源次郎の命日に、源次郎の話。
この記事はこちら↓の続きです。
先日の記事で書きましたが、只今、うちのマンションの排水管更新工事で、一昨日の夜から近所のアトリエに猫たちを連れて避難生活をしています。
そんななか、昨日、3月24日は源次郎の命日でした。
源次郎は、トップ画像の右側の猫。アメショーで、隣の白猫ピノちゃんと一緒に生まれてきた子でした。ごらんのとおり、ピノちゃんは源次郎にべったりで(写真もめちゃニヤけている)本当に仲がいいふたりでした。
うちに来た経緯は、貼り付けた記事の方に書いたのですが、
火事で焼け出された時、ピノちゃんと母猫はベランダに逃げて捕まえられたのですが、源次郎だけが火事が起きた部屋に戻って、ずっとそこにじっとしていたらしく、心配したコピーライターの女性が捕獲機を仕掛けて捕まえたということでした。
多分その時に火事後の部屋の有毒なガスなどもたくさん吸っていたと思います。源次郎は2006年から2010年までの約4年ほどの間、我が家の家族として一緒に暮らしましたが6歳という短い生涯で天逝しました。
2010年の3月24日、その日は朝から雨で、窓の外から一日中、雨の降る音がしていました。
私はリビングで音楽を聴きながら仕事をしていて、ピノちゃんも一緒にリビングにいてくつろいでいました。
そして源次郎はいつものように書斎の本棚の上に登って、そこにある箱の上にながーくなって寝ていました。
その場所がお気に入りだったのです。
夕方になって、そろそろ猫たちのごはんだな。と思い、源次郎を呼びに行くとアタマがクタッとなって箱の上から落ちていて妙な格好で寝ていて。
私は最初、笑って「なーんでそんな格好で寝ているの?」と声をかけたのですが、ピクリとも起きません。
数秒して、はっ!と気がついて、あわてて椅子に乗って本棚の上に手を伸ばし、源次郎を触るとすでに冷たくなっていました。
突然死でした。
すぐ近くの隣の部屋にいたのに、気づいてあげられなかった。
その場で抱きしめて号泣しましたが、どうしようもありません。
獣医さんに連れて行けば死因もわかったと思うのですが、解剖する気にはなれず、そのまま源太郎と同じお寺さんに連絡し、同じお墓に入れてあげました。
思えば眠るように天に帰ったのですから、先の記事でも書いていましたが、
多分、アメショーのコウタ君が好きだった源太郎が、源次郎をうちに呼び、そして頃合いを見て、先に連れていっちゃったんだろうなぁ...。
と思いました。
それでも、あまりに突然のことでショックでした。
でも本当にショックを受けていたのはピノちゃんのほうでした。
彼女は毎日毎日源次郎を呼んで泣き叫んでいたのです。
私はきっと寂しいのだろう、と、早々に保護猫譲渡会で、5歳年下の空丸(現在いる虎猫)を2ヶ月後くらいに譲り受けたのです。
この短絡的すぎる当時の自分の判断に、今更ながらびっくりします。
そういうことじゃなかったのですよね。
自分の愛する人が亡くなって、じゃあ年下の男連れてきてあげるわ。
と、そこらへんから知らない男みつくろって連れてこられても….!!!
って、ピノちゃんは、そういう気分だったと思うのです。
まだ小さな子猫の空丸が近寄るたびに怒って、そこから何日もご飯を食べれなくなり、毎日何度も吐くようになって…。猫が猫アレルギーになった。って感じで、空丸を見るたびに吐いてました(苦笑)。
私はこれまた、まったくそういうところに気がついてあげられていなくて、どうしたらいいのかわからず、何件もの獣医さんに診てもらい検査をしましたが、結局、原因不明と言われて…。
あとから、あの時は源次郎との別れがそうとう大きなショックだったんだと理解できたのですが、その時はそこまで気がついてあげられなくて、本当に
かわいそうなことをしました。
ただ傍にいて抱きしめて、癒える時を待ってあげたらよかったのですよね。
ピノちゃんは、そこから1〜2年ほどかけて、ゆっくりと空丸の存在を許し、家族として認めるようになりました。が、源次郎との時のように一緒にくっついて寝たりは、何年経ってもしませんけれど。
それでも、一緒に何年も暮らすうちに、空丸とは好きとか嫌いとか関係ない、もう理屈じゃない何か、は、きっと生まれたのだろうと思います。
毎日、喧嘩なのか戯れあっているのか、多分、猫同士としての言語も通じていなさそうな二人の様子を見ていますが、それなりに仲良く暮らせていて、飼い主はそこからまた多くを学んでいる感じです。
ということで、最後に。
昨日のお墓参りに行ってきた写真を載せて終わります。
最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。
おやすみなさい。
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