幸福日和 #087「道草からの眺め」
こうして孤島で生活をしている僕は、
働いてもいないし、世間から見れば、
完全に「脱線した人」に
見えてしまうのかもしれません。
そもそも、人生の脱線とはなんだろう。
人生に明確な道なんてあるのだろうか。
そんなことを考えたりもします。
労働市場でキャリアアップが叫ばれ、
世間体というものが意識される世の中。
時には、
脇道にそれながらも他人が眺めることなどできない、
自分だけの絶景をながめながら歩めたら、
それは素敵なことではないか。
そう考えると、
脱線こそが希望のようにも
思えてならないんです。
✳︎ ✳︎ ✳︎
それまで歩んできた、教育の道を大きく外れて
金融業界へと大きく道をそれた友人がいます。
彼はもともと、
大学で経済学を教えていて
サラリーマンよりも多くの給料をもらい、
経済的な安定を保証されていたんです。
それにも関わらず、「生きた経済」と関わりたいと
考え大きく道を変えた。
今では学問の現場と現実世界との乖離を
実感しながらも、経済を生で感じる日々を送っているのだそう。
知識を着実に学び、経験を蓄積しながら、
その度に見える景色が変わっていくのだと、
充実感のある笑顔で語ってくれていたのが印象的でした。
✳︎ ✳︎ ✳︎
また、フランスに住む別の友人は、
もともと都内の有名ブランドで、
天然素材のコスメを販売していたんです。
ブロバンス発祥のコスメといえば
日本でも有名だけれど、
彼女はそのブランドでの仕事を通じて花の香りや、
薬草の効能に魅せられて、その先に関わりたいと、
コスメ会社を退社。
ひとり、南仏プロバンスへ向かったんです。
今では、慌ただしい都会生活から離れ、
南仏プロバンスでラベンダーを育て、
数々のハーブに囲まれ、香りだけではない、
優しさに包まれた毎日を送っています。
✳︎ ✳︎ ✳︎
人は歩み続けてきたレールから外れると、
とてつもない不安に襲われることがあります。
積み上げてきた経験が活かされなくなってしまうのではと、
数年間を無駄にしてきたような気にもなる。
でも、全ては生きた経験として
繋がってゆくものだと思うんです。
脇道を歩いているうちに、
思いもよらない絶景と出会い、
心満たされ、日常が支えられていくこともあります。
そう考えると大切な道とは、
いつもそぐ側を外れたところにこそ
あるのかもしれません。
経済を学問にしながらも、
それを応用したいと金融の世界に飛び込んだ友人。
天然素材のコスメを販売しながらも、
その由来に触れたいと遥かフランスの農園へ向かった友人。
僕の身近には、寄り道の先で
豊かな人生を送って入る人が数多くいます。
仕事とという概念をも越えて、
自分自身と向き合うために。
✳︎ ✳︎ ✳︎
しばらく入院生活をしていた時のこと。
担当の主治医さんが、
幼い僕に語ってくれた言葉が今でも忘れられません。
「人は死ぬときに何で後悔するのだと思う?」
「それは、やりたいことがあったのに、
それをやらなかったことなんだよ」
事実、多くの患者さんが、その言葉を残して、
この医師のもとから旅立っていったのだそう。
そういえば、
当時、同じ病室で入院生活をともにしたおじいさんも、
全く同じことを言っていた気がします。
「好きなことは、今しておきなさい」と。
心の底から湧き上がるものがあるとき、
人はその潤いで今を満たしていくことができる。
でも、時間を経過して心が乾いてしまえば、
そこにどれだけの想いを注いでも、
満たしていくことは、なかなか難しいのだと。
だからこそ、思いがある時は、
その時の思いのままに進んでゆけばいいのだと。
鳥は大空を自由に
どこまでも広く羽ばたくように。
魚は海の中を雄大に、
どこまでも深く泳いでゆくように。
決められた道など、
人の概念の中だけにしかないのかもしれませんね。
自分だけの景色だけを
大切にしてゆきたいと思うんです。