落ち着いているというコンプレックス

高校生の頃、隣の席明るい女の子に「もっとはしゃいだらいいのに!」
と言われた。
私は昔から自分の感情を外に出すのが苦手で、小学生のころには「小学生には見えないくらい落ち着いている」と周りの大人から言われ
中学生のころには「高校生?」高校生のころには「大学生?社会人?」と言われた。
顔は童顔だが、異様な落ち着きをはなっていたんだと思う。

親の”わがままは言わせない”。”親の言う通りにする”という言いつけと、元々の性格が相まってこういう仕上がりになったんだと思う。


落ち着いていることがコンプレックスに変わってくる

小学生になると周りの友達関係がはっきりしてくる。
誰がどの子と仲良くなりたくて、だれがカースト上位なのか、どんなタイプの子が人気が出るのか。
「リーダーシップを持っていて明るくてハキハキしている女の子。」
異様な落ち着きをはなっていた私とは正反対のタイプだ。
ずっと仲良くしていた友達もカースト上位群(勝手にそう呼んでます)と仲良くしたいと言い始めた。orz

私はあまり騒ぎたいタイプではないし、大げさなリアクションをとったり面白い話もできない。
「仲良い子とお喋りする。」ただそれだけで満足できるタイプだった。
だから、そうじゃなかった友達は離れていく。
それを身に染みて感じた。
その日から「落ち着いている」ということはコンプレックスに変わっていった。


コンプレックスには長所がある

私も少しは大人になったんだろう。
この「落ち着き」にはいい面がたくさんあることを理解してきた。
よくよく思い出してみると、この「落ち着き」を評価してくれる人がたくさんいたのだ。

小学生の頃も今までも、私には「〇〇ちゃん大好き!」と言ってくれる猛烈なファンの様な子がいた。
それは、いわゆるオタクとか陰キャとか言われる人達だった。

オタクではなかった私は、自分の「好き」というものを追い詰めて、それについて語り合える仲間がいるオタクが羨ましかった。
私は同じ「好き」がなかったけど、その空間にいるだけで楽しかった。
「好き」が無い自分に劣等感を感じる日もあったけど。
なによりも、「好き」がない私と仲良くしてくれることが嬉しかった。
多分、この性格じゃなきゃ友達にはなれなかった。

私の立ち位置は、
「陽キャからも陰キャからも〇〇ちゃん!と笑顔で話しかけてもらえる。
そして陰キャから絶大な人気を頂いていた。」
そんなよく分からない中途半端な、今思えばいい感じな立ち位置だった。


塾の先生から信頼される

小学生のころから塾に通っていたが、どこでも異様な落ち着きを放つ私を「大人っぽい」と認識され、先生たちから「信頼できる」とほかの生徒にはしない話をしてくれた。
塾のこととか悩み事とか先生同士の対立とか、先生と生徒の対立とか。
それを信頼してくれてるんだって嬉しくなって、ちゃんと心の中でとどめておいた。
確かに、ほかの子だったらぺちゃくちゃ周りにはなしてたと思う。
あの頃の私、ナイス。


あんまり怒られない

昔から他人の思考を勘ぐるのが得意だった。
例えば先生と生徒の会話を聞いて、「どんなことをされたら、言われたら嫌なのか」「どんなことをして欲しいのか、言って欲しいのか」。
それが分かると、次から対話する時に相手を不機嫌にすることなくその場をしのげる。
そういう人の動きとか表情とか目線とか少しの変化で機嫌を伺って行動していたので、怒られることが少なかった。

そんな子供怖いけど、大人たちからは好かれていた。
きっとそいうところを評価してこの子なら大丈夫と信頼されていたんだと思う。


人の話を聞ける

みんな自分の話をしたがるけど、私には会話術とか話題とかがなくて、
人の話をただ聞いているのが楽だった得意だった。
そこを周りの人はちゃんと私の話を聞いてくれる!と評価してくれた。


冷静だねと言われる

内心どんなに焦っていても、ポーカーフェイスなのか「冷静に対処できている」と評価される。
あ。やべぇ失敗した。どうしよう。。。えーと、えーと。。。
あー、なんも思い浮かばないなどうしよう。
怒られるかなー嫌だなぁ。
って頭の中で無駄な思考回路を繰り広げてても顔に出ないから「冷静」と言われる。

何か失敗してもこっちが焦ってないと相手は安心する。
そういうことなんだと思う。

あげたらキリがないんだけど、とにかくいっぱい評価されたことがあった。
「落ち着いてる」とか「冷静」とか「表裏がない」とか「感情表現があんまりない」とか、「人に興味なさそう」とか、色々言われてきたけど
評価もされてるから良いということにしよう。

良いところに焦点あてて、そこを伸ばしていければ良いんだよ。


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