フレデリック「Hapiness」初披露はフェスでなければならなかった
先日、フレデリックの新曲「Hapiness」が9月7日に配信リリースされること、ラジオオンエアが解禁されたことが発表された。
早速ラジオで放送された「Hapiness」を聴いた。
あまりにも衝撃的な歌詞であったため、聞き取った部分を書き起こし、考察してみたいと思う。
まだ正式な歌詞が文章として発表されたわけではないので、
聞き間違いがある可能性が高いこと、ここで書いた考察は独自の見解に過ぎないこと
をご了承いただいたうえで読んでいただきたいと思う。
フレデリック「Hapiness」初披露はフェスでなければならなかったと僕は思う。先日まで行われていたFCツアーでも、来年に開催が決定しているの神戸ワールド記念ホールや武道館でもなく、フェスで披露されるべき曲である。
フレデリックの新曲「Hapiness」は、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024にて初解禁された楽曲である。
僕はフレデリックのファンである。彼らの音楽に惹かれ、彼らのライブを見るためにこのロッキンのチケットを取った。この暑さの中夏フェスに行くという行為はまさに命がけである。それを覚悟して向かった。
そして当日。
ロッキンで初めてこの曲を聴いた時、何かに強く刺されるような、苦しみともとれる感覚があったことをよく覚えている。
勿論、この曲が悪いと言いたいわけではない。むしろ大好きだ、早く音源を聴かせてくれ、歌詞を教えてくれ、と思っていた。
ライブで聴くHapinessは、ギターとドラムが激しく鳴り響き、ツインボーカルかと思うくらい迫力のある三原兄弟の歌声には圧倒された。この曲を生で聴くことができて良かったと、未だにそう感じている。
では、この感覚の正体は何なのだろうか。
この感覚は「名悪役」を初めて聴いた時の感覚と似ていた。
この歌詞を初めて見た時と同じ感覚である。
一見物凄く厳しく、突き放されたかと思うような歌詞に、傷ついた。
だからこそ、この曲は深く聴き込まなければならないと、そう思った。
では、「Hapiness」の歌詞を見ていきたい。
「君と描いた運命線は紛れないほどノンフィクションだ」
前提として、この曲は「ノンフィクション」である。
「人魚のはなし」のような、物語の中の話ではない。
これについては後に話したい。
まず、
「躓いては嫉妬して嘲笑ってく劣等生」
という歌詞。
Hapinessという歌詞からは想像もつかないくらいにネガティブな言葉が詰まっている。
冒頭から、僕個人が持つHapinessのイメージとかけ離れた歌詞が出てきたな、という印象だった。
幸せについての歌ならば、愛とか、恋とか、そういったものを想像していたからだ。
ロッキン後すぐに公開された1番サビ
「君を歌った幸福論は僕にとっての報復なんだ」
「報復」。
この報復である。
この歌詞から分かることは、
「僕」は「君」に何か苦しめられた過去があり、「僕」が「君」のことを歌うことで「君」への仕返しになる、ということ。
つまり、「僕」と「君」は敵対した存在なのではないだろうか。敵対とまではいかなくとも、「君」は「僕」を苦しめる存在であることは確かだろう。
余談だが、「Hapiness」という曲名、楽しそうに演奏するメンバー、「愛」「幸せ」といった歌詞、「奪う」「攫う」といった歌詞が「銀河の果てに連れ去って!」を連想させたこと等、様々なことが重なり、僕は最初この曲をラブソングだと思い込んで聴いていた。
しかし、僕には二人がそういった関係にあるとはとても思えない。
そして、
「君を歌った幸福論」という歌詞から、
「僕」が指す「幸福論」=曲
であると分かる。
「僕」はフレデリックのことだろうか。
「人の不幸で愛を稼ぐ泡銭や」
二番の歌詞。
「泡銭(あぶくぜに)」とは、
という意味らしい。
ここでいう「愛」とは、現代ではSNS上でのいいねやポスト等で見ることのできる、同意、賞賛の声だろうか。
人を否定することで賞賛の声を集め、「共感すれば全てOK」としてしまっている世の中への皮肉を感じる。
そして二番サビ、聞き間違いでなければ、
「僕を嘲るこんちくしょうも先を見出す香辛料だ」
という歌詞があった。
ここの「香辛料」という歌詞がどうも引っかかる。香辛料とは、食べ物にかけて風味を変える、あの香辛料のことで間違いないだろう。
「僕」は、何かを食べている?
三原康司 フレデリック (@miharakoji) on Threads゙/″ャヶッ├〒″廾″ィ・/ιまιナニ!
先日公開された三原康司デザインの「Hapiness」のジャケットを見ると、男が女の脳内の液体をストローのようなもので吸っているように見える。
何をイメージした液体なのかは分からない。ただ、男がその液体を口にしているということは、この液体は、何か食物に例えて描かれたものと予想できる。
ならば、何故わざわざ「香辛料」としたのか?食べ物、飲み物なら何でも良かったのではないか?
