いま、最も新しい広告
こんばんわ、Karo.です。
音の話の続きを描きたいと思いつつ、またも違う〜(笑)。
今日はゆるゆるな日常のお話です。
ーーーー
私の住んでいる場所は「けっこうな坂」が多い街で、うちのマンションも、あまり穏やかとはいえない坂の途中に建っています。
近くの駅の駐輪場も、うちのマンションの駐輪場も、電動自転車だらけで、区のレンタルサイクルももちろん電動。確かにこの街で自転車に乗るのはけっこう大変なのです。でも私の自転車は電動ではありません(涙)。が、9段階のギアチェンジつきではあります(自慢げ)。でも実はギアを全然使いこなせていなくて、結局いつもマンション近くで自転車を降りて、押しながら坂を登っているという、へなちょこぶりです(笑)。
そんな感じで無駄にギアチェンジの多い自転車を使って、毎回近所へ買い物に出かけるのですが、昔から「自転車って人生っぽい〜」って思って乗っています。
たとえば、「こっちに曲がりたい。」とココロで思うと、自然に視線がそちらに向き、そうすると自転車は、ほぼ勝手にそちらへ曲がる。
向こうから人が歩いて来たときに「この人にぶつからないよう」にと、その人に意識をむけると、必ずその人にぶつかってしまう。こういう時には、その人に意識を向けるのではなくて、自分が行きたいその先に意識を持っていき視線を向けると、目の前の人にはぶつからずにスルッと行ける。
つまり、自分が関わりを望んでいなくても、そこに意識を持っていけば、そこにぶつかって巻き込まれるし、そこに意識をおかなければ、周囲の出来事は自分には何の障害にもならないのだなぁ...。と。
そんなことを毎回、脳内で反芻しながら、乗っている訳です(苦笑)が、
最近、「あ、この坂好きだな」って場所があります。
そこは、わざわざ自転車を降りて押さなくてもいい位の少しゆるやかな坂。
その坂では、それでも立ち漕ぎにはなっちゃうんですが、
とりあえず自転車で登れる。それまでの勢いを使ってぐいぐい行ける。
そんなに長くはないその坂を登り切ったら、
そこからすぐに穏やかで長い下り坂が目の前に広がっているのです。
そこからは自然とペダルから足が離れて、
すぅーーーーっと道にまかせて降りていくことが出来る。
まるでジェットコースターの頂上についてそこから、
わあぁあぁあーーーーっと全身に風を受けて降りていくような、
あのワクワク感と、
ひゃあぁぁぁぁあーーーーーーっ、っていう気分。
それを感じることができる。
正面に見えるのは、昼間だったら青空と太陽。
それが夕方だったら、夕暮れの薄ほのぐらい空の色と、
タイミングが合えば低めの大きなお月様。
そんな目の前の空を見ながら、自転車でわぁーーーーっと降りていく。
私は最近、この瞬間にとってもハマっていっています。用事がないのにわざわざその坂を通るくらい(笑)。
「小学生かよっ」ってツッコミの声が聞こえてきてますが...(笑)。
ーーーー
ということで、そんなくだらないけど楽しいコトをしながら自転車で近所へ買い物に出ると、昨今は、通りに並ぶ飲食店の店先にお弁当が出ています。
入ったことのないレストランや、いつも自転車で通り過ぎていて、
そこにあることすら気がついていなかった居酒屋さんも、
外にお弁当が出ていて、存在に気がついたり。
私は、先日、その存在さえ気づいていなかった居酒屋さんの、手作りで美味しそうなお弁当を見て、買ってみました。
食べたら、すごく美味しい!ここのお弁当、明日も買いたいかも。
このコロナ騒動が終わったら、今度は友人とこの店に来よう。
...って、そう思った。ら、これって広告だなぁ!って思ったんです。
(一応、広告屋なので、そういうところに敏感に反応します(笑)。)
昨年から飲食店の人は本当に大変で、この「店先のお弁当」は、お店を存続するために、生きていくために絞り出した知恵。誰かが始めて、それを観た隣も始めて、って、みんなが店先にお弁当を出して売るようになった。でも自分のお店で毎日作っていた「商品」の売り方を、ちょっと変えただけで、私みたいな人がいる。私からしたら、食べログの評価よりも、実際の味を知ることが出来るから、こっちのほうがずっと安心です。
コロナは日常を変えてしまったかもしれないけれど、
これって、ちょっと良くないですか?
ーーーー
そしてこうした新しいカタチが、日常にたくさん生まれているのを発見するのもまた楽しいのです。
たとえば、もうひとつ。
昨年、近所に新しいレストランがオープンの準備をしていて、コロナのためか、すこしオープンがモタモタしているようでした。その間、とりあえず開店準備中の店先で産直の安い野菜や無農薬の野菜を売り始めていて、そこに人なつっこい男の子がいました。
そのレストランの子なのかな?と思っていたら、そのレストランの店先をちょっと間借りしていただけで、数ヶ月したら、レストランの方から「そろそろ...」って言われて、居なくなってしまった。
と、思ったら、数十メートル離れただけの違うカフェの店先に彼が。
そこでまた野菜を売り始めたのです。
話をしていたら、彼は北海道で10年くらいレストランを、自分でやっていたって。そこから何故この場所にたどり着いたのか、なんの縁かはまだ聞けていませんが、そのカフェの店先は、彼が野菜を売り始めて、人が集まるようになりました。
でも、そのカフェの近くに数年前からやっている八百屋さんがあるので、彼もちょっぴり気をつかって、野菜が減って、お魚を売り始めた。北海道の友人から新鮮な魚を送ってもらっているそうで、それがものすごく美味しい。
そもそも彼は料理人だったから、ちゃんと美味しい野菜も扱っていて、お魚も、それぞれの美味しい食べ方を教えてくれる。
そうして何ヶ月かは一人でやっていたのに、そのうち、どこからか集まってきた何人かが仲間になっていて、最近は、店先で料理はしてるわ、なぜか鉢植えやらお花やら手作りバッグやらまで店頭に並ぶようになっていて、今やとっても不思議な空間になっているのだけれど、いつも人が集まってワイワイしている。
もう、これってー...。(言葉がない)
もはや型通りの発想は必要ないのですよね。
ちなみに、東京で野菜を売りたい、レストランをやりたい、そう思ったらこれまでは、空いている物件を探して...ってところから始めていたと思うんです。でもこの東京ど真ん中でお店を出そうと思ったら、まず家賃が大変なんです。このコロナでも、結局そこが泣き所になっているんです。
でも彼は、多分ほとんどお金を使わず(もちろん多少は場所代を払っていると思いますが)、ひゅっ。って来て、ニコッと笑って毎日野菜を売っているのです。その場所が使えなくなったら、他の店をみつけてちょっと移動するフットワークの軽さ。人懐っこいから、どんどん近所の人と仲良くなって、輪が広がってコミュニテイみたいになっている。
ある意味、彼自身が広告なんですよね。
(と、ちょっと無理やり広告につなげてみましたが(笑))
こんな風景を目の前で観ていたら、
このコロナでの不自由は、別の自由を生んでいて、
「これまでの枠はいらないよ。」と教えてもらったな、と思います。