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発達障害の境目

少し時間があるので、最近思ったことを書いてみる。

この件に関して、大雑把に私を取り巻く環境として、まず長女は小学校2年生の時に軽度の自閉症スペクトラムと診断された。次いで1年遅れて長男が小学校1年生のときにADHDの疑いがあり、小学校3年生のときに診断が確定しました。

その子供たちは今や高校1年生と中学2年生。一番下の子も小学校5年生になりましたが、今のところなんの診断もついていません。
紆余曲折ありありで、今でも時々壁にぶつかりますが、なんとかやってこれています。当時から色々本を読んだり、医者にかかって相談したり、学校の先生や、福祉課の人たちと協力しながら、子供たちを育ててきました。

そうは言っても、長女も長男も軽度です。端から見て明らかにそうと思われることは今までで一度もありません。

親や私の旦那さんは、あまり深刻にはとらえず(いい意味で)、そうなんだ~という感じでした。私も最初はなんでもかんでも診断つけたり、就学前検診で再検診を受けたときには割と否定的な立場でした。
だって普通なんですもん。

それが狂い始めたのは長女が小学校5年生の時。
今でこそ子育てや私に関心を持ってお父ちゃんしてくれている旦那さんですが、それまでは無自覚のモラハラや、子育てへの不理解、父としての役割の無理解。
子供たちの育てにくさに加えて旦那さんのこともあり、突然、落ちました。
笑いごとではなく、朝起きようとしたら体がみじんも動かないのです。
そして起きれないのに涙だけ出てくる不思議な現象を体験しました。
この話はもっと長くなっちゃうので端折りますが、なにが言いたいかというと、この時期です。自分の異常が体に出てきて、心療内科のお世話になり、相談や投薬(ほんの少しの期間)を経て、初めて、子供たちの診断が出ていてよかったと思えたのです。

私は思うのです。
今の時代、大人の発達障害だとか、アスペルガーだとか、ADHD、注意欠陥多動性障害、自閉症、なんでもかんでも診断名がつく。
うちの子はどうなんだろう、、っていうか自分はどうなんだろう、、
診断つく前はつくかつかないかで心配して、ついたらついたで障害者なのかーとか誤った認識で心配して、、、。

そうではなくて。
育てにくいとか、言っちゃいけない。っというか、自分の子供しか育てたことがないのに何と比べて育てにくいんだよっていうツッコミはさておき。
育てにくかったって、言っていいんだよ。
私(母親)の努力が足りないからこんなことになってしまっただなんて思わなくていいんだよ。
確かに頑張っていた。間違ったことも数えきれないし、ずるいこともしてきたけど、子供たちへの愛は本物。

何が言いたいかというと、子育てしてて、うまくいかないこと、うまくいくこと、子供のわがまま、子供の嘘、子供の治してやりたい癖、行動、、
これだけなら別に診断とかしなくていい。むしろ要らん心配のタネが増えるだけ。でも、自分が壊れそうなとき、プライドとか捨てて、一回誰か子育て関係の人に相談してみて。学校の担任の先生でもいいし、役所の福祉課でもいいし、教育委員会でもいいし、自分が心療内科にかかってみてもいい。いのちの電話に話すのでもいい。
結果、子供の発達障害が判明しても落ち込むことない。
私はそれからその子の発達障害についての本を読んだり知識を得て、だいぶ過ごしやすくなった。

例えば、子供を叱るときだったとする。
一生懸命子どもと向き合って話をしているときに、子どもが指いじりしてたり、爪噛んでたり、そこらへんのティッシュを手にちーっちゃくちぎり始める。こっちとしてはイライラしてくる。「話きいてんの~!?」ってなる。
だけどこの場合、そういう行動をしている方が逆に集中して聞けているんだそうだ。
本人曰く、いじれてないと、いじるのを叱られている間に我慢しなくちゃってなって集中できないそうな。
だから私はそれからは弄っていようが、こっちを向かなかろうが、イライラしなくなった。いじってるってことはちゃんと聞こうとしているんだ(自分自身に言い聞かす(無理やり))と思うようにした。

発達障害なんて個性の範疇。
ただ、それ故に困ったときはそれが生きやすくなるヒントになる。
「障害」だなんて大仰な呼び名自体気に入らないが、辞書に載っているんだから仕方ない。

これからも一歩ずつ、子どもと向き合いながら、自分の人生楽しみたいな!

ではまた!

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