ハートフル推理小説『数字の布団で寝るとハートの夢を見るのか?』
【1】
午前1時。
私は書斎でオセロをしている。
黒対白。
黒も自分、白も自分。
個人で把握しきった中での戦闘をし続ける。
人の習慣ってやつはどうにも抜けないようで毎週水曜日の23時ごろから盤面を引っ張り出してしまう。
お供は決まってウィルキンソンの炭酸水だ。
戦局が煮詰まって手がすすまなくなると書斎内散歩としゃれこむ。
七段の書棚を眺めているとまるで森林浴をしているかのように癒されていく。
長年かけて読みつないだ書籍達は中断から下段にかけて。
目線の高さにはお気に入りの写真を並べている。
大学時代のコンビニアルバイト仲間との集合写真や頭を丸めてタイのバンコクに行ってた時の自撮り、オーストラリアンフットボールをやってたころの試合中の写真など20代ぐらいの頃の写真が多い。
妻や娘に「この頃はね」と話しても何の興味ももってもらえない写真たちだから私の書斎にあるという。
上段にはお気に入りのスタンリー=キューブリックやデヴィッド=フィンチャー作品のブルーレイディスクがみっしりと詰められている。
中でも『セブン』は特上級のお気に入りだ。
それらをひととおり眺めつつ炭酸水をごくりと飲み干すと再び席について対局モードに戻る。
オセロの盤面を背景に日々の考えごとをするのも習わしだ。
仕事のことを思い出すことが多いのだが、今夜は違うようだ。
3歳になるうちの娘との会話が意識にたちのぼってくる。
娘には“なあちゃん”という相方的な少女人形がいてよくその子のお世話をして遊んでいる。
先ほども“なあちゃん”へ布団のように四角いボードをかけて
「なあちゃんもねんねしましょうねぇ」
と母親役をつとめていた。
母性ってのはこんなに幼いころからあるものかと感心してしまう。
その布団代わりの四角いボードに1から30までの数字が入ったマグネットがはりついているためそこに興味深さを感じ、
「数字の布団で寝ると何の夢を見るの?」
と尋ねてみた。
ふと考えた娘はにかっと微笑み、こう言い放ったのだ。
「ハートの夢を見るの」
【2】
今晩はやや黒が有利な占め方をしつつある。
まぁえてしてオセロというのは逆転劇が売りで最初に攻撃をしている方が敗北しがちなところがある。
それにしてもだ。
3歳にもなるとだいぶ少女化がすすみはじめているようでテレビのニュースの内容に関心を持ち始めたり、母親といっしょにキッチンに立ったり、大人の怠慢を注意してきたり、数字やひらがなのみならずアルファベットを覚え始めたりと進化が日々めざましいものがある。
「もう3歳だもんね」とうながすと意地をはったように「もう3歳だから」と強がって見せたりする。
その意地ってのが成長につながっているのだろうなと憶測する。
にしたって何だ。
あの”数字の布団”と”ハートの夢”ってやつは。
どうにもひっかかる。
DNAに刻まれた前世からのメッセージ的なものなのか。
幼稚園などで誰かがやっていた遊び方の真似なのか。
教育テレビやYouTubeでそういうコンテンツでもあるのか。
はたまたナチュラルボーンなポエムなのか。
あまりに気になるので午前1時15分だが、子供部屋を散策してみることにした。
深夜の子供部屋。
不眠のぬいぐるみ達がこちらを見つめている。
ぬいぐるみの目ってやつはどうにも虚無で冷ややかなものがある。
その視線の中央に”なあちゃん”は数字のボードをかけて横たわり続けていた。
かたづけられないでそのままになっている。
娘がいうところの”ハートの夢”でも見ているのだろうか。
まったくかわいらしい世界観だな、とひとりにやけていると数字のボードに対してなにか強い違和感がよぎった。
なにか変だな。
「5」だけ逆さまにはりついている。
「15」と「25」は正常にはりついているのにだ。
つまり、「5」の正しい向きは理解しているわけだ。
あえて「5」だけ逆さまにしているのか。
いったいどういうことだ。
【3】
書斎に戻るとすかさず電卓とメモ帳をオセロの盤面の隣に並べた。
さぁもうひとつの対局の始まりだ。
レッツプレイ。
映画『デスペラード』のアントニオ=バンデラスの声で脳内にそう響いた。
まずは「5」の逆数からいってみるか。
「5」に乗じると「1」になる数字。
それが「5」の逆数だ。
「5」の逆数は「0.2」。
メモ帳に書き込む。
「鬼」とも読めるか。
節分か桃太郎か。
はたまたゲームボーイ版カセット『鬼忍降魔録ONI』か。
娘がゲームボーイなんて知る由もないがなにかのヒントになる可能性もあるので書き留める。
発想を変えてみよう。
「5」以外の数字をすべて足すとどうだ。
