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「違和感」を流さない。私の発するすべての言葉は、私を知るための鏡
こんにちわ、Kaloです。
昨日は気のおけないな大好きな仲間と、家呑み新年会をしていまして。
飲みすぎた〜。食べすぎた〜。でも美味しかったし、めちゃ楽しかった〜。
そして、今朝、
気づきのようなことがあったので自分の備忘録として書いておきます。
内容は新年会とは関係ないんだけど(笑)
まず。
多分、発端はここからで…。
前回の記事で、いつもお世話になっているYUKIEさんと
コメント欄で会話をさせていただいたんです。
(詳細はこちらのコメ欄をお読みください。)
この時に
人との会話って「自分を知るための鏡だなぁ」と感じたのです。
誰かから言葉を受け取る。
それを読んだ時に、もしそこに自分の中で感じた違和感とか、何かひっかかることがあった時、それは私へのある意味メッセージであって。
それがわずかなものであっても、
その「それ(違和感)」はなんだろう?と、自分の感覚を受け取って、
その違和感を紐解くように、正直に言葉にしてみる。
そうすると、私が、実は相手ではなく、私に伝えたい言葉が出てくる。
そう感じました。
ーー
そして、昨日、インスタにDMをくださった方がいらして。
その方との会話、その方が書かれている言葉の中に、
まるで、この仕組みのようなもの?に「気づきなさい。」
と言われているかのように、違和感が浮き上がってきて。
その浮き上がってきた自分の中の「違和感」を観ていて。
まるで自分への質問に回答するかのような感覚で、
感じたことを、そのまま正直に言葉にしてお返事しました。
そしてこれは、完全に思考でのやり取りではないのです。
私の世界から観たら、そこには自分しかいない。まさに世界=自分なので。
なので、分離はなく。
相手の考えを否定するという目的はここには存在していなくて。
ただ、自分の中から湧いてくる「違和感」を流さずに「観る」ということ。
そうすることは、おこなわれている会話とはまったく関係なく、
ただ、自分という世界=意識の中に佇んでいた「違和感」を
ひとつひとつ消していくことであり、ととのえていくことなんじゃないか?
(うまく言えませんが)と思いました。
誰かからいただく言葉は、その人から、そして高次(という表現が合っているのかどうかわかりませんが)から与えられたギフトなんだ。
と感じました。
ーー
自分の発する言葉は、すべての言葉が自分宛てであり
相手はその言葉の一部分を受け取っています。
私が書いている言葉のすべては私宛てで
その人が書いている言葉のすべてはその人自身宛てなんです。
ーー
そしてそうした、自分の感じたことに、なんの濁りもまぜずに正直に会話をした時には、そこにはエネルギーの循環を感じ、たくさんの愛に満たされて「感謝」だけがただそこに生まれていく感覚です。
私の感じている世界観については、こちらのマガジンに
そしてまた、古い記事を読んで「スキ」をつけてくださった方がいらして
(ありがとうございます)
その中で、今日の気づきの内容に関連するかなと思うこちらの記事。
とっても古い記事なので、今はまた細かい部分では私の感覚も更新されてはいるのですが、私がこの世界を「フラワーオブライフ」の世界観で観ていることは変わっていません。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
ではまた。
So beautiful world
by kalo
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