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knowledge.〜未来を知っている。ということ (後編)


こんばんわ、Karo.です。


突然ですが、高次からメッセージを受けとるとき、言葉だったりイメージだったり、匂いだったり色だったり...と、人によって違うと思うのですが、みなさんはどんな形のメッセージが多いですか?

私の場合は、昔はよく数字が出てきたのですが、最近はなぜか圧倒的に「英単語」が多いのです(苦笑)。

それも英単語1個。受験生かよっ。っていう(笑)。

そして、意味も不明な時が多いです。

よく、高次に、もっと突っ込んで質問を重ねると、わかりやすく説明してくれるよ。と言われるのですが、多分、私の高次は「わ、英単語1つ来たけどなにかな?これ。」っていうのを楽しんでいる私の性格に合わせて、そのスタイルにしてくれているような気もしていて(笑)(まぁ高次もはっきり言って自分な訳なので)あえて質問もせず、いまのところは楽しんでいます。

そして昨日も、何かとっても意味深な大切そうな夢を見て(多分)、夢の中で2つの重要そうな長ったらしい単語を何度も暗唱していて、覚えて持ち帰ろうとしたのですが、目が覚めたら全部忘れていました...。がーーーん。

夢の残像を一生懸命思い返してみても、最初はうっすらと覚えているのに、どんどん霧が薄れていくように記憶が消えていってしまい、全部忘れてしまったので、悔しくて、もう一度同じ夢を見よう、と二度寝しました。

そうしたら、案外うまく同じ夢が見れたのです。なので、もう一度2つの単語を何度も復唱して覚えたのですが、起きる瞬間に「エニグマ!」という言葉が急に出てきて、起きたら「エニグマ」以外、全部忘れていました...。

「なにこれ、エニグマってなにーーっ?!」となかば怒り気味で、意味を調べたら、「暗号」「なぞなぞ」ですって!!!

も〜...最近は、高次に小馬鹿にされているというか、弄ばれている???


と、またも前置きが長くなりましたが、この記事のタイトル knowledgeという言葉も、実は数日前に降りてきた言葉なんです。しばらくずっと、頭の中に在って、確かに「知っている」ということについて、なんとなくふんわりとですが、いろいろと考えていた頃だったので、そういうことか...と。

(どういうこと?(笑))


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ということで、今日は、この前編の続きになります。

...と言っても、ほとんど前編で話は終わっているので後編は余談です(笑)


先日、自分のクリスタルボウルの音をYouTubeで聴きながら、猫とベッドでウトウトと、いい感じの昼寝をしていました。そうしたら自動再生オフにしているはずなのに?なぜか、ヨビノリさんの「数式なしでもしっかり学ぶ量子力学という、今まで観たこともなく、存在も知らなかったチャンネルの動画に切り替わっていました。

あれ〜?とは思いつつ、そのまましばらく、遠くのパソコンから聞こえてくる音声だけを、ぼーんやりと聴いていたのですが、もしかして、これ面白そうかも...。と、ハタと現実に戻って観てみました。そして2時間以上もあるこの動画をその日3回も繰り返し観てしまいました(笑)。


ちなみに私はホリスティック栄養学の学校で量子力学の授業があって、量子力学の基礎の基礎、ほんの入口くらいのレベルの知識を6年前くらに勉強していたのですが、物理学のヒトの話す量子力学のこの話は、さすが!で、わかりやすかったです。とはいえ難しくて3回観たのですけどー(笑)。

そして気になったというか、私がひっかかった箇所が、有名な二重スリット実験の話のところでした。粒子である電子を1つづつスリットのある壁に打ちつけると途中で波に変化する。電子は粒子でもあり波でもある。そして、この実験の様子を観測をすると、とたんに波は粒子に戻るという、電子の持つ二重性と観測することでそれが変化することを証明した量子実験ですが、動画の中では「正確には観測することが影響を与えるのではなく、その情報を「知る」ことが影響を与えるのです。」と話されていました。

キタ! そう、ここでも「知る」がキーワードなんです(笑)。

ちなみに、波の状態というのは、不確定性の状態です。もやっとした状態。それを観測して「知る」と、それまで「もやっとした何か」の状態にあった電子が、粒子という「物体」に変化する。のです。

その存在を「知ること」で、多くの可能性を持った波という状態が、1つの方向に確定し、それが現象を発現させる。

そしてそれは「知った」時に一度は確定するけれど、そのあとも変化させることができる。知ってしまっても、そのあとを観測せずに、またわからないようにしたら、電子はまた波に戻るという「量子消しゴム」と呼ばれる現象もあるということも話されていました。


もうひとつ気になったのが、不確定性の話でした。サイコロの話がわかりやすかったのですが、サイコロは正六面体で、正面と並行した反対の面の数の総和は「7」になるようにできています。

「1」の面を見せられた(知った)時、裏面は「6」と同時に決まるのです。

「2」の面を見せられた(知った)ら、裏面は「5」。

「3」の面を見せられた(知った)ら、裏面は「4」。

表と裏、片方を「知る」ことで、知らない間に対になるもう片方が「確定」するのです。でもいずれも側面は見えていないのでわからない、不確定性の状態ですよね。じゃあ側面は?といずれかの側面を見てみる。見てみた(知った)時に「4」だったとして、その裏面は「3」だと確定されますが、それまで見ていた面が今度は側面になって見えなくなるので、不確定性に変化する。常に今「知った」ことは確定する。けれど、ついさっきまで「知っていた」ことはチャラになってしまって、不確定生に戻る...。これなんか感慨深いというか...。

