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私たちは「思い通りの人生」を生きているよね〜。って改めて思った。

こんばんわ、Kaloです。


昨年の冬至の頃、こんな記事を書いたんですけど。

この記事では、「願う」のではなく「決める」ことで、
人生は自動操縦モードになって願いは簡単に叶う。ということを
書いたんですけど。

つい最近、そう2〜3日前ですけど、ふと思い出したことがあって。
あれっ?これ違ったかも? と、思ったんです。と、いうのは、
「願い」って、確かに「決めた」ら、自動操縦に進むのだけれど、
でも、実はただ「願い」というか、「望み」を出しさえすれば、勝手に自動で叶っているんだ。と思ったので、今日はそのことについて。



プール付きの家


私、今住んでいるマンションに引っ越してきたのが19年前なのですが。
多分、引っ越してきてから1年も経たないくらいの頃に、歩いて5分くらいの
場所にあるスポーツクラブに入会したんです。

一応、まだ会員なのですが、あんまり行っていなくて。
特にここ最近はまるまる1ヶ月行かないって言うこともザラで。
19年前当時からくらべて、鰻登りで値上がりした会費を払うことが、はっきり言ってもったいないかも...。と頭をよぎってきた今日この頃。

で、先月、今月分の2ヶ月分の会費を払うのをすっかり忘れていて
とうとう督促状が来たんですよね。

んーー、このタイミングで退会すべきかな?と思いつつ、
とりあえずはすでに滞納している分は支払わなきゃいけないわけです。

で。
私、お金って、気持ちよく支払いたいタイプなので
督促されて、「あ〜〜…支払わなきゃあ〜。」という気分では払いたくない。
なので気分をリセットしてから払おう。と思って、とりあえずはキッチンで一服しながら、ぼーーーっと考えていたんです。

そうしたら、ふっ。っと、突然。
とーーーーーっくに忘れていたはずの、古い古い、超古い、過去の「願い」を思い出したのですよね。

それは「プール付きの家に住みたい」という「思い」。

ーー
確か山口智子と唐沢寿明が結婚した頃ですよ。
(今ウィキで見たら1995年でした)
二人の新居がプール付きだっていうのを、何かで知ったんです。

私はその頃、バリバリにプール通って泳いでいた頃だったし、
とにかく、身体が水に戻るという感覚がこんなに気持ちいいのか!
とハマっていた頃で。

「あ〜〜...自宅にプールがあるっていいなぁ。私もプール付きの家に住んで毎日好きな時間にゆっくり泳ぎたいなぁ…」と思ったんです。

これ、「願い」っていうより「思った」とか「望み」って感じですね。

で、そのあとも、何度か「いつかプール付きの家に住みたいなぁ〜」って
確か思っていたと思うんです。
別にそれをリアルに思い浮かべていません。ただ、そう思っていただけで。

それから11年後にこのマンションに引っ越してきて。
歩いて5分のスポーツクラブで、ほぼ、ガラッガラの貸切みたいな
プールで泳いでいたじゃん、私。
それも当時スポーツクラブは朝7時から夜24時までやっていたし
好きな時間にサクッといけた。

ん??? あれっ???
よく考えたら、「所有」という概念を取っ払ったら、
もしかしてこれ、あの時の「願い」(というか「思い」)が叶っていたんだな。と気がついたんです。

もしも自宅にプールがあって何年もしたら、メンテナンスだって大変だし、
毎日自宅のプール入るって、それなりに維持費のコストもかかるし。
だいたい自分でプールの水貯めたり、プール洗ったりするのぉ?
それ面倒だし無理じゃん〜。って思ったら、スポーツクラブの会費は
「私のプール」をメンテナンスして維持してくれているお金だわ。

逆に激安ではないか...(笑)。と気がついたんです。

むしろ自宅のプールより広いし、ジャグジーとサウナもあるし
ずっといいじゃん。って。

ということで、視点がガラッと変わったら、
滞納金を超気分よく支払うことができました。(笑)