電卓に順にうちこんでいく。
我ながら病的な作業だ。
合計は「460」。
まったく思い当たるふしがない数字だ。
スマホで検索すると「レクサスLS460」と中古車情報が表示される。
これもメモに書き込んでおく。
娘がレクサスLS460なんて知る由もないがなにかのヒントになる可能性もあるので書き留める。
そもそも合計数が間違っていたら意味がないのでもう一度「5」以外の数字をすべて電卓にうちこむ。
問題ない。
「460」だ。
【4】
「0.2」「鬼」「レクサス」などが書き込まれたメモ帳を眺める。
ちょっと手が詰まってしまった。
気晴らしにオセロの手をすすめる。
あいかわらず黒が盤面を多くしめている。
白は耐えながらもひっそりと逆転の機会をうかがっているようだ。
すると娘の顔が盤面に浮かんでくる。
「ひとーつ、ふたーつ、みーっつ、よっつ、ごっつ」
そう、「いつつ」を「ごっつ」と間違えて唱えていたことがあった。
だから「ごっつじゃなくていつつだよ」とたしなめた記憶が蘇ってきた。
「いつつ?」
と首をかしげていたっけか。
いつつ。
「いつつ」が逆さまで「つつい」。
筒井。
筒井って誰だ。
そうだ。映画『パプリカ』の原作が筒井康隆だった。
娘が筒井康隆なんて知る由もないがなにかのヒントになる可能性もあるので書き留める。
「0.2」「鬼」「レクサス」「筒井康隆」。
メモの内容が混迷をきわめている。
常軌を逸してしまったのかもしれない。
所詮、大人が勝手に妄想を膨らませた世界で遊んでいるのにすぎないのだ。
やれやれ自分もヤキがまわったな、とあきらめかけた瞬間。
気づいてしまったのだ。
娘は「ごっつ」と認識していたように「5」を「ご」でとらえているわけだ。
「ご」だ。
まさか、いやまてよ。
そんなことが。
私は急にめまいを覚え、オセロの盤面に向かって顔から落下してしまったのだ。
【5】
夢を見ていた。
ここは西部劇によく出てくる酒場であろう。
私は屈強な女たちに椅子におさえつけられて、のど元にナイフをつきつけられている。
ちょっと先が刺さっていて痛い。
「ちょっと喉にしゃしゃってるんですが」
「刺さるようにしてんだよ、この間抜け野郎が」
女たちが頭ごしになじってくる。
円卓の向かいにはうちの娘が5枚のトランプを左手に持ち冷たい表情だ。
「お父さん、もうそろった?」
気づくと私も右手に5枚のトランプを持っている。
エース4枚とJOKERでファイブカードだ。
これ以上はない最強の手だ。
「お父さんはもうそろったよ、ほら」
5枚のカードをテーブルの上に広げて見せると娘は満面の笑みで右手をかえして5枚のカードを見せてきた。
「ハートのフラッシュー」
あれ。ファイブカードの方が上でしょ。
すると屈強な女たちも「ハートのフラッシュー」と連呼して私の頭からビールをかけてくるではないか。
ビール味の「えー!」を絶叫しながら私は目覚めた。
オセロだ。
私が顔面からつっこんだせいで盤面がぐちゃぐちゃになり、白の方が多くなっている。
そして、野鳥がささやきあう朝のBGMが耳に入ってくる。
午前5時ぐらいか。
昨晩は何をしていたんだったか。
そうだ。
「5」だ。
娘が「5」を「ご」と認識していることまで推理をすすめていたのだった。
「ご」。
そういえばなにかの教材に「GO」と表記されていて「これじゃゴーじゃないか」とひとりでつっこみをいれた覚えがあったような。
「GO」の逆さま。
「OG」。
オージー?
オージーボール?
「オーストラリアンフットボールはオージーボールともいうんだよ」
と写真を見せながら娘に話して聞かせたような気が。
まさかこいつは。
私は書棚にあるオーストラリアンフットボールをやっていた時の写真に目を向けた。
そして震える手でその写真の真上にあたる書棚の上を探ってみた。
なにかある。
そして、つかみとった私は愕然としたのだ。
ハート型のベビー用ガラガラ。
0歳から1歳ぐらいのときにそれで娘を寝かしつけていたものだ。
「もう赤ちゃんじゃないからね」
と言ってずいぶん前に書棚の上に隠したものだった。
日々成長を褒められている娘も赤ちゃん気分に戻って眠りにつきたかったのか。
思えば随分と無理をさせていたのかもしれない。
「おおおお父さんが、、、悪かった、、、」
左手を口に押し当てて嗚咽をこらえていると物音に気付いた娘が寝室から出てきてこちらに来てしまった。
「お父さん」
歩み寄ってくる。
そして私の手元を指さしてこう言い放った。
「ハートの夢」
♡FIN♡
↑小説はここまでです。
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