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半径5mのユートピア


「まったく... 政治家は何やってるんだろう」

生きづらい社会がなかなか変わらないのを、ぼくたちはついついリーダーのせいにしがちです。「社会」という大きな話になると、自分には手に負えない。関係ないと思ってしまうのです。

一人ひとりの意識が「社会」をつくっているわけで、関係ないわけはないのですが、いかんせん大きくて実感が湧かない。

しかし、自分自身との付き合い方が、外の人間関係に反映する。このことは実感があるのではないでしょうか。自分に無理を強いて休日もなしに仕事をしている人は、同僚や取引先にも同じように自己犠牲を強いてしまう傾向があります。自分の声をちゃんと尊重してあげられる人は、他者の声も尊重できるものです。

まず内側で自分自身との関係を健康的にできたら、それが外の世界に広がっていく。

自分はどのような社会で生きたいのか。理想を描いて、その通りにまず自分の半径5mから実行してみたいものですね。

発する言葉もそう。言葉を扱う仕事をする上で、ぼくが絶対にしたくないのは、恐怖で人を動かすこと。人の批判や悪口、怖い事件のニュースは耳目を集めやすいですよね。アクセスを稼ごうと思ったら、「悪」を登場させるのが鉄板です。誰かを口汚い言葉で罵り、毒舌バトルしたりしている。

いい大人が... 気分が悪いなと思いながらも、人間はどうしても「悪」に注目してしまう本能があります。

誰だって、もし電車の中に不審者がいたら、その一挙手一投足から目が離せないと思うんです。それはもちろん好きだからではなく、自分の身を守るため。危険が及んだら困るから、ずっと動きを注視するんです。視界から消えても、追ってきてないか時々後ろを振り返ることもある。

逆に、老人に席を譲った善人がいて、素敵な若者だなと思っても、彼にずっと意識を持続させることはありません。3秒もしたら、再びスマホに視線を落として忘れるはずです。

真善美よりも、悪のほうが効率よく注目が集まるので、批判や警告がネットに溢れる。生活費を稼ぐためとはいえ、それでいいのでしょうか。少なくとも、恐れが蔓延する世界はディストピアでしかない。闇がなければ光もないので、悪があってもいいんだけど、せめて2割におさえられないかな。だからできるだけ、自分は本能を克服して悪に心を奪われないように気をつけています。みんなが見なければ、悪も増長しないので。

あとは、光が当たらない人にこそ、光を当てたいと思っています。ニュースはヒーローばかりを取り上げます。飛び抜けた結果を出している天才が、「情熱大陸」や「プロフェッショナル」で紹介される。

人物取材の時にぼくの目が行くのは、天才よりもむしろ周りの人たちです。例えば、高校野球で大谷翔平選手のような天才が現れた時、チームの先輩の姿が気になります。後輩として大谷くんが入ってきて、3年生の先輩は、あっさりとレギュラーの座を奪われるわけです。やっと自分の代が来て、試合で投げられると思ったら、後輩に天才がいた。悔しかったと思いますよ。運命を呪ったことでしょう。

それでも腐ることなく、夜遅くまで天才の練習相手になって

「お前ならトップになれるから、俺らのことなんか気にせず思いっきりやれ」

そうやって励ましてくれた先輩がいるはずです。天才が天才として育つには、同じくらい強い練習仲間が必要なんですが、彼らを取り上げる記事はありません。

人々は結果ばかりをみるけれど、「生きる姿勢のよい人」をぼくは取り上げたい。評価はされなくても、自分にできる役割を精一杯つづけている人たち。目立たなくて、声も小さく不器用だけど、そういう99%の人にも光が当たる世界が、ぼくにとってのユートピアです。

有名人をさらに有名にするような出版ではない。まだ光が当たっていないけれど「生きる姿勢のよい人」の出版を応援し続けている理由は、そこにあります。


環境問題や貧困や戦争など、人類が抱える大きな問題を考えると途方に暮れますが、まずは一人ひとりが自分の仕事や暮らしで小さなユートピアを実現していきましょう。その先に、きっと大きなユートピアがある。

どんな社会であなたは生きたいのか。今日のあなたの言動、一つひとつがその表明となるのです。

TEXT:自由大学 学長 深井次郎 (自分の本をつくる方法教授)

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