ーーーーー
で。よくよく考えてみたら。
なんだか、これまでの人生で「願い(思い/望み)」って、
気がつけば全部叶っているのかも?と。



たとえば仕事


細かい「願い(思い/望み)」が叶っていることは、もう本当にキリがないのだけれど。
大きいことで言えば、たとえば。こちらの昔々の記事にも書いたのですが

ひょんなきっかけで何の経験もないのに、いわゆる業界に入って、フリーランスのアートディレクターとして、かれこれ11年も食べていたんですが。
これも20代の頃、「アートディレクターになりたいな〜。」と一瞬思ったけど、当時はただ「思った」くらいのレベルで、別にそれを「決めた」わけでもなく、そのために何か努力をしたでもなく、気がついたら流れでそうなっていたんですよね。

これは本当に、今思えば、そうなるきっかけ、から、アートディレクターになるまで、結構、奇跡的なこと?というか本当に自動展開の連続でしたし、なぜか流れが勝手にそうなっていた。って感じでした。
ひょいっと急流に乗った感じ。

本来、業界の常識で言えば、デザイナーなんかの下積みを何年もしたりするのが順当なコースで、それ以外には代理店でヒット作を創って話題になってブイブイいわせたりして(笑)、やっと独立して会社作ってアートディレクターでございます。ってルートを辿るので、アートディレクターは、だいたいがプロダクションに入っているか会社に入っているし、会社をつくっているというパターンの中で、当時、私のようになんの経験もない個人のフリーランスのアートディレクターはかなり稀有な存在だったんです。
が、ご指名で仕事もたくさんいただいていたし、その中では「こういう仕事やりたいなぁ〜。」という仕事もできたし、憧れの大御所のアートディレクターさんとも一緒に仕事ができて、横でそのやり方を見せてもらうこともできたし。
なぜか新進気鋭のフリーのアートディレクターとして業界誌に取材されたりして、記事になったりもしていました。てへへ(笑)



恋愛、設定通りの人が現れたことも

そういえば。たとえば、恋愛についても、こんなこともありました。
元夫と別居後、東京に戻ってきてから数年して。

元夫とのことで疲れ果てた私は、「本当にふつぅ〜のサラリーマン。普通のクセのない人と結婚したい。」と「思った」ことがありました。
そうしたらある日、当時住んでいた地域の駅前のミスドで会社帰りに一息つくのにコーヒーを飲んでいて。隣にいた男性が話しかけられたんです。
で、話の流れは忘れちゃったけど、話が盛り上がって。付き合ったことがありました。その人も離婚したばかり、で、医薬品メーカーに勤める「普通のサラリーマン」。まさに望んだ設定通りの人が現れて、びっくりでした。

そして、先方は、すぐにでも結婚したい。と言う感じだったのですが。
私は「(設定通りだけど)なにか違うなぁ〜」と思って、数ヶ月で別れましたが(笑)。そもそもの自分の設定した望み自体はピッタリだったけど、
自分の中の本音を聞けば、そもそも「結婚したい」と思ってもいなかったし、なんか意外とその望み、つまらなかったわ。(ヒドイ)
だったんでしょうね。


ーー
そういえば、2年ほど前にも面白いことがあって。

私の中で「葉山逗子ブーム」があって、葉山か逗子に住みたーーーい!熱が高まっている時期がありました。
逗子葉山の物件を見たり、ちょくちょく遊びに行ったりしていた頃のある日、その日は実家でクリスタルボウルを奏でてきて、心地よい疲れの中、帰りに近所のエクセルシオールカフェに行って、どーーーしてもコーヒーが飲みたい。となぜか思い、クリスタルボウルの大荷物を抱えて、寄りました。

