合気神社

1942年に合気道開祖、植芝盛平は妻はつと共に東京から旧岩間町に転居し、36畳の道場と神殿を建立する。ここで盛平はわずかの弟子と共に武農一如の生活にいそしみ、『和の武道』としての合気道の完成を見る。後に盛平自身この地を『合気道の産屋』と称し聖地としていた。

このとき盛平のそば近く仕えた弟子が斉藤守弘師範である。斉藤師範は盛平の死後も合気神社の守人として盛平晩年の技を伝えた。これがいわゆる岩間流である。

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