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今その場所に、居るということ。

いつもはすぐそばで
絶え間なく聞こえていたはずの波の音も、
山高くから響いてくる鳥のさえずりも、
全く耳にしていませんでした。

いや、自然の営みは絶え間ないはずで、
本当は聞こえていたと思うのですが、、、
何かに没頭している間は、
あまりに身近なこと過ぎて、
意識できていなかったのでしょう、、、。

それでも、不思議なことに、
心疲れた時や、物思いにふけっている時というのは
それまで聞こえてこなかった海の音、山々の風の響きが、
いつもより身に沁みて、大きく感じられることも。

身近にありすぎて忘れていたことが、
ある時、大切な存在だと気がつくことがあります。

人にとって必要なことは、
実は身近な環境にこそあるのかもしれません。


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人が「その環境に居ることの意味」を
しばらく考えていたことがあります。

ある国で生まれたということ。
育った町や都市や見慣れてきた風景。
家庭環境や家族構成など。

時に自分の置かれた環境を嘆く人もいますよね。

家族から離れたい。
こんな街早く出ていきたい。
いつまでここで仕事を続けなければいけないのか。

置かれた状況に悲観することは簡単なことですが、
もっと前向きな思いで、
その場所から何かを感じ取る姿勢があれば、
もっと違う景色が見えるのかもしれません。

海に育った人が、水平線の先に希望を見出し、
山に育った人が、山々の深さに安らぎを取り戻すように、
その人が、その環境に居るということは、
どのような状況であれ、
その人にとっての今後を支えていく
大切なヒントが隠されていると思うんです。


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例えば、
世界には数々の発明が伝えられていますが、
そうした中には、発明者が自分の置かれた環境と向き合いながら
生まれてきたものもあります。

皆さん、毎日スマホを使っていると思いますが、
そのもとである「電話」は
スコットランド生まれの発明家グラハム ・ベルさんによって
発明されたものです。

なぜベルさんがこのような発明をしたのかといえば、
彼の母親と奥さんが「聴覚に障害」を持っていたことが
一つの理由なんですね。

彼は若い頃に母親の聴覚障害をきっかけに
音響学を学び始めましたが、
その後、結婚した奥さんも同じように聴覚障害を持つ人でした。

ベルさんは、耳の聞こえない母親と妻と生活をともにしながら、
人々が「声によって繋がる」という喜びを夢見ては
その可能性に強い想いを抱いていたのでしょう。

そもそも彼は、発明家ではありませんでしたが、
それまでの研究での経験を活かしていきながら、
やがて「振動で受けた音声を電気信号に変換する」という
音声受信のアイデアを思いつき、
それによって電話機を発明することになるんですね。

制作当初はオモチャのようなものだと
周囲から馬鹿にされもしましたが、
それでも、万博での発表を通じて、
世界の注目を集めていくようにもなり、
やがて「実用電話」として世界に広がっていくことになるんです。

実は「電話の発明」は、
同じ時代を生きたエジソンをはじめ多くの発明家も取り組んでいて、
ベルさんは特許を巡って数々の訴訟にも巻き込まれてしまいます。
でも、彼は金儲けのために発明をしていたわけではありません。
ましてや、世の中を変えてやろうという、
野心を持っていたわけでもない。

自分の置かれた環境や家族への純粋な想いから、
必要に迫られて一つの偉大な発明を成していったんですね。

「電気についての知識を多く得ていたら、
電話の原理など思いつかなかった」

このベルさんの言葉は、
何かを生みだすためには、難しい科学の理論とは別のところに、
大切な原動力があるのだということを教えてくれます。

この一つの発明は、
聴覚障害であった母親や奥さんへの
ベルさんの優しく温かい想いが
「電話」という一つの形として結実したものなんです。


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日々どのような思いで
目の前のことに取り組んでいるのか。

常にそのことを意識していきたいと思っています。

人は目的を誤ると、
手段にばかり気をとられ、
大切なことを見失うことがありますから。

例えば、全く同じことをしているように見えても、
その人が「どのような姿勢」で物事と向き合っているかで、
生き方がまるで違ってきますよね。

考えてみれば「働く」ということも、
本来は自分自身が豊かな生活をおくりながらも、
仕事を通じて人々に喜びを与えることでもあるはず。

それがどうして、
いつしか、毎日の作業に必死になり、
お金や業績に血眼になってしまい、
お互いを傷つけながら、共に疲弊していくことすらある。

これは僕個人の考えもありますが、
それぞれ違う環境にいたはずの個性的な人々が、
同じようなことをし始めたことによる
「歪み」のようなものではないかと思うんですね。

そうしたところに過剰な競争が生まれてしまう。

人は、その人の置かれた環境によって、
感じることも、身につけてきたことも違います。

だから、その人のやるべきことは、
やはり人それぞれに違うのではないかと思いますし、
時に身近な所に立ち返っていくことで
その人が豊かにいきていくためのヒントを
見つけることができるのではないかとも思うんです。

僕の身近なところでも、
絶望の果てに死を覚悟した人が、今では牧師をし、
家族を病気で失った友人が、医師として人の命を救っています。

普通に考えたら嘆くべき環境や状況を、
自分の生きるための力へと変えて生きている。

何のためにこの時間を使い、
今日を歩んでいくのか。

ベルさんが電話を発明した想いのように、
誰にとってもそうしたきっかけというものは、
身近な所にあるのだと思うんです。


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時に自分の身近なところを
見つめ直してみる。

そうした「自分の居場所」から物事を考えてみると、
必要なことが自然と浮かび上がってくるかもしれません。

すぐそばにあることが、
ヒントになる。


どうか、そんな自分と向き合える、
素敵な時間をお過ごしください。


遥か孤島から感謝を込めて。

いつもありがとうございます。

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Ryota【孤島物語】毎日更新
最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。