幸福日和 #075「すぐそこで、高鳴るもの」
数年前の入院生活でのこと。
世の中とのつながりも絶たれた状態で
平凡な日々を過ごしていました。
「世の中のつながりを絶たれた」とは
大げさに聞こえるかもしれないけれど、
当時の僕は、病床で体を起こす気力すらなく、
テレビや新聞も目にすることもできない状況の中で、
社会で起きている出来事など何も見えていませんでした。
唯一、お見舞いに来てくれる友人の情報だけが
世の中のすべての出来事のように感じていました。
無駄にすぎていく時間。
変化のない日常。
そんな中で、僕の体温は不安定に乱高下を繰り返し、
突然起きたかと思えば気まぐれに静まる発作と向き合い、
変化のない日々の中で、
身体だけはめまぐるしい変化を繰り返していました。
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いつものように朝、昼、晩と、
看護師さんに心拍を測ってもらいながら
ある時、僕はふと思ったんです。
「自分の心臓の鼓動を聞いてみたい」と。
そんなくだらないことを思いつくほどに
つまらない毎日だったのかもしれません。
病院が患者に聴診器を貸すことなどないだろうに、
僕は一つの聴診器を借りて、
しばらくの間、病床生活の相棒として
肌身離さず身につけていたんです。笑
心臓のある位置に聴診器をあて、
肌に直接、テープで固定をし、
両耳には聴診器を繋げたまま。
そうして、朝から晩まで心臓の鼓動に耳を傾ける。
自分の命のリズムを聴きながら、
窓辺の花に目をやり、その先に広がる空を眺め、
軽やかに飛びたつ鳥たちの姿を眺めていました。
「自分は止まることなく動き続けていたんだ。」
それまでの僕は、
病床生活で人生が止まったかのような思いでしたが、
体内では時間は確かに続いていたのだと確認できた。
普通に考えれば、あまりに当前のことだけれど、
そんなことすらも忘れていたのかもしれません。
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そうして自分の鼓動に耳を傾けていると、
不思議と体温の変化や、発作も起こることはありませんでした。
また、毎日自分の鼓動を聞いていると、
自分の聴覚が、その響きに敏感になってくるんです。
その鼓動の中にも色々なリズムや、
微妙な変化があることに気がつくんですね。
例えば鼓動が高鳴る時。
楽しみにしていた食事の時間へ向かう時の鼓動と、
主治医の足音を耳にした時の緊張した鼓動は違う。
また、大切な人がお見舞いに来てくれた時の心の高鳴りは、
同じ鼓動でも、やはり微妙に違うんです。
自分の身体は外の出来事に対して、
こんなにも単純に影響されているのかと実感した。
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何も変わらない日常の中で
自分は常に変わり続けているということを
「生」で感じた出来事でした。
そして何よりも、
目に見えるあらゆるものの変化が尊いものにも感じた。
日が登り、沈んでゆくということ。
窓辺で鮮やかに花が咲いては、朽ちていくということ。
朝は笑顔だったのに、夜は疲れた表情の看護師さん。
そうした一つ一つの「変化」に触れながら
言葉にならない、温かみのある感情が
自分の中に満たされていくのを感じました。
自分の鼓動を聞いたあの時以来、
大切な何かに触れて、そこから日常を見る目が変わった。
そんな不思議な経験でした。
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近すぎて聞こえない音。
そうしたものにもっと耳を傾けていきたいという
おもいがあります。
それは「心臓の音」以外にもいろいろあるのだと思う。
誰もいない。この孤島。
とっぷりと暗く、濃い夜の中で、
遥か向こうの浜辺から、波の音が聞こえてきます。
あれは、この星の鼓動ではないか。
ふと、そんなことを思いながら、
目を閉じて、
静かに耳を傾けているんです。