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「迷路を全部解いたら帰っていい」
先日、記事の中で、映画「プリズナーズ」についてとりあげたのですが、
先日2回目を観ました。(ちなみに2回目は吹替え版を見たのですが、字幕版の方が断然よかったです。)
「迷路を全部解いたら帰っていい」
2回目も、やっぱりここがひっかかって。
「迷路を全部解いたら帰っていい」って...。
と、この言葉が妙に意味深で、何かの暗示のような感じがして、なんとなくアタマの中に残っていた。まるで、今生きている、この宇宙の真理、人生の迷路のようなものが解けたら、次の世界に行けるよ。と言われているようなそんな気がして...。
これについて、さらに考察をしました。
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私は昔、占いが好きだった。
とはいえ、多分、とりたててすごく好きというほどでもなく、まぁ、人並みレベルだったとは思う。
20代の学生の頃は、当時、渋谷西武の前に夜になるとずらっと並ぶ、手相や易占いの人に学校帰りによく占ってもらっていた。
当時の関心事のほとんどは、もちろん恋愛について(笑)。
恋愛以外では、会社を辞めてフリーランスになる前に、初めて前世リーディングなるものをしてもらって、前世リーディングなのに、仕事の相談とかして、「フリーランスになるのは、とても向いている」と、気持ちの後押しをしてもらった(笑)。
そういえば、フリーランスになったあとは、知る人ぞ知る、あの「山本印店」でハンコも作ってもらった。山本印店は、毎日、当日予約の電話しか受付けていなくて、電話受付開始して5分くらいで、もう締切りになってしまう。そして競争率が高くてなかなか繋がらないらしいから、ここからすでに運だめし、みたいになっている。
私は友人に話を聞いて、じゃあ!と、電話したら、なぜかすぐに繋がった。
「山本印店」のおやじさんはこれまで使っていたハンコを持っていくと、ハンコ占いをしてくれる。ハンコの相を観るというのかな?私は「あなたは別に来る必要なかった人だ」と言われた(笑)のだけは憶えている。
他にも、霊視やらタロットやら、これまで、なんだかんだ観てもらった。
それから占星術、というか星占い。スーザンミラーやジョナサンケイナーの解釈が好きで、よく読んでいたし、あとは石井ゆかりさんが、まだ「筋トレ」という名前のサイトでだけで「星読み」をしていた頃から、ずっと読んでいた。
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こうして、人生を迷路のように感じ、謎解きのためのヒントを占いに求めていたのだけれど、今はすっかり占いに興味がなくなってしまった。
占いを欲していたのは、まだ自分が定まっていなくて、見つめる先が未来ばかりの頃。占いは悩みや不安な気持ちを和らげてくれる。
迷いを振り払うために。
自分の気持ちを再確認して確かめるために。
それは、友達や恋人や家族からは得られない情報で、私をまったく知らない、第三者からの何か「啓示」のようなものでなければならなかった。
でも、今は悩みもとりたててないし、人生が迷路だと感じることもない。
占いが必要なくなったのは、この宇宙の真理に少しだけ気がついたからだと思う。
この3次元での現象はすべて高次元の影だということや、答えはいつでも「自分に聞いたらわかる」ということに「気がついた」から。
そして、最近では、すでに決まっている未来に、導かれている気さえしている。どんな道を通ったとしても、行き着く先は決まっている。
ココロの声は、車のナビのように、私に何をすべきかを伝えてくる。
自分で考えている。とか、直感だとか、思いついた!とか、思っているけれど、それらは、きっといつでも降りてくるタイミングが決まっていて、向こう側から、ただやってきているだけのような気がする。
そして、今、言われた通りに、この道を曲がれなかったとしても、それでも大丈夫で、すぐにGPSで軌道修正してくれて、違う道を教えてくれる。
そして最終目的地として設定している、行き着く先。
それは幸せやら名声やら成功やらお金やらの3次元的なものでは当然なくて、さらに言えば「死」でもない。
最終目的地は、ただもっと大きな迷路を解くこと、それ自体のような気がしてきた。
昔はこの3次元での人生が迷路なのかと思っていたけれど、そうではなかった。私たちが存在しているこの世界の宇宙のしくみという巨大な迷路が、見えない世界というものが、背後に在るということがわかった。
高次という次元。
それは知識で知り得ていることや、今感じている感覚よりも、もっともっとずっと先があって、多分それは肉体の死を越えても、なお続いていくような気がしている。
それが魂の課題なのか、なんなのかはわからないけれど、肉体という物質を脱ぎ捨てた後にも、きっと何層にもなっているような気がして、それをひとつひとつ、どうなっているのかを紐解くこと。それ自体が目的。
なんか壮大すぎるけど。
でも、すごくワクワクする。
この謎解きのために必要な経験が、ナビによって知らされてきている。
RPGゲームを一面ずつクリアしていくように、私はただナビの声を受け取って、何らかの経験をして、その経験によって何に「気がつく」のか、それだけに注力していたら良いのだと思った。
「迷路を全部解いたら帰っていい」って多分、そういうことで、そして多分、私は謎解きをするのが、好きなんだな。
ずっとこの壮大な迷路を解いていたい。
むしろ迷路を解くのを楽しみにして、ここ(地球)をスタート地点として選んで来たんだと思う。
だから、もしも「もう帰っていい。」って言われても帰りたくなくて。
そもそも、帰るって何処に?だし、どこかに帰れる時には、謎解きは全部終わった。ってことだから、そう思ったら、淋しい。
だから、遠回りしたって全然いい。
迷路は永遠に続いていてほしい。
聖アウグスティヌスは、迷宮は基本的に11周の円から構成されるとしている。その理由としては、「11」は「三位一体」の「3」で割り切れず、12使徒の「12」には1足りない不完全な数であるからだという。不完全な数をたどりつつ、神がいる中心にたどり着く。 (〜七夕の日のめぐり逢いと、謎のシンクロニシティと)
この不完全なる世界、不完全なる自分から、愛を込めて。
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