結局、理屈と体験どちらを優先すべきか?

 鶏が先か卵が先か論のようになりますが、理屈と体験は自転車のペダルのようなもので、どちらかだけを優先すると直に限界が来るように感じます。

理屈を知って何に使うの?体験だけで何ができるの?

 理屈に重きを置く場合でも、実際に何に使うのが目的なのかがわかっていなければ、飲み込みが私の場合は悪かったです。
 たとえば、数学の行列に関しては、プログラミングを学んでからOSRの用な技術に用いられていることを知りました。三角比なんかは大学時代測量している同期もいました。高校数学の確率分野では満点を取りましたが、その後は赤点もとったこともあります。これ学んでも一体全体何になるんだろうか?という思いが強かったです。
 社会科だと歴史を実際に使うことは少ないとは思いますが、地理などは家の購入の際でもここは災害に弱いとかはある程度習っていたら判断は付くでしょうが、現行ではそこまで興味を持てないだろうとは思います。
 また、体験ばかりしても、疑問を感じなければ結構通り過ぎてしまう事象も多いかと思われます。たとえば動物園に子どもを連れていったとしても、象の鼻は何故長いのか?キリンの首は何故長いのか?当たり前にぼーっと生きていると見るだけで通り過ぎてしまいます。
 進むためには何かきっかけが必要です。

興味・関心・意欲は教師の責任

 興味関心意欲というのは、生徒に対する評価基準の1つですが、結局のところこれは教師サイドに問題があることが多いと思います。いい先生、悪い先生がいるとしたらここが問題です。身の回りの生活に関連付けて教えられているか、教えられていないかが問われていると思います。
 たとえば、国語ならここは奥の細道の舞台で~だとかここでは土佐日記の紀貫之が~だとか、数学であれば技術だったりと絡んでくると思います。社会科なら学校がある地域と絡めて教えられるか?理科なら学校周辺の植生や土壌、健康などを教えられるか?血液型占いが使えるか使えないかは道徳的な判断も必要でしょう。その辺りが肝ではないか?と感じています。
 つまるところ、中々自分と遠いところの話題をされるよりかは、ゲームやテレビなどの手に届く範囲の遠さだと関係あります。

興味関心がない人はいない

 人間誰しも何かには興味があるはずです。さもなくば、ずーっとボケ-っとしているだけで一生が終わってしまいます。これは好き、これは嫌い。全部好き。全部嫌い。というのが食べ物にしろ交友する人間にしろあると思います。
 どうすれば、勉強の方に興味・関心を向いてもらうかが大切です。

子育てにおける理屈と体験の最適化

 英語が一番わかりやすいので、例えると英語の長文を何も知識のない段階で見てもちんぷんかんぷんだと思いますが、英単語や英文法を知ることである程度、英語圏の子ども向けの短文程度ならわかるようになってきます。
 何がわからないのかがわからないが、知識経験レベル最低の状態でしょう。知識がついてくるとわからないものがわかってくるが、どうすればいいのかがわからなくなってくる。このときようやく質問ができるようになります。
 もっと具体的な例えですが、パソコンが電源が切れて動かなくなった最初の頃「パソコンが動かなくなった」としかわからなかったものだとしましょう。修理者に電話で相談したとしても、電源はどこか?バッテリーは?線は?などもわからない状態では質問もできないと思います。もちろんなんかわからんかったけど、この線繋いだら直ったという体験をする人もいるかもしれません。
 理屈も結局、先人の「こうしたほうがいいよ」との体験談です。説明書だって、メーカーの体験談。でも、もっと知りたいと思うかは、結局、自分がこれからパソコンだとどう動かしたいか?ということがイメージできないと中々厳しいです。インターネットやSNSという単語を知っていても、あまりイメージがわかないと面倒くさいが勝ってしまいます。

例:ラジコとラジオとスマホ

 スマホを買ったものの、メールと電話機能しか使っていないおばあちゃんがいて、ある日、自分より年下の人が大音量でスマホでラジオを聴いていたとします。(これは実体験です。年下の人=私)
 そのおばあちゃんは私にスマホでラジオを聴く方法を質問されました。

 この体験から感じるにラジオとスマホという別々の知識がスマホで1つになっているということを知った訳ですから、両方に興味があれば知りたくもなります。

本来あるべき中等教育

 中学校や高校では、本来もっと実習的時間を増やすべきです。もっとも最新の授業動向は知りませんが、学校から外へ出ていく機会があまりにも少なかったと記憶しています。特に高等学校は本来は大学から降りてきたものが本来の姿で支部組織なのですから、地域研究は高等学校が担うはずなのです。ところが昨今においては、わざわざ大学からサテライトオフィスという形で各大学が支部を置いている現状があります。なんか無駄なことをしているような気もします。
 高校は特に大学の受験機関になっていて、理屈重視になっていて勉強においては個性的な先生の授業をのぞくと全く楽しくなかったです。先生自身も勉強が楽しくないと思っているのかもしれませんが。

結論

 両方じわじわやっていきましょう。さもないとどっちかに偏ってしまいます。理屈だけの偏屈人間か、フィールドワークばっかりの野蛮人間になってしまいます。4:6ぐらいで体験のほうが大事だとは思いますが、学生時代、知識が足りていない人も多かったです。私が通った大学の程度が低かったのかもしれませんが。体験に重きを置いている人のほうが周りには多かったですね。経験と勘でやっている某職種と変わらないような気もします。ある程度、数字的根拠が言えるようにならないと言っても意味が薄いと感じます。日本全体沈みかけているのは、今まで書いてきたことも原因かもしれませんね。

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