ここで、フレデリックの夏フェス2024グッズを見ていきたい。
夏フェスグッズは「FRDC Plant」シリーズと名付けられ、植物をモチーフにしたグッズが展開された。
冒頭の歌詞「水」「花」「培う」「毒」という言葉から、このグッズとHapinessの関連性が伺える。
そして、2番サビの「香辛料」という言葉選びも、植物と関連している。香辛料とは、植物から採取されたものである。
フレデリックは、君という植物を摂取しているのだろうか。
しかし、冒頭に「毒に溺れる」といった表現が見られた。(ここはしっかり聴き取ることができなかった…)
忘れてはならないのは、
「君」という存在は、「僕」を苦しめる存在である。
「君」という存在は、「僕」にとっての「毒」である。
まとめるとこうだ。
ジャケットに描かれた男女に当てはめていくと、
男(=僕、フレデリック)は女(=聴き手)が生み出す思考の液体を摂取しないと生きていけない。
バンドというのは、聴き手の評価で価値が決まってしまう、そういう存在である。良い評価を貰えれば良いバンド、悪い評価を貰えば悪いバンドである。
だから男は女の脳内に溜まった液体を吸っている。女の脳内にある思考を吸って生きている。
しかし、女は「人の不幸で愛を稼ぐ」ため、その思考には毒が混ざっている。
毒が混ざった液体を摂取したら、勿論生き物は苦しむ。悪い評価を受けたら苦しむ。それは当然のことだろう。
それでも液体を飲まないとは生きることが出来ない。
評価がないとバンドというものは存続できない。
つまり、「僕が描いた幸福論(フレデリックの楽曲)は君(聴き手)があっての前提」なのである。
そこで「僕」、つまりフレデリックはどうしたのか。その答えは二番サビにある。
フレデリックが取った行動とは、
毒に溺れた君を香辛料として摂取し、生き続けるというものである。
先述の通り、君は植物である。
フレデリックは「君」という「僕を嘲るこんちくしょう」を香辛料に変えて、もがいて、もがいて、音を掻き鳴らすのである。
(ジャケットの女性が食している(?)ハートは、「人の不幸で愛を稼ぐ泡銭」の愛だろうか)
Hapinessとは、「自分を否定する存在すらも奪い攫って音楽を鳴らし続ける、それがフレデリックにとっての幸福」という意味ではないかと解釈した。
人によっては、なんて身勝手な行動だと思うかもしれない。自分を否定する存在を無理矢理攫うのだから。
しかしこれは「報復」である。
フレデリックにとっての最初の夏フェスとなるロッキン2024の数日前、三原健司はこんなツイートをした。
この文章を見た時、新曲の喜びと共に物凄く違和感を感じた。きっとフレデリックのファンは皆、少なからず感じたのではないだろうか。
ペパーミントガム、PEEK A BOO、CYAN。
ここ最近のフレデリックは非常に幅広いジャンルの楽曲を提供しており、とても「マンネリ」という言葉が似合うバンドとは思えなかった。
では、この「マンネリ」は誰が発した言葉なのだろうか?
三原健司は新曲を誰に聴かせたかったのか?
ここに、フレデリックがHapinessをあえてフェスで初披露した意味がある。
この曲は「君」、つまり聴き手へ向けた歌である。
聴き手といっても様々だ。
フレデリックのためにロッキンに訪れた人、フレデリックの楽曲が好きだから来た人、オドループさえ聴ければいい人、次のアーティスト待ちのフレデリック目当てでない人、丘で休んで何となく聴いてる人。
ロッキンという大きなフェスでは、様々な人が聴きに来る。
この歌は、そんな沢山の人に聴かせなくてはならない曲だった。
「Hapiness」に込められたメッセージを彼らに伝えるには、ロッキンという大舞台のセットリストの、最初でなくてはならなかった。
未発表楽曲披露というインパクトで人を集め、タイムテーブルの関係で他アーティストに人が移る前に、より多くの人が聴くことのできる状態で披露しなければならなかった。最初に披露することで、観客を攫う必要があった。
もう一度言うが、この曲は「ノンフィクション」である。
「君と描いた運命線は紛れないほどノンフィクションだ」
「君」という存在が、フレデリックの楽曲を愛してやまないファンであろうと、フレデリックの曲に「マンネリ」を感じている否定的な人間であろうと、君と描いた運命線が現実であるという事実は変わらないのである。
ここまでの解釈が合っていたら、相当攻めている。
では、フレデリックは「君」を攻撃したかったのだろうか?
フェスという大多数が聴きに来る場所で、聴き手を傷つけたかったのだろうか?
そうは思わない。何故なら、フレデリックの楽曲には「救い」があるからだ。
ボーカルの三原健司は、作詞作曲担当である三原康司に対して過去にこんな評価をしていた。
ラスサビの歌詞
「君にとっての人生ならば 狂わしいほど謳歌しようや」
これが、フレデリックの提示した「救い」なのではないだろうか。
「本当の幸せをさあ勝ち取って」
は、フレデリックの意思表示とも取れるし、我々聴き手へのメッセージとも取れるだろう。
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