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23.≪限りなく、さりげなく、愛おしい人≫
人は異性に関心を向けることが有ります。特に思春期や青年期。でもね、大人になってからでも考えることは多々あるんですよね、特に夫婦。
人に『恋する』、人を『愛する』、人を『愛おしく思う』、について考えます。
『恋する』は、恋に恋するということもあり、相手の外見だけで恋に落ちてしまうかも知れません。とりわけ、初めて異性に惹かれる時に多いのかも。
二番目の『愛する』は、もう少し、相手が近くに見えてきますが、まだ、分かったつもり、自分勝手な思いの場合が多く、どちらにも転ぶように見受けられます。でも愛は尊い、美しいのです。
三番目の『愛おしく思う』は、ここでは一般的な意味合いとはちょっと違うかもしれませんが、相手の良いところも悪いところも、癖も性格もひっくるめて、そんな浅いレベルは通り越して、もっと人として本当に大切な貴重な存在、と思う気持ちなのかも知れません。
生きて行く上での空気のようなもの、『愛おしくて、愛おしくて』仕方ない気持ちを抱くこと、本当は、恋するや愛すると同列に置いてはいけない言葉、なのかも知れません。
むしろ、『愛おしい』という言葉では無く、もっと違う言葉のような、もっと他に妥当な言葉があるような、単なる『愛おしい』では、まだまだ何かが足りないような、そんな気がするんですが。でもまぁ、仕方ないか、それしか言葉、知らないんだから。
人と一緒に過ごす、或いは人と長い人生を暮らすのであれば、
お互いに『愛おしくて、愛おしくて』仕方がない、何がどうあっても、何をどうしても、その人のすべてをそっと大事に、大切にする、お互いに、
そんな関係でありたい、そんな間柄でいたい、そう思いませんか。
そんな、バカみたいな、青臭い、理想的な人間が居る訳ないだろう、という大きな声が聞こえて来そうです。
でもね、だからこそなんです、
人自体にガチガチの理想を求めるのでは無い、無骨な、不器用な、欠点だらけの人間として、お互いがお互いを、受け入れ、認め、助け合う、そしてそれでもなお、お互いに信頼し合う関係です。
人に理想を求めるのはナンセンスです、理想的な人間なんてこの世にいません、それこそが人間です。どんな夫婦だって欠点の無い人なんていません、ましてや理想的なカップルなんていません。だって、みんな人間なんですから。理想は幻想です。
だからこそ、欠点だらけだからこそ、
お互いに、些細なことで、くだらないことで、批判、非難、反発し合うのではなく、お互いに補い合い、大事にし合う、です。そうすると、お互いの存在が愛おしく思えてくるのです。それこそが理想のカップルなんです。一段上に登りましょう。
ここで話は逸れます、
男と女は生物学的には男の方が一般的に、体格も体力、腕力も女より上回っています。それをもって男の方が上とするのはあまりに短絡的です、かなり愚かです。戦国時代や非民主主義の時代です、すでに時代遅れです。
世界は男女半々でできています、そういう世界に住んでいます。多くの人はその事実をもっと理解するべきなのです。男が、組織を、社会を、世の中を、全てを、牛耳る世界が本当に良い世界なのか。男の気性には合っている世界かも知れませんが。
しかし、男女は、平等、対等です。もっと別の世界、つまりお互いの特性を理解し、活かし合い、そして協力し合って造り上げる、そんな世界、違う世界が有るはずです。本当は、男でも女でもない同じ『人間』なんですけどね。
昔の人たちが、特に東洋や或る国々では、男たちが自分たちに都合の良い価値観を創り上げ、人々を縛ってしまった、人類が犯してきた最大の過ちです。そうでは無く人間は誰もが等しく、自然界に生まれ生きる動物です。大自然の摂理、つまり、人間が元々自然界で守るべき人間本来の規範、ルールをこそ、生きるべきなんです、が。
話を元に戻して、まぁ、男と女が縁あって一緒に暮らす、人によっては恋する(惹かれ合う)、愛する(身近になる)、そして愛おしく思う(夫婦になる)の階段を進むのかも知れませんけどねぇ。
そして、最後の段階に至るには、相手をお互いに認め合い、敬意を持ち合い、協力し合い、感謝し合う(素直にありがとうを言う)、すると相手を愛おしく思うようになる、です。
それが真似事でない、本来の人としての『夫婦』という気がします。
そうすると、その人と一緒に住む世界が楽しくなります、その人の存在が嬉しくなります、相手を思い遣ることに喜びすら湧いてきます。そういう世界に、一度でいいから浸ってみてください。きっと、あぁ、これが幸せなんだ、と思えてきます。
実は、人間は、配偶者や家族、恋人など、親しい人に会いたい、一緒に居たいと思うと、幸せホルモンのオキシトシンが勝手に分泌されるそうです。愛情ホルモンとも呼ばれます。脳の疲れを癒し、気持ちを穏やかに、そして幸せだなぁ、と思わせてくれるのです。
更に言えば、オキシトシンが多くなると、やはり幸せホルモンの一つ、セロトニンも分泌されてきて相乗効果により、幸せ感が更に増大すると言われています。
人は、元々人と仲良く楽しく暮らして、幸せに感じるようにできている動物なんです。
人は、人と暮らす、お互いを敬い、尊敬し合いながら、笑顔で暮らす。『楽しい、嬉しい、有難い』で暮らす、こういう生活を、『幸せ』と呼ぶのです、きっと。
決して難しくはないのです。多くの現代人はいまだ、それを知らないだけなんです。無性に愛おしい、それでも人としての最低限の距離感を保持する、そんな『限りなく、さりげなく、愛おしい人』です。
現代人にオキシトシンの出番が少ないような気がするのは、気のせいでしょうか。
まぁ、人が『愛おしい』と思えるような心の人には、すでに幸せが近くに来ている、
若しくは、すでに幸せ感に包まれている、という気がします。そう思いませんか?
折角の二度と無い人生、仲良く楽しく幸せに生きましょう(H/P 書窓けやき通り)