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批判の世界(他人軸)から望みを叶える世界(自分軸)へ

私は人生で、はじめてのことを体験していて、とても心が不安定になっていた。
こんな時、恐れから生まれる思考はどうしたって消えはしない。
瞬間、瞬間を観察していると消えている時もあるけど、再び恐れの中に入っていく…。そんな感じ
こんな時、私は恐れに蓋をしない。
無理はしない。痩せ我慢はしない。
どんどん恐れを感じさせてあげる。

そんな時、
頑張って!
頑張れ!
頑張ってる?

この言葉を言われた時、すごくイヤな気分になった。
だから私はその人の言葉を採用しなかった。

だけどふと分かったことは
この言葉自体が人を傷つけるのではないこと

その人がその時、どんなエネルギーで言葉を発しているか、だけなんだ。

というのも、わたしが私に向けて
「がんばろうー!」と声をかけると、安心するし
別の人に「がんばろー!」と言われた時
素直に「うん、がんばる」と思えたから

心が落ちて疲れきっている人に
「がんばる」というワードは絶対にかけてはいけない。と言う人もいる。
だけど、今の私はそれは違うと断言できる。

私たちがいつも受け取っているのは
やっぱりエネルギー、周波数なんだ。
ということがとても腑に落ちた。

言葉ではない。

私たちは意図しなくても、無意識にエネルギーや周波数を常にキャッチしている。

わたしが私に「がんばろー!」と言う時、
いつもわたしは側にいる。
だから安心してどんな気分も味わおう。
辛さを感じて泣いてもいいよ。
わたしがついているから何が起きても大丈夫だよ。
という想いをのせて伝えている。

わたし以外の人が私に「がんばろー!」と言って私が素直に「うん、がんばる。」と思う時は
私も側にいるからがんばって生きていこー。
こんな感じの想い(エネルギー)をのせているんだろう。

そう、何が起きても大丈夫。という言葉とは、外の世界に向けてよりも、一番大切なのは、私自身がどんな状態でも大丈夫だから。という私を全許容してくれる想い。
決して外の世界にむけて
負けるな!ではない。
勝ち負けなんていらない。
魂はそんなものを望んではいない。

人は外に目を向けて生きていると、どうしても勝ち負けの意識になるし、条件をつけなければそれは(勝ち)成立しないという思考になる。

私はもうそんな世界では生きたくない。と心に決めて生きている。

言葉に囚われるのもいや。
感じていくほうがよっぽど心地良いし、私が感じていることをわたし自身が観察することで私の人生の道標となる。
いやなエネルギーは受け取らない。
相手がどうこうではない。
私は私が受け取りたい。と思うエネルギーを受け取る。と決めるだけ。

これからも感じていこう。


───💫💞
そもそも論ですが、私を救うのも、癒やすもの、わたししかいないのに、勝手に外に求めて、そのエネルギーはイヤだ。受け取りたくない。と言っている時の私は自分勝手の塊です。相手にたいして失礼な話です。
でも、外に甘えたくなる時もあるんだよね。そしてその結果、また氣づきが起きるの。
氣づきが起きると誰も悪くない。←もちろん自分勝手な私も
となります。
それに、ここまで氣づくと、相手のことがいやだ。ではなくて、「今、そのエネルギーは受け取りたくないから受け取らない」というだけなの。
じゃあどんなエネルギーを受け取りたい?と自分に質問して
こんなエネルギーを受け取りたい。
と応えてくれると、そのエネルギーをわたしが私に出してあげたらいい。
こうして、批判の世界から望みを叶える世界にシフトチェンジする。

そして、「頑張れ!」の言葉からこうして氣づきを与えてくれた方にも感謝の気持ちが湧いてきます🙏✨


余談❤️
不安、悲しみ、後悔、押し寄せる感情の中で「いやだー!」と泣きまくって、このエネルギーが大きくなった後、私は2つの望みがでました。
その時、ふわっと心が軽くなり、幸せな気分を味わいました。
だから私はこの望みを直ぐに叶えてあげました。
望みが出てそれを許可するのもわたし。
叶えるために行動するのもわたし。
この一連の動きは私に力を与えます。
これが狭い世界の中で苦しんでいる恐れから自然に脱出できる方法です。

恐れは味わいつくすまで優しく寄り添ってあげるだけでいい。という証をまたつくりました。
恐れに飲み込まれている自分と
そんな自分を優しく包み込む自分
辛い時こそ私とわたしを存在させるのです。

そして、望みとは一見、「それは今、必要なの?」というものです。
必要ではなく、欲しているものですし、人さまのなんの役にも立ちません。
強いて言うなら
「今の私の心が欲していて、私の心が大いに喜んでいるもの」これしかありません。

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