幸福日和 #100「心の荷物をおろして」
海外の友人と仕事をしていて、
幾度となく言われた言葉。
「日本人はどうしてそこまで、
(何か)を背負いながら働いているの?」
日本人の僕には、
自分がなにかを背負って生きてるだなんて
考えたこともなかったのだけれど、
彼らが外側から日本人を眺めると、
そのように見えることが多いらしい。
そして、それはだいたい、
良い意味というよりは、
悪い意味なんですよね、、、、笑
その「何か」がなんなのかは
彼らにも分からないし、
言われた僕にも、よく分からなかった。
でも何か「重荷のようなもの」を背負っているように
見えるらしい。
「余計なお世話だなあ」
そんなことを思いながらも、
今こうして冷静に当時を振り返ってみると
自分の中でも思い当たるふしがないわけではなりませんでした。
仕事の役割、社会人としての使命感
次第に組織や社会の中で、そうやって自分の思いを押し殺して、
自分の視野を狭くしていたといえばそうかもしれませんでした。
悩みながらもがいていた、
20代後半の頃のことでした。
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話は変わって、
これもまた、海外の友人から言われた言葉。
仕事でインド人の友人と商談をし、
合間にホテルのレストランでランチをとっていた時のこと。
「日本人は、どうして家族よりも仕事を優先するのか」
と言われたんです。
またまた「日本人」と、、、、。
なにもそんなに「国民性」でくくらなくてもいいじゃないか(笑)
と思いつつも、、、、。
実は、僕がインドにいたその日は、
母親の誕生日だったんです。
そのことを、軽く彼に話をしてたら、
そんな大事な日にこの場所にいることが信じられない様子で、
驚いた表情で、彼は僕の顔を眺めるんです。
インド人とは、こんな表情をするものかと、、、、
あの時の彼の表情が忘れられない、、、。(笑)
仕事のため、出世のためなら、
家族やプライベートの時間ですら犠牲にしてしまう。
そんな多くの日本人の生き方や、
目の前の僕に疑問を抱いているようでした。
彼はインドでITの普及に励む、
有能な人物にもかかわらず、
日夜仕事に励みながら、
何よりも家族との時間を優先しする人でした。
食事中でも、家族にメールを送ったり、
彼の手帳には、いつも奥さんの写真が挟んである。
彼の頭の中には、仕事であろうとランチの時間だろうと、
そこにはいつも家族の存在があった。
いつか、僕が病になって、
しばらく仕事を休んでいた時があるんです。
その時に、彼は遥かインドから、
Eメールで暖かい言葉を届けてくれたんですね。
「病にかかることは不幸だけれども、
その分、看病してくれる家族との時間を
過ごせるじゃないか。幸せな時間を。」と。
彼のその言葉に、心の底から、
ふっと軽くなるものを感じたことを覚えています。
自分は、今まで何かを背負いすぎては、
大切なことを見失っていたのではないか。
働くことしか頭になかった自分を、
病床で猛省していました。
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気がつかないうちに、
多くの義務感や責任とともに
身動きが取れなくなってはいないだろうか。
そして大切なものを見失ってはいないだろうか。
時にそう考えることがあります。
日本では当たり前だと思っていることでも、
実は他の国の人々から見れば、
考えられないほど無理をしていることも多い。
本当にこんな時間まで、
無理して働くべきことなのか。
そこまで、自分の人生を犠牲にして、
周りのことばかりを考えなければいけないものなのか。
見えない重荷を背負うことで、自分を見失い、
身近な人を不幸にしてしまう恐れがあるのなら、
もっと気楽に歩いてもいいのではないかと思う。
言い方は悪いけれど、
時にはサボったってかまわない。
時には力を抜いて、
心の重荷をおろして。
静かに空を仰いで
深呼吸でもして。
軽やかに歩みたいものです。