実家帰りで化粧もしていなければ、普段着で髪もボサボサ。荷物をお店の2階席まで運んで疲れ果てていたので、もう見た目どーでもよいわ。という状態でコーヒーを飲んで、喫煙ルームで一服していたら、なぜか二人の男性に話しかけられました。ひとりは、近所でお店をやっている人で、私の荷物を見て、クリスタルボウルのことをいろいろ聞かれました。
もう一人はアメリカ人で、「どこ(の国)からきたの?」と聞いたら「天を指差し「宇宙から」」と言うので、あ、面白そう〜。と思って話していたら、
なんと逗子の駅前のヴィンテージマンションに住んでいるサーファーでした。しかも独身(笑)。私の中では「逗子がネギしょってやってきた(カモネギ)」って思って、爆笑でした。
それから数ヶ月、何度かデートをしていたのですが、私の「願い」が「逗子に住みたい」な、だけだったので(笑)、逗子には何度か通ったりしたものの、その後、私の葉山逗子熱が冷めてきたところで、彼とはあっという間に疎遠になりました。

チャンチャン。



勝手に欠片はやってくる


ちょっと話がそれちゃいましたね〜。
(上記までは昨夜、酔っ払って書いてました。ただいまシラフの昼間です)

でも結局、ふと「思ったこと」のカケラって、全部降りてきているんですよね。それに気づこうと気づかまいと。
で、そのかけらが目の前に来た時には、また次の望みや思いが出てくるわけで。そうして自分の「思い」は呼吸するかのように絶えず更新されていて生まれては消えているわけです。

つまり、この人生は、
「思い」から生まれた欠片を拾いながら、
また新しい「思い」を生んでいく。という循環になっている。

ざっくり大雑把に書くと
その思いが、悲しみで満ちていれば、悲しみの多い人生の欠片が降り注ぎ
不安や恐怖に満ちていれば不安や恐怖の多い人生の欠片が降り注ぎ
愛で満ちていれば愛の溢れる人生の欠片が降り注ぐ。
こんな感じで、自分の人生のストーリーは、常に自分の描いた「思い」という「欠片」が集まったシナリオの通りに、いつでも自動展開しています。

じゃあ、どうしたら「楽しい」と思える人生になる?といえば、
基本は「こうだったらいいのになぁ〜」みたいな「願い」というか、「思い」というか…。そういう「望む」ということを、軽〜く、もう、本当に超軽〜く、たくさん、星の数ほどしたらいいんじゃないかな?と思いました。

で。
投げるたびにたくさんニヤニヤしてもいいけど、
もしもそこから執着がはじまって「どうせ無理」とか「どうやったらそうなるのだろう?」みたいな違う種類の思いが湧いてくる前にストップ。

とにかく投げっぱなし。
いわゆる「言ってみただけ〜(てへっ)」みたいなレベルで「忘れる」。


で、特に今、自分の人生に不満のある人は
ラッキーチャンス、ラッキータイムで。

願いとか望みとかって、現状に不満があるほうがたくさん出てくるんです。
不満があるから状況を、自分を「変えたい!」って思うわけで。
もう願いとか望みってわんさか出てくるんですよね。


ーー
私も思えば不満ばっかり感じている人生でした。
つまりラッキーチャンスだらけの人生だったんです。

たとえば「毎日満員電車に乗るのは嫌」「タイムカードで自分を管理されるのは嫌」とかの外側の状況に対する「不満」や、
「芯が通ってなくてへなちょこな自分が嫌」という自分への「不満」。

その不満自体が、実は「願い」の反転した欠片なんです。
自分が「それは嫌」って思っている気持ちに気がついてあげればよくて。
「じゃあ、どうしたいのかな〜?」と自分に聞いてあげれば
自分の望みはわんさか出てくるのですよね〜。



と。
「プール付きの家」の話から、
こんなことをつらつらと思いましたYO。(←もう酔っていません)



今日は東京は曇り空っぽかったので、ひきこもりで
もう1本書きたいと思っていることを記事にできるかな〜?

ではでは、また〜。

読んでいただいて、どうもありがとうございます。
きゃっ。(←酔っていません)




So beautiful world
by kalo

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Kalo
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