宦官の男
こんにちは!猫好きです。
甲高い声で大声を出す男をみると思い浮かべるのは2つの職務者なのでその話を書いていきます。高い声と言うとカストラートと宦官を思いだします。
カストラートとは男の天使の声を持つオペラ歌手。
宦官とは中国の去勢した男の側仕えです。最後の王朝、清が滅びるまで使えた者たちです。
宦官(かんがん)となるには刑罰であったり、自ら志願したりと様々ですが、基本的に宦官かんがんになるには手術が行われます。簡単に言うと男性器を切除します。切除は男性器全てを切除、睾丸部分を切除、睾丸部分以外を切除する……など次代が進むにつれ色々な方法があったようですが、主に男性器全てが切除されていたようです。
彼らは第二成長前に手術を受けると声が変わらずむしろ声が高くなる、
ちなみに近代以前のヨーロッパではカストラートという少年の声を大人の声にならないように変声期前に去勢した歌手。が人気でした。
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宦官は臭かった。と文献にもありますが果たしてなぜでしょうか。それは
切ると尿を締めたり出来なくなるそうで体臭から異臭を放っていたそうです。
宦官の尿道は以前と位置が変わり、尿が排出される穴が上向きになって排尿の「方向」が掴みにくく、トイレや来ている衣服を良く汚し、更にはトイレが近いことで「粗相」をしやすくなったため、宦官かんがんそのものが臭かった、というのです。排尿を我慢するのに使われる筋肉は括約筋、と言いますが、排尿する場所自体が変わってしまう宦官かんがんは、それを我慢することがしにくかったのでしょう。そういう要素も踏まえてやはり宦官かんがんという役目は「屈辱」なお役目であったこともあり、それ自体が刑罰であったことが良く分かるかと思います。
そして顔も女性的に変わっていき男性ホルモンの減少によりヒゲも薄くなり、特徴として女性的、ヒゲが薄いこと=宦官は宮以外では殺される可能性の高い嫌われ者でした。性格も人として扱われないこともあり歪んでいます。
さて紫禁城の中に冷宮という美人も数日で別人になるという自殺してでも行きたくない場所かありました。
冷宮は通常、長い間修繕されていない偏殿で、暗く湿気が多く、蚊が繁殖し、環境が非常に悪い場所です。さらに耐え難いのは、冷宮には食事を運ぶ時以外は宮女や宦官もほとんど入らないことです。このような閉じ込めの苦痛は、精神的に弱い妃たちを狂わせることもあります。
この非常に劣悪な環境の世話役に宦官達は競って手を挙げました。
何故ならかつて寵愛を受けた姫が幽閉され資産があれば賄賂を貰い、希望のない姫には好き勝手出来る。今後がある姫にはよく計らえば出世の道になりえるためです。
下記丁度よい文がありましたので抜粋します。
例えば、清朝の最も有名な珍妃は、慈禧太后によって冷宮に閉じ込められた後、宦官たちに虐待されました。冷宮の門は閉ざされており、水や食事は小さな窓から渡され、トイレ用の桶も同様に扱われます。宦官たちは、珍妃が老仏爷に逆らったため、再起不能と見て、食事は冷たいものばかりを渡し、トイレ用の桶も一日に一度しか交換しませんでした。珍妃は、一日にわずかな食事しか取らず、水もほとんど飲まなかったため、すぐにやせ細り、かつての輝きを失いました。さらに、慈禧太后は宦官に数日おきに珍妃を叱責するよう命じました。宦官たちはその命令に従うだけでなく、珍妃を殴打し、彼女を生き地獄に落としました。このように冷宮では、主従の立場が逆転します。宦官は妃が再び寵愛を受ける可能性がないと判断すると、あらゆる手段で彼女たちを苦しめ、それを楽しみとします。
しかし、もし冷宮に送られた妃が宦官たちに礼遇されるなら、それは彼女が再び寵愛を受ける希望があることを意味します。宦官たちはこの機会を利用して、自分の地位を上げることを望みます。例えば、明朝の万貴妃の時代、皇帝が万貴妃だけを寵愛し続けたために後継ぎが生まれませんでした。後宮のある宮女が皇帝の子を妊娠し、後の明孝宗朱祐樘を生みました。万貴妃の迫害を避けるために、幼い朱祐樘は冷宮に囚われていた吳皇后の元で育てられました。冷宮の環境は劣悪でしたが、朱祐樘は六歳までほとんど日光を見ずに育ちました。それでも宦官たちは吳皇后と朱祐樘の食事を減らすことはせず、時折必要な援助を提供しました。この援助のおかげで、朱祐樘は万貴妃が支配する後宮の危険な環境で無事に成長し、最終的に明孝宗として即位しました。即位後、朱祐樘は冷宮で最も自分を世話してくれた宦官張敏をそばに置き、彼を掌印大宦官に昇進させ、最も信頼する存在としました。冷宮に半生を囚われていた吳皇后も迎えられ、朱祐樘により皇太后として後宮で安らかな晩年を過ごしました。
そんな宦官や悠久の時に思いをはせてみました。
ではまた