【自作短編小説】黒、紺、茶色【宇宙SF】

「安藤さん、これ誰の絵?」

安藤が経営している、街に溶け込んでいるこじんまりとしたギャラリーでは現在八月の定期展覧会の搬入・仕込み作業が行われていた。

安藤のギャラリーでは、新進気鋭の画家や無名の若者の画家の絵を扱うことが多いため、知らない名前を見ることは珍しいことではない。そして、知らない名前の人が言葉で表すことも失礼に値するように思われるほど、素晴らしい絵を展示していることも、珍しいことではない。

そんな中で丸井の目に留まったのは、黒い暗い色で塗り潰された大型のキャンバスに、所々色取り取りの点が散らばっている、一見何の絵か分からない絵だった。画家である丸井が真っ先に気づいたのは、スプレーでキャンバスを暗く染めていること。黒や紺や、何故か茶色で、キャンバス全体をスプレーしていた。この散らばっている大小様々な点は何で描いているのだろうか、いや、それよりもこれは何だ。近くで見ているから分からないのかもしれないと思い、丸井は数歩下がって見た。しかし分からない。横に作者名と絵の題名、解説はなかった。

「あ?知らないのかよ。」

だから安藤に聞いたというのに、敏腕画廊と名高い割りに口がかなり悪い安藤は驚いたように返事をしながら不思議そうに丸井を見ていた。

「いや。知らないっすよ。」

安藤の眉間に皺が寄る。

「それ、お前をモデルに描いたって聞いたんだけど。」

丸井は全く無名の時から安藤のギャラリーに絵を展示してもらっており、現在二十代で少しずつ有名になって天才だとか何だとか言われるようになった。かなり世話になっている。さらに口が悪いが面倒見は良いギャラリストの安藤も丸井をかなり世話していると自負しているため、『お前』呼びなど二人の間では特に問題はない。さらに丸井にとっては自分の知らないところでモデルにされていたことも、まあ画家ならば描きたいものを描けばいいし、それがたまたま俺だっただけか、と、あまり問題にはしていなかった。問題なのは、何故丸井をモデルにしてこの絵が描かれたか、であった。

丸井がもう一度絵をじっくり見ようとすると、

「安藤さん、出品票書き終わりましたー、あああ!」

遠くから野太い悲鳴が聞こえた。声のする方を見ると、書き終わったであろう出品票を両手でぐしゃぐしゃにしながら眼鏡越しにこちらを見ている、ひょろりとした細長い男性が立っていた。

「それ書き直しだな。」

最初に口を開いたのは安藤で、ぐしゃぐしゃになった紙を指差しながら言った。正直安藤は他にも言いたいことが幾らかあったが、仕事は山ほどあるし、中々にやっかいそうだったため、丸井をちらりと見た後に別の作業へ向かった。

奥さんと選んだであろうクールビズのシャツを着こなしていた天才画廊がいなくなり、二人は急に気まずくなった。

「あー、どうも。俺は丸井です。よろしくお願いします。」

「ああ、えっと、俺は風吹です。よろしくお願いします。あー、あの、丸井さんのファンです。」

「えっ本当に?ありがとうございます!」

「ここで丸井さんの絵を見て、好きになって、ここ以外でも最近出してるじゃないですか。欠かさず見てます。」

「すごいっすね」

「いや、あの、Twitterフォローしてるんで」

「そっかそっか。風吹さんの絵もすごいですね、これ。スプレーでしょ?」

「分かるんですか?」

「分かりますよ?あー、俺、一回やったことあるんで。」

「そうなんですか!?」

「あのスプレーガン?」

「エアブラシですか?」

「それそれ。格好いいじゃないですか。それでやってみたんですけど、上手くいきませんでした。」

風吹はにやにやしながら何度も縦に首を振り、丸井との会話が心底嬉しい様子だった。

「ねえ、これ、俺がモデルって聞いたんですけど、俺のどれ?」

だが、この台詞を聞いた途端、風吹は口を一文字に閉じ、目に鋭さが生じた。丸井のファンから、画家に変わる。

「宇宙です。」

「宇宙。」

「一年前だったかな?このギャラリーの、あの、二月の定期展覧会で、描いてましたよね?」

確かに描いた。丸井は急に自分が描いた宇宙を思い出した。それと同時に、あの絵は難産で本当にギリギリまで完成しなかったため、寝食をする暇があまりなかった。そのため完成して安藤に連絡した直後に丸井は倒れ、過労で三日入院した。ちなみにその際画家の親友から、本当に今回は駄目かと思った、と泣かれた。そして退院してから展覧会を見に行ったところ、自分が描いたとは思えない作品が、自分の名前と共に飾られていて驚愕した。

過労で倒れた苦い思い出があるため、口角を上げながらも目をひくつかせ、不格好な笑顔で丸井は生返事をした。

「あれ、見たときすっげえって思って、なんでしょう、あの、迫力。色がすごい好きで、綺麗なはずなのに、全然楽しくなくて、ああ、楽しくないっていうか、寂しい。寂しい絵でした。」

「あれはまあ、地球が粉々になった後の光景だから。」

「そうですよ、その作品の説明見たとき怖くて、でも色は本当に綺麗で、それなのに寂しくて、でもなんか、地球の終わりって外から見たらこんな感じなのかなって納得しちゃいました。」

「じゃあ、あの絵の続編ってこと?」

風吹の絵には、あの時丸井が描いた粉々に破壊されて地面もマグマも海も地球に存在するもの全てが宇宙に放り出されて散り散りになってしまった光景のようなインパクトも、色彩もなかった。ただ暗い宇宙に明るい点が散らばっていた。それらの点が星ではなく、粉丸井が描いた地球の欠片ならば、丸井の絵をモデルにして制作されたと言える。

「いえ、違います。」

だが、丸井の予想はあっけなく砕かれる。

「あの絵を見た、丸井さんの目を描きました。」

「目。」

「はい。」

「俺の目、焦げ茶だけど。」

「はい。あの時、俺が見てたら、隣に人が来たからちょっと退いたんです。でも全然動かないから、ちらっと見たら、まさかの本人で、びっくりしたんですけど、その時見開いていた目に、宇宙が映ってて、それが、印象的だったんで、描きました。」

風吹は自分の絵を手で指した。丸井はつられて風吹の絵を見た。宇宙。粉々になった地球。俺の目。確かに、全部キャンバスに描かれていた。

ぞくりとした。そして、面白かった。丸井は口角がどんどん上がっていって、今にも笑い声を上げたくて、悲鳴を上げたかった。鳥肌が立ち、肩が震える。それでいて楽しい。

丸井が楽しそうにしているのを見て、風吹も自分の作品を改めて見た。

二人の目には、宇宙が映っていた。

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