強く、彼らはこのカヌーで珊瑚礁の外へ漁に出かけました。珊瑚礁には毎日のように波が押し寄せていますから、カヌーが漁から帰るときに必然としてその押し寄せてくる波に乗ってしまうわけです。きっと波に乗るのが上手な漁師はみんなに尊敬されたことでしょう。漁業の技術の一つであったその”波乗り”が、いつのまにかあまりの楽しさのために、娯楽として一人歩きを初めて、そしてカヌーは次第に小さくなり、オロとかアライアと呼ばれるサーフボードの原形が誕生したのだと思われます。
サーフィンはたいへん盛んに行われていたようで、チャンツといわれる古代から伝わる詩には、たくさんの「 he enalu」(ハワイ語でサーフィン) が登場しています。たとえばサーフィンで決闘した勇者たちとか山の部族に嫁いだためにサーフィンができなくなって悲しんだ女性の話しとかもあります。このユニークなサーフィンというスポーツは古代ポリネシア民族の儀式にまで登場し、この文化の中心的存在にまで上り詰めていきました。
ヨーロッパ人で初めてサーフィンを目撃したのはイギリス人の探検家ジェームス・クック船長です。彼はタヒチとハワイでサーフィンを目撃してそのことを航海日誌に書き残しています。しかし残念なことに彼の発見によってポリネシアの島々にヨーロッパの文化や宗教が押し寄せました。宣教師たちは布教の妨げになるためサーフィンを禁止してサーフボードを取り上げて燃やさせてしまったのです。ここに古代サーフィンはここに終焉を向かえたのです。
・近代サーフィンの特徴
終焉を迎えた古代サーフィンですが、20世紀初頭になって、常夏の島として観光業が盛んになったハワイで再び行われはじめました。この時に観光客が水難に遭わないようにと、ハワイアンたちがビーチボーイとしてホテルに雇われるようになり、そこでアクティビティとしてカヌーや、サーフィンが復活したのです。教会の人々は、これを阻止しようとしましたが、ワイキキの海岸だけは黙認しました。正確な理由は解りませんが、ヨーロッパやアメリカから移り住んでいる人たちを、海難から守るという意味合いで、波の穏やかなワイキキは認められたのかも知れません。
これがきっかけとなりハワイアンだけでなく移住してきた人達もサーフィンを楽しむようになります。そのなかにジョージ・フリースという青年がいました。彼はカリフォルニアに始めてサーフィンを伝えた人でハンティントンビーチで初めてサーフィンのエキジビションをしました。また彼はカリフォルニアの最初のライフガードになり、1907年には日本人の漁師を七名救助したという記録も残っています。ハワイも急速な観光地化に伴ってライフガード組織が必要になりました。
その主要な役割を担ったカハナモク家の長男が「近代サーフィンの父」と呼ばれるデューク・カハナモクです。サーファーとしてそしてスイマーとして卓越した技術を持っていたデュークは1912年にストックホルムオリンピックのアメリカ代表として出場し 100mm自由形で世界新記録を容易に達成します。しかもそれから17年間世界一の座を維持し続けました。一躍世界的なスターとなったデュークは世界の水泳競技大会に招待されるようになります。デュークは招かれた国々でチャンスがあればサーフィンをしてこの素晴しいスポーツの普及に努めました。
特に1915年の1月15日にオーストラリアのシドニーで行ったエキジビションは有名で、それによりオーストラリアではサーフィンは国民的なスポーツとして大きな発展を遂げています。デュークの偉大な功績により近代サーフィンの礎が築かれたといっても過言ではないでしょう。彼の偉業を称えるためにハワイのワイキキ海岸とオーストラリアのフレッシュウォーター海岸には彼のブロンズが建てられています。
こうして産声をあげた近代サーフィンは世界の各地で急速に発展します。とくにハワイ、カリフォルニアそしてオーストラリアではサーフィンクラブがいくつも組織されて独自の個性を持ったサーフィンスタイルが確立されていくようになります。サーフボードも、熱心で独創的なアイデアを持ったサーファーたちの試行錯誤によって発達していき、第二次世界大戦の後には現在も主流をなすグラスファイバーとウレタンフォーム製のサーフボードが誕生します。そのサーフボードの発達に伴ってサーフィンのライディングテクニックも高度になり現在もさらに進化しています。
そしてサーフィンのスタイルも多様化していきました。サーフボードにセールを取り付けたボードセイリング(ウィンドサーフィン)や足ヒレを着けて腹ばいになって滑るボディボードなども、現在では別個のスポーツとして世界的に普及しているのはいうまでもありません。またサーフボードにストラップを着けてジェットスキーの補助を受けながら、ライディング不可能とされていたビッグウェーブを征服するトゥーインサーフィンという新しいサーフィンも生まれています。将来は普通のサーフィンにもストラップを着けるのが常識になるのではという予測もあります。また過去のものとされていたロングボードという1960年代に一般的であったサーフボートが復活してサーフィンの未来に新しい方向性を示しています。
日本のサーフィンが産声を上げたのは1960年の頃、アメリカ人が湘南や千葉の海でサーフィンを楽しんでいるのを地元の少年たちが模倣して自作の「フロート」と呼ばれたボードで初めたのが最初だといわれています。そして1965年にはその青年たちによって日本サーフィン連盟が発足し翌年の7月には第1回の全日本選主権が99名の選手のなかで競われました。そして34回を数える1999年大会には過去最大の1100名の選手が出場しました。日本サーフィン連盟は多くの優秀なサーファーを数多く輩出し日本のサーフィンの発展に大きく貢献してきたといえます。まさに日本のサーフィンの歴史は日本サーフィン連盟と共に歩んできたといえるでしょう。
・サーフィンをしている芸能人
芸能人の方でもサーフィンを行っている方々が多くいらっしゃいます。
芸能界に入られてからサーフィンを始められている方が多いので、
どのタイミングからでも始められることが分かりますね。
・木村拓哉さん
・伊勢谷友介さん
・深田恭子さん
・大島優子さん
・オバマ大統領
・オリンピックの見どころ
さてここまでお話ししたところで、オリンピックの話題に移りたいと思います。
すでに開催しているパリオリンピックのサーフィン競技に出場されていた日本人選手は五十嵐カノア(26)、稲葉玲王(れお)(27)、コナー・オレアリー(30)、松田詩野(しの)(21)選手の4名です。いずれも敗退してしまいましたが、どの選手も最高のチューブに乗って、技をメイクしていました。
また、今回の会場は南太平洋上のタヒチ。ここはフランス領ポリネシア群島です。フランス国内には大西洋側の沿岸に世界大会が行われるラカナウ、ホセゴー、ビアリッツなどのサーフポイントが多数あるにもかかわらず、今回はパリから15,705kmも離れたタヒチが選ばれました。それは、チョープーと呼ばれるポイントの波の迫力と、その中での技が、視聴者にもわかりやすいからだと思われます。
いかがでしたでしょうか。
盛りだくさん書いてしまいましたが、パリオリンピックサーフィン競技は
7月27日から閉会式ギリギリの8月12日まで開催される予定です。
残すは準決勝と決勝になるので、
オリンピックサーフィン競技を楽しく見るための一助になれば幸いです。
観戦していて、居ても立っても居られないという方は、
チョープーのような波は難しいかもしれませんが、
湘南や九十九里、身近な海でサーフィン始めてみるのはいかがでしょうか
本日はここまで
最後までお読みいただきありがとうございました
またね~
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