時をほどいたり つむいだり 〜#2
この記事はこちらの続きです
先生をハエにしてしまったようで、先生…怒っているかなぁ〜?(笑)
最近、「時間」について考えていて、
よく「時間はみんなに平等にある」というけれど、
ある意味、それは本当にそうだなと思う。
それは時間って、よくよく考えてみると本当に、
常に「今ココこの瞬間」しか存在していなくて。
逆を言えば
私たちは永遠にこの「今ココこの瞬間」から脱出することはできない。
これって、つまりはこの3次元には時間は不在だということ。
ここには本当は「時間」というもの自体、存在していない。
「時間」も「空間」も4次元の層、つまり意識の場所に在る。
だから過去→未来に時間が進んでいっている。とか
その「時間の流れ」は確かにある。っていうのは意識の世界で感じている。
その部分をはっきりと認識していくと、
自分の意識で作られた物語が、この3次元(物質世界)にただ投影されているっていうことが実感をともなってわかってくる気がします。
そして、意識の世界では未来へも過去へも一瞬にして飛んでいける。
本当は時間はランダムに、無数に、点在していて、繋がっていない。
みんなが共通認識している時間の大きな流れそのものは意識の奥深い場所で
自分でも気がつかないくらいに普通にストーリー展開をしていて
でも実際はひとりひとりが時間の点を星を結んで星座をつくるように、
ひとつひとつ繋いで自分の人生という物語をつくっている。
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たとえば、望月先生が倒れられた時にクリスタルボウルが割れた。
という物語を点と点を結んで編んだのは私。
虫が「誰か」なのではないか?と感じたのは、母から聞いていた話(過去の点)と虫が部屋に入ってきたその時を糸で結んだから生まれてきた物語。
そうしたことにひとつひとつ気がついて時間を分解していくと、
トラウマみたいなものは消えていくんじゃないかと思います。
意識の中で編み込み作られた物語なら、意識の中で物語をひとつひとつほどいて、バラバラにして、また編み直しをすることができるから。
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望月先生はお姉さんが書道家であったからか、
よく「描いたものはやりなおしができないけれど、カンタ(刺繍)はやりなおすことができる。」と言っていました。「ここが気に入らないなぁ。と思ったらほどいてまた刺し直せばいい。」と。
実際に、先生は何日も刺繍を刺し進めていたものを全部ほどくことも厭わずにされていて、「ここが気に入らない。って、わずかでも思いながら進むよりも、ほどいてやり直した方がいい。」と。
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カンタ刺繍は、そんなに難しいものではなくて。
そういえば、今思い出したけれど、先生の名刺をもらった時に、お弟子さんの彼女に「刺繍経験とか、まったくないのですけど、できますかね?」と聞いたら、「運針だから誰でもできますよ」と言われたのでした。
実際カンタは本当にテクニックなどなくて、ひたすら運針をしていくだけ。
とはいえ運針だけだから、と言っても運針の縫い目には、その時の自分がそのまま現れます。
私はカンタを始めた頃、まだ仕事もしていて、起きてくる出来事のひとつひとつに追われるような日々を送っていたせいか、縫い目が詰まっていて、きっちきちの運針でした。
「糸がきつすぎる」「もっとやわらかく」そんなことを先生に何度も言われましたが、その時の自分にはわからなかった。
運針は多分、呼吸のようなもので、その人の意識状態が縫い目にそのまま現れるのだと、そういうことが今になってやっとわかるようになりました。
まあ、どんな縫い目であっても、それがその時の自分なので。そうしたひと目ひと目を重ねて、私自身も縫い目も変化しながらそれもまた模様になって刺繍がつくられていくのですよね。
私は刺しながら、何度も「人生のようだな」って、思っていました。
刺繍は、きっとどんな刺繍でもそうだと思いますが、まっさらな布を用意したら、そこにどんな世界を作り出すのか。そうした出来上がりの全体の世界観をざっくりとイメージしてから、その中でひとつひとつ、どんな模様をどこに入れていくのかを考えます。
でも運針だけで進めていくカンタは、全体像さえなんとなくイメージできていたら、模様はそんなにちゃんと考えなくても、いきあたりばったり、も、ありだし、最初のイメージとはまったく違う、思いもよらなかったものに出来上がっても、それさえもオーケーで、ゆるゆるなんです。
結局決まりなんてないんです。私はこの自由さがまた好きなのですよね。
そして、最初に図案を考えて、針を刺す位置を調整しながら思い描いた模様に仕上げていくこともできれば、ただ思いのままにひたすら運針をしていきながら自然に有機的な模様が浮かびあがることもあって。
カンタはその両方が一枚の布の中で溶け合ってひとつの世界をつくっていくような刺繍なのですよね。
先生が言っていた「宇宙だ」という言葉が、今さらながら、わかりました。
そして人生も同じ。
時間の糸をほどいだりつむいだりして、自分の好きな、世界にたった一枚のカンタを作るように、自由に好きな模様を描いて、糸をつなげていったらいいのだよね。と、改めて思いました。
写真は、小さな布に刺した私の刺繍のピース。
コロナの頃に、小さな布にバラバラとたくさん刺繍をしていたものの一部。
去年の夏、先生に見ていただいた時に「全部つなげたらいいね。」
と繋ぎ方まで教えていただいたのだけれど、結局いまだ繋げていない。
先生、ちゃんと繋ぎますね。
望月先生に愛と感謝をこめて
ありがとうございました。