この延長が、量子もつれ(エンタングルメント)というものなのですが、例えば、電極をもたないひとつの電子を、ふたつのスピンを持つ粒子に分裂させたとき、その2つの電子の片方がアップスピンだとわかった時点で、もう片方はダウンスピンであることが確定する。という話で、それは、この2つがどんなに遠く、地球と火星くらい距離が離れていても、2つは繋がっている。という話でした。

つまりサイコロのような物質としての表裏関係になくても、繋がっている量子同士の片方を「知る」と、遠く離れて、まったく関係なく存在しているように見えるもう片方がその時点で確定するわけで、そこには時間も距離も存在していない。瞬時に、一瞬で同時に確定。つまり現象化するのですよね。

見えていないけれど、そこでは実はもう決まっている。そしてそれは、「知らない」時点では、波のようにふわっとした状態で在るということなんですよね。これって、すごく5次元的というか。

実際に私たちの意識は波、「波動」ですから。

それが3次元まで降りてきて実際に見るまでは、間に4次元という「時間」を通過しているから、時差が生まれているだけなのかな。と思いました。

そして4次元の時間とか思考という存在によって、私たちはいつも、何かを過去の出来事との因果関係があるように見えたり考えてしまったりしているけれど、でも本当は全く関係なく、量子もつれ(エンタングルメント)が起きているってことが、実はすごく多く在るのではないかな?と思いました。


たとえば脳の神経回路は、何かを思う一瞬前に反応していると言います。「指を動かそう」と思うちょっと前には神経回路は信号を出していて、思う間もなく指は動いていますよね。そこに時差はほぼないのです。つまり意識に上ってくる以前の無意識の段階で、なにかの情報を「知った」時に同時に起きている。特にミクロの世界である身体の中でも、きっとこのようなことが常に起きているのでは?と。


量子力学では、この「知る」ということで不確定性が収束して、1つに確定する。つまり「知ること」というのは、ものごとを現象化させる重要な要素なのですよね。

以前、こちらのフラワーオブライフの記事で

「私たちは他者から認識されて初めて私という存在が確定する」ということと「私たちが生まれて、この宇宙を認識したときにはじめて、この宇宙が生まれた」ということ

と書いたのですが、「認識すること」つまり「知ること」が世界の始まり、基本でもある訳です。



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そして、ここで話をちょっと戻していきますが、(前編)の記事の最後で

つまり、過去も未来も今ここに同時に存在している。というのは、この5次元意識に在るということで、5次元意識に在る時、ひとはbelive(信じる)から、knowledge(知っている)に変わるのでは?と思うのです。

と書いたのですが、

私たちが5次元意識にあがった状態にある時、過去も未来も全てが今ここに同時に存在しているわけです。よく「今を変えると未来も過去も変化する」という話をスピリチュアルで聞きますよね。これって、すべての時間自体、同時に存在しているということは、実は先程書いた量子もつれ(エンタングルメント)の関係になっているのではないかな?とも思いました。

私が、今ここで、何かを「知る」。そうすると過去や未来の何かが同時に、瞬時に確定している。と。


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...と、「知っている」についての部材の話みたいなことを、パラパラ書いてきましたが、最後に(前編)で書いた「食パン」と「虫」の話に戻ります。


私たちが4次元意識にあるときには、自分が食パンだとは知りません。

たとえば、たくさんストレスを抱えている人は、過去も未来も罪悪感と恐れにつつまれた状態のカチカチに硬くなっている食パンです。そしてその食パンは中を歩いている虫を自分だと思って観ているのです。カチカチに硬いパンの中を歩いている虫は、食パンである「自分」と同じ「自分」ですから、同じようにストレスを抱えて、過去も未来も罪悪感と恐れにつつまれた状態です。でも、食パンは、虫に「なんであんな失敗をしたんだ」と過去を責め「怠けるな。もっとがんばって歩け。」と怒り「問題は自分でなんとかしろ」と、虫に人生丸投げで、自分がカチカチに硬いパンだということに気が付いていません。なんなら「がんばれば未来にはきっといいことがあると信じて!」と。でも虫からしたら、歩いても歩いてもカチカチで、さらに責められたり、怒られたり、否定されたりするのです。この先もきっとカチカチなのだろう...。先は見えないままで、信じてと言われても、途方に暮れますよね。

これでは虫は瀕死になります。


でも5次元意識に上がれば、食パン自体が「自分」だとわかります。

だから食パン自体をふわふわのやわらかい食パンに捏ねて作ってあげて、なんなら美味しいくるみやレーズンも一緒に混ぜてあげたら、中にいる虫は、俄然元気になることを「知っています」。そうしたら虫は安心して、毎日天国みたいだなぁ〜、と、ただただ自由に楽しんで歩いていても、大丈夫なんだと感じるでしょう。

そう、私たちは、実はなにひとつ「信じる」べき事などはなくて、ただ「知る」だけなんだと思うのです。

この世界は美味しくてやわらかい食パンだし、そんな食パンをつくることができると「知る」こと。

それが「未来を信じる」のではなく、「未来を知っている」ということ。



...という締めでした。チャンチャン!



長くなってしまいましたが、

最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございます。


ではでは、今夜も素敵な夢を🎶  おやすみなさい。


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Kalo
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